前回に続く今回からは、小林信彦さんの名著「おかしな男」を紐解き、「男はつらいよ」がどのように誕生し、国民的人気映画シリーズになっていったのかをご紹介します。
参考文献:「おかしな男 渥美清」
小林信彦著(新潮社)
●テレビドラマから始まった
1968(昭和43)年、山田洋次さんがフジテレビから渥美主演のドラマの脚本の依頼を受けたことで企画が始まります。
1966(昭和41)年にフジテレビで放送された、渥美清主演の連続テレビドラマ「泣いてたまるか」「おもろい夫婦」がヒット。これをきっかけに昭和40年代のフジテレビでは渥美さん主演の連続ドラマが毎年のように放送されていました。本作はシリーズ第3作です。
●原点はフランス喜劇
本作の原点はフランスの国民的作家マルセル パニョルによる喜劇「マルセイユ3部作」(1929-1936)。
山田洋次監督は脚本執筆を打診された際に青春時代に読んだ同シリーズを思い出し、「マリウスは博で、ファニーはさくら、セザールは寅さん」と同シリーズに登場する愛すべき人物たちを中心に、さらに熊五郎・八五郎・ご隠居といった古典落語の登場人物も重ね合わせて、本作のキャラクターを構築していったそうです。
寅さん流に言えば「てめぇ、さしずめインテリだな」。
●企画時のタイトルは「愚兄賢妹」
企画段階でのタイトルは「愚兄賢妹」フジテレビの営業から「そんなタイトル、堅苦しくて番組として売り難い」と言われたため変更することに。当時、北島三郎さんが唄う「意地のすじがね」という楽曲の歌詞「つらいもんだぜ男とは」をヒントに、山田洋次さんに脚本を依頼したフジテレビの小林俊一さんが「男はつらいよ」と命名しました。
●寅のアリア
山田洋次監督は主人公の「寅さん」について執筆に先立って渥美清さんとゆっくり話がしたい、と赤坂の旅館で対面します。
そこで「まるで名人の落語を聞くかのように驚異的な記憶力と流れるようなテキ屋の口上」に感動しつつ爆笑。
山田監督は「この人は本当に頭がいい人だな。こういう人が愚かな男を演じると面白い話ができるのでは」「落語に出てくる熊さんのようなキャラクターが、この人ならできるんじゃないか」と着想します。落語の熊さんと結びつけながら「下町の不良少年のなれの果て」というのが、「寅さん」のキャラクター設定だそうです。
この「名人の落語家のような1人語りの面白さ」は後に劇中で、寅さんがマドンナとうまくいっていると“誤解“している時点で柴又に帰郷し、さくら達に美しい思い出を面白おかしく話して聞かせる場面に活かされています。
これをスタッフやキャスト達は「寅のアリア」と呼んでいました。アリアとはオペラにおいて「独唱者にとって聞かせどころとなる曲」のことです。
●柴又という町
柴又帝釈天の舞台設定は、助監督時代に帝釈天参道で食事した思い出から、戦災から逃れた風情の残る街並みと「葛飾、柴又、帝釈天」の語感が良さから決定したとか。
私のような地方出身者にはまるきり理解できませんが、東京生まれの人からすると柴又は「川向こうの辺境の地、下町と呼ぶのには違和感」なのだとか。
だからこそ逆に「あそこならまだ、ギリギリ“粋“というものが残っているかもしれない町」という幻想に繋がったのでは、と小林さんは分析されています。
●寅さんとさくらの禁断のラブストーリー?
寅さんとさくらは「腹違い」の兄妹です。そして、テレビドラマ版の初代さくらは倍賞千恵子さんではなく、長山藍子さんでした。
小林さん曰く「長山さんの肉体から出る色気と、劇中の描写から“通常の兄妹愛ではない“ことは明らか」なのだとか。
だから寅さんはドラマでも映画1作目でもさくらのお見合いを(悪意はないものの)ぶち壊し、主題歌で「オレがいたんじゃお嫁にゃいけぬ」と唄っているのです。
●死亡する最終回
TVドラマ版は小林さん曰く「それほど人気はなかった」と書かれていますが、放送開始当初こそ視聴率は苦戦を続けたものの回数を重ねる毎に少しずつ上昇し、番組終了までに最高20パーセント台に達しています。当時の基準では決して高いとは言えませんが、一方で大健闘の数字、とも言われています。
有名な話ですが最終話で寅さんは奄美大島に一攫千金を狙ってハブ狩りに出かけ、ハブに噛まれて死んでしまいます。ラストシーンは結婚し子どもを身ごもったさくらの元にお祝いのメリーゴーランドを持った寅さん(の幻)が現れ、暗闇の中に消えていく、というものでした。
すると放送後、視聴者から「なんで寅次郎を殺したんだ」と抗議が殺到。関係者は密かな人気ぶりに驚き、映画化につながっていくのです。
●現存しているのは2話のみ
テレビ版の映像は、フジテレビのライブラリーに第1話と最終話だけしか現存しません。当時の2インチフィルムが高額で上書きするのが当たり前(NHKの紅白や大河ドラマですら)で、アーカイブなどという概念もない時代ですので仕方ないのですが、残念ですね。
次回、最終回は映画「男はつらいよ」が国民的人気映画になるまでの経緯から、渥美清さんの生涯を紹介します。
③につづく
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