前回①の続きです。
●日本プロレスのTBSプロレス潰し
老舗の日本プロレスは地方興行におけるTV中継の影響力を痛いほど知っています。それ故に「TBSのプロレス界進出」は大いなる脅威でした。
TBSプロレス中継の放送スタートは1968(昭和43)年1月3日、日大講堂からの生中継。TBSの宣伝にも力が入ります。
日本プロレスは急遽、同日に蔵前国技館を押さえ、日本テレビも放送予定のない水曜日に特番を組む”国際プロレス潰し”シフトで対抗します。
とはいえ正月三賀日の興行のため日本プロレスの試合開始は13時半、TV中継は17時半から。TBSプロレスは試合開始17時半、TV中継は19時からで、同時刻だった訳ではありません。しかし日大講堂と蔵前国技館は至近距離で、マスコミはこぞって「隅田川決戦」とこの興行合戦をセンセーショナルに煽りました。
● 日本プロレス蔵前大会
1月3日当日、13時半から行われた日本プロレス蔵前大会はメインイベントのジャイアント馬場vsクラッシャー リソワスキーのインターナショナル選手権。前年12月(引き分け)の「遺恨決着戦」ということもあり、早朝から当日券を買い求める客で長蛇の列。超満員札止めの12,000人を動員しました。
試合もリソワスキーのメリケンサック攻撃で大流血した馬場が32文ロケット砲で3カウントを奪い王座を防衛。試合後もリソワスキーのセコンドであるビル ミラーと馬場のセコンドであるアントニオ猪木が加わり、大盛り上がりでした。
●TBSプロレス日大講堂大会、テーズvs草津戦の“衝撃“
TBSプロレス日大講堂大会は18時半試合開始。蔵前国技館からハシゴ観戦するプロレスファンもおり6,000人を動員しますが空席が目立つ入り。
当日は日本プロレスと折り合いが悪くなっていた力道山の未亡人である百田敬子さんと息子の百田義浩、光雄兄弟も招待され、まだ大相撲力士時代の天龍源一郎も観戦していたと言われます。
テーズvs草津のTWWA選手権はメインイベントではありますがTV生中継との兼ね合いで第3試合として「逆取り」で行われました。
この試合は残念ながら映像が残っていませんが、試合開始からヘッドシザースやアームロックで草津が攻めるもののテーズは終始余裕で受け流し、逆にグラウンドでも翻弄。
焦った草津がラグビー仕込みのタックルで反撃を試みるものの、不用意にヘッドロックに捉えたところでテーズ必殺のバックドロップが炸裂!
17分50秒、体固めでテーズが先制します。
試合は3本勝負。2本目のゴングがなりますが草津は足元がおぼつかず、レフェリーのフレッド アトキンスは試合続行不能、としてゴングが鳴らされ、「試合放棄」で2-0、テーズの圧勝に終りました。
●草津失神事件の真相
「新団体のエースが新番組のTV生中継でKOされ惨敗を喫する」という異常事態については、後にいろいろと舞台裏が語られています。
後にテーズはTBS側から草津に花を持たせて欲しいと依頼を受けていたと認めた上で故意にノックアウトした、と「通常、3本勝負の場合は1本は相手選手に花を持たせてやるものだが、草津はグリーンボーイに毛が生えた程度。全米で未だメインイベントを取っている私が、そんな駆け出しに1本でも許すなんて、冗談じゃない」と語っています。
ほかにも「東郷は大木金太郎を引き抜く計画があり、草津はかませ犬だった」とか「復権を狙う吉原功氏が仕組んだ(承諾した)」などなど、さまざまな説がありますが…いくらなんでもキャリア2年目の草津が挑めるほどテーズは生やさしい相手ではなく、1本取るどころか18分近く「もたせてもらった」だけで御の字なのです。
「草津はこの一戦でミソがつき、大成できないままだった」とも言われますが、草津を知る関係者やレスラーの話を総合すると、それだけが原因とも思えません。
日本テレビの「プロレス中継」強化
こうして観客動員だけでなく試合内容も天と地程の差がついた「隅田川決戦」は、またしても老舗日本プロレスの圧勝に終わります。
しかし、視聴率は日本テレビ36.3%に対して、TBSも32.3%と大健闘。
以降プロレス界は日本テレビとTBSの対立時代に突入するのですが、TBSが支払うテレビ放映権料は1回あたり220万円と、日本テレビが日本プロレスに支払う放映権料(1回あたり200万円)を上回っていたと言われています。
その後、草津エース路線を諦めたTBSプロレスはサンダー杉山、豊登をテーズに挑戦させ、遂には視聴率で日本テレビを上回るようになっていきます。
これに危機感を覚えた日本テレビは「プロレス中継」の強化に乗り出します。
実はこの時期まで、日本テレビのプロレスを中継 金曜8時の枠は「ディズニーランド」と交互の隔週放送。「ディズニーランド」が放送される週の日本プロレス中継は、22時台に放送されていたのです。
しかし後発のTBSプロレス中継が日本テレビのプロレス中継の視聴率を上回ったことを受け、日本テレビは翌1969(昭和44)年2月から「ディズニーランド」を別枠に移行し、日本プロレス中継が金曜8時を独占することになりました。
>次回、「グレート草津と国際プロレス」に続きます!
コメント
このテーズ、草津戦はリアルタイムじゃないので、最近内容を知ったものですが。そりゃ、偉大なテーズがぽっと出の新人に取らすはずがありません。写真のバックドロップは完璧ですね。続きも楽しみにしてます。
さねもくさん、コメントありがとうございます。私も後追いなのですが、この経緯は面白すぎて、いまだにあちこちで記事を見かけるのも納得です。TV局のやることは昔も今も変わってないですしね(笑)
当時、TV中継を観た方によればテーズノバックドロップは「本気のへそで投げる」ヤツではなく、「比較的ゆっくり大きなフォーム」だったそうですけど、「すこしは気を使ってはみたがやっぱり威力がハンパない」んでしょうね(笑)