80年代のTVバラエティ界で「欽ちゃんファミリー」は、超強力なブランドでした。
今回は「視聴率100%男」と呼ばれた80年代の萩本欽一さんの、人気冠番組から生まれたヒット曲の数々を取り上げます。
視聴率100%男
60年代後期から70年代、ザ・ドリフターズよりも先にブレイクし、お茶の間の人気者だった「コント55号」。80年代に入ると萩本欽一さんは”ソロ”の冠番組で、軒並み高視聴率を記録します。
最盛期の最高視聴率は、
●テレ朝「欽ちゃんのどこまでやるの!(欽どこ)」42.0%
●フジ「欽ドン! 良い子悪い子普通の子」38.8%
●TBS「欽ちゃんの週刊欽曜日」31.7%
という驚異的な数字。これにより萩本欽一さんはTV業界で「視聴率100%男」と呼ばれ、バラエティ界に“君臨“しました。
さらに欽ちゃんはこの時期、フジテレビ「オールスター家族対抗歌合戦」の司会、坂上二郎さんと共にTBS「ぴったしカンカン!」にも出演していました。
「欽ちゃん」笑いのフォーマット
「欽ちゃん」の笑いは、「お年寄りから子供までみんなが笑える」「生番組、公開収録」「シモネタ厳禁」といった共通フォーマットがあり、さらに「シロウト同然のタレント、またはホントのシロウト」相手のハプニング性(シロウトいじり)が特長でした。
また、視聴率へのこだわりと野球ファンである欽ちゃんは「自分の冠番組はナイター中継の裏ではやらない」というポリシーがあり、21時、22時からのプライム枠で設定されていました。
日本の芸能界はその昔から「人気者はレコードを出す」という慣例があり、欽ちゃんも人気絶頂のコント55号時代に、いくつもレコードを発売しています。
それが80年代に入ると、「欽ちゃんファミリー」と呼ばれる若手タレント達のプロデュースという形となり、数多くの楽曲が世に送り出されました。
●「欽ドン!良い子悪い子普通の子」フジテレビ/1981年4月〜1983年9月
1981年4月、「欽ドン!」がリニューアルされて「欽ドン! 良い子悪い子普通の子」となります。
ここでヨシオ・ワルオ・フツオとして欽ちゃんと絡む山口良一、西山浩司、長江健次がユニット「イモ欽トリオ」を結成。デビュー曲「ハイスクールララバイ」が、週間チャート1位、年間でも4位となる、160万枚の大ヒット!
イモ欽トリオ「ハイスクールララバイ」
超人気アイドル「たのきんトリオ」のパロディかつ、YMOの「ライディーン」を細野晴臣氏自らがセルフパロディ、そこに松本隆さんか詩をつけたこの「ハイスクールララバイ」は、いま聴いても普通に名曲。両サイドの2人のコミカルな振り付けと共に、社会現象となるブームを巻き起こしました。
イモ欽トリオのセカンドシングル「ティアドロップ探偵団」も、スマッシュヒットしました。
イモ欽トリオ「ティアドロップ探偵団」
この「欽ドン!」は後に「良いOL・悪いOL・普通のOL」にリニューアルされ、ヨシ山・ワル山・フツ山を演じた生田悦子、松居直美、小柳友貴美によるよせなべトリオ「大きな恋の物語」がヒット。作曲は、“日本のニューウェイヴの旗手“として名高い、プラスチックスの佐久間正英氏でした。
よせなべトリオ「大きな恋の物語」
さらにワルオ役の西山浩司と、悪いOL役の小柳みゆきによるユニット 、ニックじゃがあずのシングル「ヨロシク原宿」は、作詞 松本隆×作曲 筒美京平コンビ、アレンジが後藤次利。テクノ歌謡の隠れた名曲と言われています。
ニックじゃがあず「ヨロシク原宿」
●「欽ちゃんのどこまでやるの!」テレビ朝日/1976年10月〜1986年9月)
テレ朝「欽どこ!」からも、大ヒットが続々と誕生します。
「萩本家」は萩本欽一、真屋順子と見栄晴の3人家族でしたが、その下に三つ子が誕生。のぞみ(高部知子)、かなえ(倉沢淳美)、たまえ(高橋真美)と命名されます。
3人が就寝前にパジャマ姿で歌うエンディングソング「めだかの兄妹」(作詞:荒木とよひさ、作曲:三木たかし、編曲は坂本龍一!)を「わらべ」のユニット名でシングルレコードとして発売するや、88万枚を超える大ヒットに。「新時代の童謡」として世代を超えて愛される楽曲となりました。
わらべ「めだかの兄妹」
この時期、長女「のぞみ」を演じた高部知子が写真週刊誌にベッドで喫煙という“ニャンニャン写真“をスクープされて活動を自粛するトラブルにも見舞われますが、電話で高部が「謝罪」出演した回が番組史上最高の42%の視聴率を獲得するなど、さらに人気が高まる結果に。
高部の脱退で2人になった「わらべ」のセカンドシングル「もしも明日が……。」が前作を上回る97万枚の大ヒットとなり、1984年の年間チャート1位に輝きます(こちらも作詞作曲は前作と同じ荒木&三木コンビですが、編曲はムーンライダースの白井良明さんです!)。
わらべ「もしも明日が・・・。」
サードシングル「時計をとめて」もヒットしました。
わらべ「時計をとめて」
私は何気にこの曲が一番好きでして…。アレンジが秀逸過ぎます。(作詞作曲は荒木三木コンビ、編曲はなんと松武秀樹さんなのでした!)。
この「欽どこ」から生まれたヒット曲としては、レギュラー出演していた細川たかしの「北酒場」があります。
この曲は番組から火がつき、最終的には1982年「レコード大賞グランプリ」を戴冠。授賞式にはもちろん、萩本欽一さんが駆けつけました。
細川たかし「北坂場」
さらに、この「欽どこ!」からは前説を務めていた小堺一機と関根勤もブレイク。
2人が演じたクロコとグレコは単独コーナーを持つまでになり、フジテレビ「笑っていいとも!」の!レギュラー最長記録を保持。小堺は「ライオンのごきげんよう」のメイン司会者として、タモリと並ぶ「平日昼の顔」になりました。
ほかに、小堺一機と、後にゴールインする鳥居かほりと藤井暁アナウンサーによるユニット 、サンドイッチ の「想い出して下さい」(三木たかし作曲)もありました。
サンドイッチ「想い出して下さい」
●「欽ちゃんの週刊欽曜日」TBS/1982年10月~1985年9月
この番組はメインコーナー「欽ちゃんバンド」による音楽が主体。バンドメンバーが続々と歌手デビューし、ヒット曲を量産しました。
1983年、風見慎吾の「僕笑っちゃいます」が口火を切ります(欽ちゃんバンド+森雪之丞 作詞、吉田拓郎 作曲、後藤次利 編曲)。
風見慎吾「僕笑っちゃいます」
同年には、コニタンこと小西博之が清水由貴子とデュエットした「銀座の雨の物語」もスマッシュヒット(作詞 阿久悠×作曲 南こうせつ、編曲は井上鑑!)。
小西博之 清水由貴子「銀座の雨の物語」
カップリングには、バンドメンバーの佐藤B作と天園翔子によるパロディ版が収録されています。
●3番組合同特番
これらの3番組は放送局が異なりますが、「欽ちゃんファミリー番組」として、3番組の出演者が一同に会したスペシャル番組「欽ドン 欽どこ 欽曜日 三番組まとめてドン!!」が1983年秋・年末から1984年春にかけて、フジテレビ → テレビ朝日 → TBSの持ち回りで制作、計3回放送されています。
「欽ドン!」の良い子悪い子普通の子コーナーに他番組のメンバーが出演、欽ちゃんバンドの演奏を3番組の出演者で行う、ドラマ仕立てで出演者が次々と入れ替わるコントなどが繰り広げられました。
●充電と「欽ちゃん」時代の終焉
1985年3月、萩本欽一さんは「充電」と称して当時のレギュラー番組を全て降板、半年間程休養しました。
降板の理由についてご本人は当時、「”100%男”の人気を維持していくことに自信が持てなくなった」と説明。
のちに、当時人気のあった「オレたちひょうきん族」などアドリブ主導のテレビ番組が嫌になった、視聴率が下降気味であることを指摘され嫌気が差した、とも語っています。
コメント
TERU様
記されている欽ちゃんの全盛期は、私は小学校低学年〜中学年で、眠い目を擦りながら(中々最後まで見れない事もありましたが)見ていました。
欽ドンの、ネタの採用者にプレゼントされるトレーナーが欲しくて、7歳上の兄に手伝ってもらってネタを考えて、ハガキを送ったりしました。
この時代の欽ちゃんについては色々なところで回想される事が多いと思いますが、番組から生まれた楽曲という視点は新鮮でした。
ただ、半年の充電期間を経て番組か再開されてまた見始めると、『アレっ?』という感じで違和感を感じ子供心に前ほど楽しく感じられなくなって、次第に見なくなっていった事も、今もリアルに覚えています
コメントありがとうございます!前から「欽ちゃんファミリーの音楽」を取り上げようと思っていましたが、書いてみたら今度は風見慎吾さんのブレイクダンスも取り上げないと、となり、そして続いては「欽ちゃんvsビートたけし」についても書きたくなりました。たまたま昨晩、新作映画の「浅草キッド」を観てしまいまして・・・(笑)。間もなく公開しますのでお楽しみに!