◆プロレス大賞の歴史
「プロレス大賞」は、東京スポーツ新聞社が発表する、プロレス界で最も古く(1974年〜)、栄誉ある賞です。
審査員はスポーツ新聞各社(現在は東京スポーツ、サンケイスポーツ、スポーツニッポン、デイリースポーツ、東京中日スポーツ、日刊スポーツ、スポーツ報知の9社)、プロレス雑誌(現在は週刊プロレスのみ)の記者が選定しています。
このプロレス大賞の歴代受賞者から、日本マット界勢力図の変遷を見ていきましょう。
●MVP受賞回数
アントニオ猪木 6回
天龍源一郎 4回
武藤敬司 4回
ジャンボ鶴田 3回
棚橋弘至 3回
オカダ・カズチカ 3回
ジャイアント馬場 2回
小橋健太 2回
内藤哲也 2回
●年間最高試合賞 選手別受賞回数
天龍源一郎 9回
小橋建太 8回
ジャンボ鶴田 7回
三沢光晴 5回
オカダ・カズチカ 5回
ジャイアント馬場 4回
アントニオ猪木 4回
長州力 4回
スタン・ハンセン 3回
川田利明 3回
丸藤正道 3回
となっています。
◆歴代MVPと年間最高試合
上がその年のMVP、下が年間最高試合(ベストバウト)です。
1974
アントニオ猪木
アントニオ猪木 vs ストロング小林(3/19 新日 蔵前国技館)
1975
ジャイアント馬場
アントニオ猪木 vs B・ロビンソン(12/11 新日 蔵前国技館)
1976
アントニオ猪木
ジャンボ鶴田 vs ラッシャー木村(3/28 全日 蔵前国技館)
1977
アントニオ猪木
ジャンボ鶴田 vs ミル・マスカラス(8/25 全日 田園コロシアム)
1978
アントニオ猪木
ジャンボ鶴田 vs ハーリー・レイス (1/20 全日 帯広市総合体育館)
1979
ジャイアント馬場
馬場&猪木 vs シン&ブッチャー(8/26 夢のオールスター戦 日本武道館)
1980
アントニオ猪木
馬場&鶴田 vs ファンクス(12/11 全日 蔵前国技館)
1981
アントニオ猪木
ジャイアント馬場 vs バーン・ガニア(1/18 全日 後楽園ホール)
1982
タイガーマスク
ジャイアント馬場 vs スタン・ハンセン(2/4 全日 東京体育館)
初期はMVP、最高試合共に猪木が圧倒してます。全日は馬場ではなく鶴田が健闘していますが、後述の「バランスを取った結果」のような気がしてなりません…。馬場の全盛期は60年代で70年を境にガクッと体力が落ちたとされますので仕方のないところ。それでも82年のvsハンセン戦は、久々に馬場の強さが際立った名勝負でした。
そしてこの時期は新日プロと全日プロは互いに目も合わさないほどの冷戦の時代。年に一度、このプロレス大賞の授賞式で一堂に会し、「馬場と猪木が握手した」「猪木と鶴田が喋った」だけで、プロレスファンは幸せな気分になったものです。
1983
ジャンボ鶴田
長州力 vs 藤波辰巳(4/3 新日 蔵前国技館)
1984
ジャンボ鶴田
アントニオ猪木 vs 長州力(8/2 新日 蔵前国技館)
1985
藤波辰巳
ジャンボ鶴田 vs 長州力(11/4 全日 大阪城ホール)
1986
天龍源一郎
藤波辰巳 vs 前田日明(6/12 新日 大阪城ホール)
この時期から長州と天龍がトップクラスの仲間入りを果たし、「鶴藤長天」「俺たちの時代」と言われました。
しかし第1回の猪木ダブル受賞を除けば、この86年頃まではMVPを新日がとればベストバウトは全日、という具合になってます。プロレスマスコミの配慮というかバランス感覚の賜物でしょう。
それが打ち破られたのが、
1987
天龍源一郎
天龍源一郎 vs ジャンボ鶴田(8/31 全日 日本武道館)
1988
天龍源一郎
天龍源一郎 vs スタン・ハンセン(7/27 全日 長野市民体育館)
この2年間。いかに天龍革命が凄かったか、という事ですね。新日プロが第二次UWFに押されてガタガタな時期という事もありますが、地方を含めて連日、手抜きなしの激闘を続ける天龍には記者連の支持も圧倒的でした。
そして
1989
前田日明
天龍源一郎 vs ジャンボ鶴田(6/5 全日 日本武道館)
1990
大仁田厚
大仁田厚 vs ターザン後藤(8/4 FMW レールシティー汐留)
ここに来てUWF前田が初のMVP。そして大仁田がダブル受賞の快挙。空前のUブームと有刺鉄線電流爆破デスマッチのインパクトのなせるワザでしたが、この辺りで長く続いた新日全日2強時代が80年代と共に終焉した感があります。
1991
ジャンボ鶴田
天龍源一郎 vs ハルク・ホーガン(12/12 SWS 東京ドーム)
1992
高田延彦
スタン・ハンセン vs 川田利明(6/5 全日 日本武道館)
1993
天龍源一郎
天龍源一郎 vs 長州力(1/4 新日 東京ドーム)
1994
橋本真也
大仁田&後藤 vs 天龍&原(3/2 WAR 両国国技館)
1995
武藤敬司
川田&田上 vs 三沢&小橋(6/9 全日 日本武道館)
1996
小橋健太
高田延彦 vs 天龍源一郎(9/11 UWFインター 神宮球場)
1997
蝶野正洋
三沢光晴 vs 小橋健太(10/21 全日 日本武道館)
1998
小橋健太
小橋健太 vs 三沢光晴(10/31 全日 日本武道館)
1999
武藤敬司
武藤敬司 vs 天龍源一郎(5/3 新日 福岡国際センター)
90年代は他団体時代にふさわしく、いろんな名前が登場します。中盤からは闘魂三銃士と四天王時代ですね。
2000
桜庭和志
佐々木健介 vs 川田利明(10/9 新日 東京ドーム)
2000年は桜庭が受賞。主戦場がPRIDEであり「プロレスラーなのか?」という議論もありましたが、ホイス・グレイシー戦の勝利はプロレス界の悲願でした。
そしてここから「暗黒のゼロ年代」に突入。
2001
武藤敬司
藤田和之 vs 永田裕志(6/6 新日 日本武道館)
2002
ボブ・サップ
永田裕志 vs 高山善廣(5/2 新日 東京ドーム)
2003
高山善廣
三沢光晴 vs 小橋建太(3/1 NOAH 日本武道館)
2004
佐々木健介
小橋建太 vs 秋山準(7/10 NOAH 東京ドーム)
2005
小島聡
小橋健太 vs 佐々木健介(7/18 NOAH 東京ドーム)
2006
鈴木みのる
丸藤正道 vs KENTA(10/29 NOAH 日本武道館)
2007
三沢光晴
三沢&秋山 vs 小橋&高山(12/2 NOAH 日本武道館)
2008
武藤敬司
丸藤正道 vs 近藤修司(11/3 全日 両国国技館)
2009
棚橋弘至
葛西純 vs 伊東竜二(11/20 大日 後楽園ホール)
2010
杉浦貴
田口&デヴィット vs 飯伏&オメガ(10/11 新日 両国国技館)
…うーん。このラインナップ、書き写すだけで思い出して辛くなります。NOAH好きの人には申し訳ないですがこの時期にプロレスを見始めた人には、私は全力で同情してしまいます。特に2008、9、10年は末期も末期という感じですね。
この潮目が変わったのが、
2011
棚橋弘至
小橋&武藤 vs 矢野&飯塚(8/27 ALL TOGETHER 日本武道館)
この震災復興オールスター戦を経てプロレス人気V字回復の立役者、棚橋弘至が名実共に主役になりました。そしてなんといっても「レインメーカー」オカダ・カズチカの登場です。
2012
オカダ・カズチカ
棚橋弘至 vs オカダ・カズチカ(6/16 新日 大阪府立体育会館)
2013
オカダ・カズチカ
中邑真輔 vs 飯伏幸太(8/4 新日 大阪府立体育会館)
2014
棚橋弘至
オカダ・カズチカvs 中邑真輔
(8/10 新日 西武ドーム)
2015
オカダ・カズチカ
天龍源一郎 vs オカダ・カズチカ(11/15 天龍プロジェクト 両国国技館)
2016
内藤哲也
丸藤正道 vs オカダ・カズチカ(7/18 新日 北海道立総合体育センター)
2017
内藤哲也
オカダ・カズチカ vs ケニー・オメガ(1/4 新日 東京ドーム)
2010年代はオカダ、棚橋、中邑、そして内藤にケニーに飯伏。一気に若返りました。そして、もっとも重要な事は明らかに試合が面白くなったという点です。結果、プロレス人気も復活しました。
◼︎「暗黒のゼロ年代」プロレス人気低迷の理由
2000年代のプロレス人気低迷にはグレイシー、PRIDEなど総合格闘技ブームの影響も確かにありましたが、それに加えて「プロレス(試合)自体がまるで面白くない」のが致命的でした。
私はこの暗黒のゼロ年代は「華も魅力も知恵ない、この時期のエース世代が悪い」と思っていましたが、その上の「三銃士と四天王世代」が、いつまでも上で頑張り過ぎたのも大きな要因なんですね。
プロレスは単なる勝ち負けだけの競技ではないので、余計にバックボーンや思い出のあるロートルが頑張り過ぎると観客はそちらばかりを推してしまい、結果的に業界自体が硬直してしまいます。
思えば馬場も猪木も力道山が急逝したお陰で、三銃士は長州が、四天王は天龍が移籍したお陰で、それぞれ若くして一気にブレイクした訳です。
思い入れのあるベテランが現役を続けられるのもプロレスの魅力のひとつではありますが、やはり体力と共に、試合のクオリティの劣化は否めません。だったらシニアリーグを作って別枠でやらないと「40過ぎて腹の出た元上司や先輩を接待して負けないとならない若手選手」なんて、金払って誰も見たくないのです。
プロレスの定義はさまざま、人それぞれですが、私は「派手な攻防で観客を魅了するスペクタクルスポーツ」「日常のストレスを発散する非日常のエンターテイメント」だと思っています。であれば、やはりリングに上がる以上プロアスリートとしてコンディションを整えた超人でなければ困りますし、エンタメは下克上や掟破りで観客を驚かせてナンボ。職場さながらのサラリーマンの悲哀のようなプロレスなんてクソ喰らえです。
結果として新日プロが復活したのは、前述のゼロ年代のエース世代がメイン、タイトルマッチから撤退して、棚橋、中邑、そしてオカダらの若い世代にその座を譲ったからに他なりません。譲った彼らもエライのかもですが、なによりそれを会社とファンに認めさせた、棚橋弘至選手の功績が、誰よりも大きかったと思います。
そして…改めて、これだけ長期に渡りさまざまなリング、選手とテーマの異なる試合をして受賞している天龍源一郎という選手の偉大さが、よくわかります。
と、言うわけで、次回は天龍がプロレスに覚醒した試合、ビル・ロビンソンとの物語をご紹介します。
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