ヒーローと企業スポンサーのおはなし 60’〜70′

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アイキャッチ 社会、世相
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「Tiger and Banny」(2011〜)は実在する企業スポンサーロゴをコスチュームに入れて戦うヒーローが登場。企業タイアップが話題になりました。

©BNP/T&B PARTNERS

 

また、少し前から既に一社提供ではなくなっていましたが、東芝が「サザエさん」のスポンサーを下りる、というニュースも話題になりました。

 

TV放送、ヒーローものの黎明期である1960年代は、今よりもっと濃密なタイアップ、企業スポンサー戦略がとられていました。

※文中の年号は、TV番組放送スタートの年です


 

●松下電器産業「ナショナルキッド」1960

 

なんといっても有名なのがコレ。

ネーミングからそのまんまですが、オープニング主題歌ではナショナル広告塔の横を飛び、子どもがピンチで呼ぶときはナショナルのトランジスタラジオ、武器である破壊光線銃はナショナル製の懐中電灯そのまんま…というわかりやすさです。

 

https://youtu.be/LA1-W-HdnGE
▲「明るいナショナル」

 


 

家電メーカータイアップでは

●東芝「高速エスパー」1967

も有名です。

サザエさん以前の東芝のキャラクターで、主人公は東ヒカル、同社のイメージソングの一節「光る東芝」から採られており、芝光子というガールフレンドも登場します。

町の電気屋さんの店頭にキャラが立っていて、シャッターにイラストが、ノベルティには指人形や貯金箱が配られる、といった具合に、大いに販促に貢献しました。


▲「光る東芝」!

 


●グリコ「鉄人28号」1963

 

当時のop映像を見ると、主題歌の冒頭&最後に「グリコ、グリコ、グリコー」の企業ジングルが一体化!なかななかのインパクトです。この手法は後番組の「遊星仮面」 1966 でも用いられました。

 


 

●藤沢薬品「風のフジ丸」1964

 

●サンヨー電器「ジャングル大帝」1965

 

少年忍者アニメ「風のフジ丸」、手塚アニメの名作「ジャングル大帝」もオリジナルは主題歌の最後に、しっかりスポンサー名を連呼。

 

後に主題歌音源を販売する際にスポンサージングル部分をカットするのが面倒なのか、徐々に見られなくなりました。

 

60年代は番組キャラクターと「食品」が密接な関わりを持っていて、リアルタイムで世代の方は、

 

●鉄腕アトム 1963 は明治のキャラメル

 

●狼少年ケン 1963 は森永ココア

というイメージが強いようです。

 


 

●武田薬品タケダアワーの「ウルトラマン」1966

 

放送当時のウルトラQ、ウルトラマン、ウルトラセブンはオープニングタイトルの前に「タケダタケダタケダ〜」と連呼する企業ジングルが流れていました。私は世代的にリアルタイムでは見た事がないのですが、マニアが復元したバージョンのビデオを見たことがあります。

 

▼ウルトラマン新番組予告

 

▼ウルトラセブンOP

 

武田薬品一社提供の「タケダアワー」は、主な作品に下記があり、1974年まで続きました。

月光仮面 1958
豹(ジャガー)の眼 1959
隠密剣士 1962
ウルトラQ 1966
ウルトラマン 1966
キャプテンウルトラ 1967
ウルトラセブン 1967
怪奇大作戦 1968
柔道一直線 1969
ガッツジュン 1971
シルバー仮面 1971
アイアンキング 1972

↑もともと本流のウルトラマンシリーズを放送していて、途中から亜流?のシルバー仮面、アイアンキングに変わってるのが面白いですね。

 


 

●丸美屋食品「エイトマン」1963

エイトマンといえばなんといっても「丸美屋のりたま」ふりかけの中に入っているエイトマンシール。当時の子ども達のステイタス、熱狂的ブームでした。

 

丸美屋提供のその他の主な番組は、

スーパージェッター 1965
おそ松くん 1966
快獣ブースカ 1966

などがありました。

 


 

変わりダネでは、「宇宙戦艦ヤマトを作った男〜西崎義展」でもご紹介した

●ワンサくん 1973

 

そもそもが三和銀行のキャラクターありきで、ネーミングもサンワをひっくり返して誕生、というあざとさ。カレンダーにノベルティグッズに大活躍したそうです。

https://youtu.be/nC1Xx9odEXE
▲かなりクセになる曲です。。。

 


 

いずれも私の世代より、もう少し上の時代のお話ですが、60年代育ちの人に話を聞くと、子ども番組=提供スポンサー、の話が上がるほど、強烈な印象だったと伺えます。

 

この傾向は70年代中盤くらいから少なくなり、複数社の提供による番組作りがメインになっていった事も、関係していると思われます。

 

全体的に、当時の厳しい番組製作費用を負担してくれる企業スポンサーに対するリスペクトが、いまよりもストレートに、熱く感じられますね。

 

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