「九電記念体育館」と「プレ日本選手権」の思い出~1978 昭和 新日本プロレス・初の生観戦記

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プロレス
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福岡 九電記念体育会館が2019年3月、閉館したのだそうです。

ココは私の記念すべきプロレス初生観戦の場所・・・今回はこの会場の思い出と共に、「’78 プレ日本選手権」をご紹介します。


 

■福岡・九電記念体育館とは?

 

1970~80年代に福岡で外タレのコンサートがあると決まってココでした。
70年代の大相撲九州場所も、プロレスもココでした。

しかしその後、コンサートは福岡市民会館や福岡サンパレスがメインになり、

大相撲やプロレスも福岡スポーツセンターや国際センター、博多スターレーンに移行して行き、
(いまではマリンメッセ福岡や福岡ドームなんかもあります)

いつしか九電記念体育館の名はすっかり聞かなくなりました。

 

90年代には福岡を離れた私からすると、「まだあったのか」というのが正直な感想です。

 


 

■私のプロレス生観戦

 

1978(昭和53)年12月5日、新日本プロレス「プレ日本選手権権」シリーズ 福岡・九電記念体育館大会。

8歳で祖父に連れて行ってもらったのが、記念すべき私の初・生観戦です。

 

久留米で事業を営んでいた祖父は元柔道日本一、”世界の荒鷲”坂口征二さんと親戚付き合いがありまして、私は控え室に入れてもらい、パンフレットにサインをもらったのです。

…であれば当然、近くにアントニオ猪木さんがいたはずなのですが…当時の私は全日しか観ておらず猪木さんには興味がなく、でスルーするという暴挙!この時の猪木さんは、伝説の「欧州遠征」から帰国したばかりの時期だったんですよね。悔やんでも悔やみきれません(笑)

 


 

■プレ日本選手権とは?

 

1978(昭和53)年11月17日~12月16日に新日本プロレスが開催したシリーズです。

ヒロ マツダをリーダーとして上田馬之助、マサ斎藤、サンダー杉山らフリーランスの「狼軍団」が来襲。

新日勢を含む10選手によるリーグ戦が行われました。

 

出場選手は、藤波辰巳、長州力、星野勘太郎、ストロング小林、坂口征二、マサ斎藤、上田馬之助、剛竜馬、

そしてアントニオ猪木とヒロ マツダ。

 

当時、日本プロレス界は 新日プロ(NET)、全日プロ(日テレ)、国際(TBS)の3団体による戦国時代。

このシリーズはアントニオ猪木が提唱する「日本選手権」構想の文字通り“プレ“イベントでしたが・・・

 

当然のごとく、ジャイアント馬場の全日本プロレスはこれをスルー。逆に、国際プロレスが同時期に開催した『日本リーグ争覇戦』にジャンボ鶴田らを派遣するなどして提携を強め、対抗します。

 

しかしその全日と国際もギクシャクし始め、『日本リーグ争覇戦』を制したラッシャー木村と吉原代表がプレ日本選手権決勝戦の会場に姿を現し、両リーグ戦の優勝者同士による”真の日本一決定戦”をアピール・・・

 

しましたが結局、この話もいつしか立ち消えに・・・というように、各団体が生き残りをかけて、権謀術数が渦巻いていた時期なのでした。

 


 

■12月5日 福岡・九電記念体育館大会

 

この大会は3日後の1978(昭和53)年12月8日にテレビ録画中継され、

①アントニオ猪木vs星野勘太郎
②ヒロ・マツダvs長州力
③NWA認定北米タッグ選手権
 坂口征二、ストロング小林vs上田馬之助、サンダー杉山

の3試合が放送された模様です。

 


 

■アントニオ猪木vs星野勘太郎

 

こんな重要なシリーズにも関わらず、新日本プロレスの総帥・アントニオ猪木は11月末まで欧州遠征に出かけていました。

>「アントニオ猪木 狂気の欧州遠征」はコチラ!

11月26日、シュツットガルトでの”伝説の”ローランボック戦を経て、帰国したばかりのアントニオ猪木は、私が初・生観戦したこの福岡大会では「プレ日本選手権 決勝トーナメント戦」として星野勘太郎とシングルマッチを行いました。

 

https://www.nicovideo.jp/watch/sm33354420

▲なんと試合映像がありました貴重な一戦。
ロープ際、グラウンド、打撃などテクニックの攻防が面白いです。使い始めたばかりの延髄斬りもみられます。

 


 

■ヒロマツダvs長州力

 

これもなかなか貴重な一戦。こちらも「プレ日本選手権 決勝トーナメント戦」として行われました。

ヒロ マツダは、日本プロレスを辞めて単身海外に渡り成功を収めたフリーランスレスラーの始祖的な存在。

ゴッチ門下生でジャーマンスープレックスの使い手でもあり、後にタイガーマスクが戴冠したNWA Jr.王者でもありました。1966(昭和41)年、アメリカ武者修行時代のアントニオ猪木とタッグチームを結成して「テネシー地区認定NWA世界タッグ王座」を獲得したり、1967(昭和42)年には日本のリング(国際プロレス&東京プロレス合同興行)でもタッグを組むなど、猪木とは因縁浅からぬ、”兄弟子”的存在。

 

この日は素足でのドロップキック連発からダブルアームスープレックスで、マツダが順当勝ちしています。

 


 

そのほか、当時のパンフでは第1試合に前田明vs平田淳二のカードも。

当時はこの2人にジョージを加えた「若手三羽鳥」のカードがよく組まれていました。

 

ちなみに佐山聡はこの年からメキシコへ遠征して不在でした。

 


 

■坂口征二&ストロング小林組vs上田馬之助&サンダー杉山 北米タッグ選手権!

 

そしてメインはこのカード。多分にご当地・ビッグサカに気を使ったカードではありますが・・・この坂口・小林組は今は亡きリボルバー内田さん曰く”華のなさでは天下一品”の角刈りコンビ。某方面界隈の方々には熱狂的に支持されること請け合いですが、一本調子の試合のつまらなさでは定評があります。

 

対する上田&杉山組はいわずもがな・・・まともな試合を期待するのはムリな話でして・・・

 

案の定、ひたすら場外でグダグダな攻防に終始する、実に大味な試合に…しかも3本勝負という地獄・・・延々、竹ぼうきを凶器に場外で暴れまわり、両軍共に流血してゴングがずっと乱打されていたことしか、記憶にありません・・・。

というわけで・・・この興業、小学校低学年が初の生観戦するプロレスとしては、なかなかの試練だと思いませんか(笑)。
行く前には学校の友達に「プロレス観に行くから、テレビ中継見てね!」とさんざん自慢したのを後悔するほどの塩っぷり・・・北米タッグめ・・・

「北米タッグ」についてはコチラ


 

ちなみに、1978(昭和53)年12月、この週以降の「ワールドプロレスリング」は・・・

 

12月15日放送 大阪府立体育館より録画中継
WWWFヘビー級選手権 ボブ・バックランドvsアントニオ猪木

 

12月22日放送 蔵前国技館より録画中継
プレ日本選手権決勝戦 アントニオ猪木vsヒロ マツダ

12月29日放送 西独シュツットガルト ギルスベルクホールより録画中継
欧州世界選手権シリーズ決勝戦 アントニオ猪木vsローランド ボック

 

という流れなのでした。すごい時代です。

コメント

  1. コロナ撃退 より:

    いつも楽しみに読ませて頂いてます。私は1969年生まれの52歳。狼軍団とか懐かしいですね。猪木、マツダ戦とか殺伐とした雰囲気で行われたのを子供ながらに覚えています。通勤途中で、TERUさんのブログ、夜は男のロマンLIVE、懐かしラボさんのTUBUがルーティンです。

    • MIYA TERU より:

      コメントありがとうございます!「懐かしラボ」さんが時折話題にしてくれてますが、彼とは90年代からのネット・プロレス仲間です。そのうちChを超えた対抗戦でもできたら面白いんですがw

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