「アントニオ猪木とNWF」①に続き、年次別に『アントニオ猪木のNWF選手権史』を振り返ります。
②の今回は、1974(昭和49)年~1976(昭和51)年です。
<1974(昭和49)年> 日本人対決・シン腕折り事件!
念願の”世界”ベルトを手にした猪木は、
翌1974(昭和49)年、3月のストロング小林(元 国際プロレス)
の日本人対決にこのNWFベルトを賭けて対戦、連続勝利。
”実力日本一”をアピールし、ジャイアント馬場に「対戦要望書」を突き付けて対戦を迫ります。
さらにその間、6月26日、大阪でのシンとの防衛戦では”腕折り”で世間を震撼させ、3月にアメリカ、12月に第二の故郷ブラジルでも防衛戦を行うなど、猪木・新日本プロレスは一気に上昇気流に乗りました。
それに対抗するかのごとく、12月2日、鹿児島でジャイアント馬場が遂にNWA世界ヘビー級王座を日本人初の戴冠。両者のライバル対決が過熱していきます。
3月19日 蔵前国技館 *初防衛
〇アントニオ猪木(19分30秒 原爆固め)ストロング小林●
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3月21日 米オハイオ州クリーブランド スポーツアリーナ *V2
●アントニオ猪木(1-2)アーニー ラッド〇
猪木は小林戦の翌日に渡米し、”毒グモ”ラッドと海外での初防衛戦。1本目は両者リングアウト、2本目はラッドが猪木をフォール。2フォールでないため王座移動なし、という微妙な裁定。試合後にはパワーズとの乱闘も。
この間、新日本プロレス初のシングル総当たり戦「ワールドリーグ戦」を敢行。決勝は同点の猪木、坂口、キラーカールクラップの三つ巴戦となり、2勝した猪木が初制覇。
6月20日 蔵前国技館 *V3
〇アントニオ猪木(2-0)タイガー ジェット シン●
シンの火炎攻撃で猪木が左目の角膜損傷、反則がらみのため王座移動はなし
6月26日 大阪府立体育会館 *V4
〇アントニオ猪木(1-1)タイガー ジェット シン●
1本目は両者リングアウト、2本目で猪木怒りのアームブリーカーからの鉄柱攻撃がシンの左腕を破壊、レフェリーストップで猪木防衛
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7月30日 名古屋市吹上ホール *V5
〇アントニオ猪木(2-1)ジョニー パワーズ●
この間、8月1日と8月8日には師匠カール ゴッチと「実力世界一決定戦」二番勝負を敢行。
1試合目は猪木が、2試合目はゴッチが勝利。
この試合を裁いた特別レフェリー、ルー テーズが刺激を受け、「現役カムバック」を宣言しました。
10月10日 蔵前国技館 *V6
〇アントニオ猪木(13分13秒 体固め)大木金太郎●
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11月1日 札幌中島スポーツセンター *V7
〇アントニオ猪木(1-1)アーニー ラッド●
12月12日 蔵前国技館 *V8
〇アントニオ猪木(28分27秒 卍固め)ストロング小林●
12月15日 ブラジル サンパウロ コリンチャン スタジアム *V9
△アントニオ猪木(19分31秒 両者リングアウト)アンドレ ザ ジャイアント△
このブラジル遠征で猪木はブラジルに永住していた「最後の日本兵」小野田寛郎さんと対面、意気投合して交流が生まれました。また、バーリ・トゥードの強豪、イワン・ゴメスが挑戦を申し出て意気投合したのもこの時でした。
<1975(昭和50)年> シンに王座を奪われるも奪還、テーズ、ロビンソンとの激闘!
この時期、NWF本部からシンとの防衛戦を再三要求されますが猪木は「既に決着はついた」と拒否。2月に自らベルトを返上するトラブルがありました。
結局、3月に広島でシンとの間で「王座決定戦」を行うことになりましたが、なんと猪木がシンのブレーンバスターから完璧なピンフォール負け、シンが第15代王者となります。
その後、猪木は蔵前とカナダでシンに挑戦しますが、いずれも反則がらみで王座奪取ならず。ようやくタイトルを取り返して第16代王者となったのは、6月でした。
猪木はその後、10月にルー テーズ、12月には”至高の60分フルタイム”ビル ロビンソン相手に防衛を果たします。
3月13日 広島県立体育館
〇タイガー ジェット シン(19分24秒 体固め)アントニオ猪木●
*王座決定戦、シンが第15代王者に
3月20日 蔵前国技館
△タイガー ジェット シン(19分01秒 両者リングアウト)アントニオ猪木△
*シンが防衛
この間、「第2回ワールドリーグ戦」。猪木はキラーカールクラップを倒し2連覇を達成。
5月19日 カナダ ケベック州モントリオール ポール サウペ アリーン
△アントニオ猪木(1-1)タイガー ジェット シン△
*シンがV2
6月26日 蔵前国技館
〇アントニオ猪木(2-1)タイガー ジェット シン●
*猪木が第16代王者に
この日のシンはこれまでの狂乱ファイト スタイルではなく、クリーン ファイトで技の応酬を見せる。1本目は猪木が回転足折り固めで、2本目は真のアルゼンチンバックブリーカーで1-1となった決勝の3本本目、猪木がバックドロップ2連発で王座を奪回。
10月9日 蔵前国技館 *初防衛
〇アントニオ猪木(17分40秒 岩石落とし固め)ルー テーズ●
12月11日 蔵前国技館 *V2
△アントニオ猪木(1-1)ビル・ロビンソン△
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<1976(昭和51)年> 格闘技路線スタート!
この1976(昭和51)年は2月6日に柔道・五輪金メダリスト ウイリエム ルスカ、6月26日にはボクシング世界ヘビー級チャンプであるモハメド アリ、10月7日には蔵前でアンドレ ザ ジャイアント、12月12日にはパキスタンで現地の英雄 アクラム ペールワンと”格闘技世界一決定戦”を敢行。猪木の異種格闘技路線がスタートした年です。
>プロレスvs柔道「アントニオ猪木vsウイリエム ルスカ戦」はコチラ!
>20世紀最大のスーパーファイト「アントニオ猪木vsモハメド アリ戦」はコチラ!
>伝説の腕折りマッチ「アントニオ猪木vsアクラム ペールワン戦」はコチラ!
そのため本道のNWFタイトルマッチは4回のみですが、10月のパク ソンナン戦も現地でプロモーターと「地元のパクに華を持たせろ、持たせない」で大揉めに揉め、タイトル戦の前日の試合は猪木が凄惨なシュート マッチを仕掛けた、と言われています。
3月18日 蔵前国技館 *V3
〇アントニオ猪木(2-1)ジョニー パワーズ●
8月5日 蔵前国技館 *V4
△アントニオ猪木(12分43秒 両者リングアウト)タイガー ジェット シン△
10月10日 韓国ソウル奨忠体育館 *V5
〇アントニオ猪木(18分3秒 リングアウト)パク ソンナン●
12月2日 大阪府立体育会館 *V6
〇アントニオ猪木(17分30秒 逆さ押さえ込み)イワン コロフ●
コロフは元WWWF王者(1971年、ブルーノサンマルチノから奪取)。猪木はパワーに苦戦しながらも一瞬の逆さ抑え込みで勝利。
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