「橋本真也」〜1965-2005 愛すべき“破壊王“のトンパチ 伝説!

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プロレス
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7月11日は、“破壊王“橋本真也さんの命日でした。

亡くなってから、もう15年近く経つのですね・・・

今回は愛すべき破壊王の抱腹絶倒な「トンパチ伝説」エピソードをご紹介します!

▲若手時代。古舘伊知郎アナに「戦う渡辺徹」と評され、本人はまんざらでもなかったとか。

 


 

●「トンパチ」とは?

 

プロレスから一般世間に派生したワードとしては「ガチンコ」が有名ですが、それ以外にもたくさん業界用語が存在します。

と、いっても日本プロレスの始祖とも言える力道山が相撲界出身のため、その多くは角界発祥です。

 

・ガチンコ、セメント…真剣勝負
・お米…お金のこと
・ショッパイ…弱い、ヘタクソ、ケチ
・キタを向く…怒る、拗ねる、反対する
・カタくなる…怒る

などなど。

 

中でも面白いのが「トンパチ」「トンボにハチマキ」が語源なのだそうですが…その意味は「見境いのない人」「勘の悪い人」

 

「何をしでかすかわからない、常識の通じない、無鉄砲でアブナイ奴」的な意味合いで使われ、若手時代の前田日明氏もそう呼ばれていました。

 


 

●“破壊王”橋本真也とは

 

1984(昭和59)年に新日本プロレスに入門、同年9月にデビュー。

1989年、海外遠征からの帰国後に同期の武藤敬司、蝶野正洋と「闘魂三銃士」として大ブレイク。

1990年代には「ミスターIWGP」として新日本プロレスのエースとして大活躍。

1999年1.4東京ドームでの「1.4事変」で小川直也との因縁が勃発。

その後は

 

新日本プロレス解雇〜プロレスリングZERO-ONE旗揚げと崩壊〜ハッスル参戦

 

などなど波乱万丈なレスラー人生を歩み、

 

2005(平成17)年7月11日に40歳の若さで非業の死を遂げました。

 


 

●“破壊王“橋本真也 トンパチ伝説

 

お待たせしました。ここからが本題、破壊王のトンパチ エピソードをご紹介しましょう。

 

・坂口征二さん(副社長)の付き人時代、坂口の高価な水虫の薬の瓶を割る

 

・坂口さんが購入した高価な栄養剤を勝手に飲んでしまう

 

・興行収益(現ナマ)の入ったアタッシュケースを旅館に忘れる

 

・さらにそのアタッシュケースを外で開いて札束を風でばらまいてしまう

 

・ミスを連発するため野上彰さんが「付き人の付き人」として橋本選手に付くハメに

 

・猪木対ブッチャーの試合セコンドについた際、反則攻撃に激怒、アントニオ猪木選手(社長)を救うべく、場外に出たブッチャーにキックを見舞い、しばらく試合から干される

 

・ジャパンプロレス分裂後の長州軍団新日Uターンの際、「出戻り」を快く思っていなかったため、地方巡業で対戦相手のヒロ斎藤選手に激しい攻撃を加え負傷させ、試合後に控室で長州さんとマサさんらから「制裁」を受ける

 

・バットマンの大ファンで自分用のバットマンのコスチュームを特注し、それを着たまま外をねり歩く

 

・若き日の武藤さん、蝶野さんとナンパしようと打ち合わせした際、「どこにいい女がいるんだ。図書館かなぁ」とつぶやく

 

・海外遠征時、テネシー州にあるエルヴィス プレスリーの記念館に行ったことをきっかけにプレスリーのファンになり、その後しばらくプレスリーの様な服を着ていた

 

・米国出身のレスラーからは「ファット エルヴィス」というあだ名で呼ばれていた

 

・それ以来、エルヴィス風にもみ上げを伸ばし始めた

 

・後輩の小島聡さんが虫が苦手と知り、公園でセミを大量に捕まえて小島の部屋に放った

 

・エアガンで雀を撃ち落とし、水に付けて羽根を取り、自ら包丁で捌き、茹で、付き人の天山広吉さんに雀とは言わずに食べさせる

 

・天山さんはその後、保健所に電話し「伝染病とかは大丈夫なんでしょうか」と聞いた

 

・台風で増水した多摩川に若手を引き連れて乗り込む

 

・若手を引き連れて釣りに出かけた際、楽しく釣りをする若手に「遊びで来てるんじゃねぇんだ!」と激怒する

 

・「川崎の竹やぶで一億円拾得」のニュースを聞くや探検隊のスタイルで現地に乗り込む

 

・数々の確執で愛憎劇を繰り広げながらも、決別中の2005年のインタビューで尊敬するレスラーは「アントニオ猪木」と即答

 

・アントニオ猪木さん以外では初代タイガーマスクこと佐山聡さんにも憧れ、若手時代は四次元殺法の真似ばかり、元々はジュニアヘビー級のスターを目指していた

 

・ある日「豆腐を作る」と言い出し、苦汁や大豆を買い出しに行き、自ら豆腐を作ったが、食材に拘りすぎるあまり、一丁に1万円かかった上に不味かった

 

・時代劇好きで「根絶やし」「地獄の一丁目」が口癖

 

・ドーム大会控え室で猪木坂口組との対戦前、意気込みを聞かれ「時は来た!それだけや!」とカッコつけてドヤ顔、横にいたパートナーの蝶野さんは笑いを堪えるのに必死

 

・コンビニ前でタバコを吸う高校生に「そんなもん大人になってからやれ!もっと大切なことがあるやろ!」といきなり説教するも握手を求められる(なにが大切なのかは不明)

 

・自分のウルトラマンのおもちゃを息子が触ると激怒する

 

環八通りを走行中、暴走族に腹を立てた助手席の長州力が「チンタ、轢け!」と言ったら「はい」とハンドルを切り、新車のシーマで暴走族4~5人のバイクをホントに轢いた ←NEW!

 


 

どうですか、実にステキですね(笑)

 

新日には珍しいアンコ型体型の見た目で、豪放磊落で細けえこたぁ気にしないようで、実際「ガキ大将がそのまんまオトナになったような人」と評されますが、

 

プライベートでは繊細でナイーブ、そしてとにかく寂しがり屋でわがままで、なにかと手を焼く存在だったのが伺えます。

 

圧倒的な“破壊力“で新日本プロレスのエースとして活躍していた時期から、トニーホームに連敗したり、なかなかG1で優勝できなかったりなど、時折見せる「危うさ」が魅力でした。

 

そしてかの有名な「1.4事変」、小川直也との一戦以降はまさに波瀾万丈。独立後はなかなか思うようにことが進まず悪戦苦闘している姿が痛々しかったですが・・・やはり破壊王はあの屈託のない笑顔が印象的です。安らかに。

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