今回は、1972(昭和47)年にフジテレビで放送された中村敦夫さん主演の傑作時代劇「木枯し紋次郎」をご紹介します!
私の見解では、以前ご紹介した 「田宮二郎」 「天知茂」 と並ぶ、“70年代3大ニヒル”がこの、「中村敦夫さん演じる木枯し紋次郎」だと思います。
●「木枯し紋次郎」とは
原作は笹沢左保氏の同名小説。1971(昭和46)年、「小説現代」に掲載以後、断続的に1999(平成11)年まで書き続けられ、作品数は100を超える、ライフワーク的な作品です。
初の映像化はフジテレビ土曜夜10時枠時代劇「市川崑劇場」と銘打たれ、1972年の元日に放送がスタートしました。
第一部「木枯し紋次郎」
1972(昭和47)年1月1日〜5月12日 18話
第二部 「(続)木枯し紋次郎」
同年11月18日〜1973(昭和48)年3月31日 20話
フジテレビ系 毎週土曜 22:30-23:29
制作:C.A.L、フジテレビ
三度笠に咥えた長い楊枝がトレードマーク、無宿の渡世人「木枯し紋次郎」が主役の股旅もの。
放送が開始されるや否や、夜10時半開始という時間帯にも関わらず視聴率が30%、最高視聴率が38%超えの大ヒット番組になりました(第一部と第二部に分かれている理由は、第8話撮影中に主役の中村敦夫さんが崖から転落、アキレス腱断裂という大怪我を負ったため)。
1972年といえば、第一次田中角栄内閣発足、日中国交正常化、ミュンヘン&札幌オリンピック。横井正一さんが帰国し、ランラン・カンカンが来日。映画「ゴッドファーザー」「ダーティーハリー」がヒットし、TVドラマ「太陽にほえろ!」がスタートした年です。
狂乱の高度経済成長がひと段落し、成熟しはじめた「しらけ」「個人主義と内向性」の時代に、感情を表に出さず、渡世との関わり合いを避ける“厭世的(ニヒル)“な紋次郎のキャラクターがシンクロしたのでしょうかね。
また「市川マジック」と呼ばれる市川崑さんの斬新な演出と、リアリズムを追求した迫真性の高い映像は、その後のテレビ時代劇に大きな影響を与えました(ただし市川崑さんが直接監督(演出)したのは第1話から第3話までと、第18話のみ。全体を通しては「監修」という立場でした)。
●幻の田宮二郎 紋次郎
当初、原作者の笹沢さんは主演に田宮二郎さんをイメージしていたのだそう。しかし市川崑監督の意向で「無名の役者がいい」と中村敦夫さんが抜擢されました。中村敦夫さんは本作で一躍スターダムに駆け上がり、その決め台詞「あっしには関わりのねぇこって」は当時の流行語になりました。
今では紋次郎=中村敦夫さん意外に考えられませんが、個人的には田宮二郎の紋次郎も見てみたかったです。
●木枯し紋次郎はどこが「異色」なのか
ストーリーは、上野新田郡三日月村生まれ、つねに手製の楊枝を口に咥えて“無宿渡世“を貫く木枯し紋次郎の、いわゆる「股旅もの」です。これまでの“義理と人情スタイル“ではなく、他人との関わりを極力避け、己の腕一本で生きようとするクールでニヒルな紋次郎は、時代劇の主役としては異色のキャラクターでした。
主演の中村敦夫さんは後年「今までの時代劇に登場しなかったキャラクターですから、初めはどういう人物か分かりにくかった。市川崑監督も、そういう説明はしてくれませんから。市川さんは自分のイメージした絵から入る人で、僕には『そこで上を向いて立っていろ』『走って、突然止まって、振り向け』とかしか言わない。僕は分からないままやっていました。『紋次郎はこういう奴なのかな』と探りながら進んでいくしかなかった」と語っています。
原作者の笹沢佐保氏は時代劇作家ではなく、推理作家。そのため「木枯し紋次郎」には「推理、謎解き、どんでん返し」が含まれているのも、勧善懲悪とお約束の多い従来の時代劇とは一線を画します。加えて市川崑さんは当時人気のマカロニウェスタンの要素を取り込みます。紋次郎の三度笠は通常のものより大きくテンガロンハット風で、どことなく「夕陽のガンマン」のクリント・イーストウッドを思わせます。
また、「紋次郎は流れ者で正式な剣術を身につけていない」ことから華麗なチャンバラではなく振り回す、叩きつける、突き刺すなどリアリティを重視した擬斗は、みっともなく無様で、そして必死。それでいて最後は楊枝が突き刺さる爽快感もありました。
ぶっかけ飯を粗暴に喰らう食事シーンや衣装のリアルさなど、細かなディテールも見どころ。
同年スタートした後の「必殺シリーズ」1作目「必殺仕掛け人」は、本作に対抗して作られた、と言われています(朝日放送、TBS系列)。
●オープニング映像
なんといっても「木枯し紋次郎」といえば、オープニングのカッコよさです。
「撮影に3ヶ月かけた」といわれる1分半のタイトルバック映像は、市川崑監督のあらゆるテクニックが凝縮され、後のクリエイターに多大な影響を与えました。かつて「記録か芸術か」と論争を巻き起こした「東京オリンピック」同様、スローモーションや一瞬で見逃すほどの細かいインサートカット、マルチカットなどを多用。さらにタイトルが活字体なのも、極太の毛筆体が主流だった当時の時代劇では異色でした。
●大ヒットした主題歌
「だれかが風の中で」作詞:和田夏十/作曲:小室等/編曲:寺島尚彦
フォーク調から始まりスケールの大きなオーケストレーションと、ブラスの響き。西部劇を思わせるモダンさと、孤独とニヒリズム溢れた歌詞で、今なお人気の高い名曲。同年のシングル売上27万枚の大ヒットとなりました。
市川監督は1969年公開の名作西部劇映画「明日に向かって撃て」の主題歌である、「バート バカラックの『雨にぬれても』の雰囲気で作って」と小室等さんにリクエスト。作詞は市川崑監督の奥さんで脚本家の方です。
上條恒彦さんは本格派の歌い手で1971年にグループ「六文銭」でリリースした「出発(たびだち)の歌」がヒット。この曲でソロ歌手とし不動の地位を獲得。俳優として本作の18話にも出演し、後に「3年B組金八先生」などで活躍しました。
●その後の「木枯し紋次郎」
この1972年6月には菅原文太さん主演の東映映画「木枯し紋次郎」9月には「木枯し紋次郎 関わりござんせん」が公開。
1977年には東京12チャンネルで同じ中村敦夫さん主演で「新・木枯し紋次郎」(全26話)が放映。
1993年には、中村敦夫主演による続編、「帰ってきた木枯し紋次郎」がTV放送に先立ち、2週間限定で劇場上映されました(東宝配給)。
そのほか、1990年には岩城光一さん主演(TBS)、2009年には江口洋介さん主演(フジテレビ)の単発ドラマが放映されています。
●有名なナレーション
昭和のナレーションといえばこのお方、芥川隆行さんの美声による名調子が、毎週の番組の締めくくりでした。
木枯し紋次郎
上州新田郡三日月村の貧しい農家に生まれたと言う
十歳の時、故郷を捨て
その後一家は離散したと伝えられ
天涯孤独の紋次郎が何故、
無宿渡世の世界に入ったかは定かでない
完
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コメント
拝啓 サイトヘッド様にはよろしくお願いをいたします。
*「音楽 テーマ曲/BGMの極めて個性的で物凄い作曲家の方々」
まず驚かされたのが「劇伴BGM作曲担当の湯浅譲二さん」この方は、時々NHKの音楽などを担当されておられる程度しか知られておりませんが、実は国内よりも国外海外での評価が高く
元々医者志望の医学部卒でありながら、趣味の音楽「当時の現代音楽程度なら自分でも出来る」と作曲活動を開始し、後に「武満徹氏等の集結した実験工房=あの有名な風月堂でのテープコンサート等で著名」等に参加し、更に「中田一次さん=中田喜直氏の兄」に音楽理論の基礎を学んだだけのほぼ基本は独学の方でしたが、それだけに出て来た音楽は「現代音楽を基本に耳障りの良い音楽は少ないながらも、他の作曲家の方ではまず出来ない創れない音楽」をクリエイトされましたし、この「木枯し紋次郎の劇伴BGM」でも、当時の時代劇音楽とはかけ離れながらも全く独自のBGMを創造されました。何故この湯浅譲二さんが人選されたのかが解りませんが、やはり監督の市川崑やプロデューサーの意向なのか、おそらくは全く違う「現代的な時代劇を目指した?」のかもしれません。更にそれ以上に驚かされたのが「テーマ曲=誰かが風の中で」でしたが、これには本当に驚かされたのです。
実はこの当時「小川真由美主演の女鼠小僧のテーマ曲主題歌」が非常に斬新で、おそらく世間が初めて聴く「えっ?と一瞬仰け反る様な感覚」を覚えた曲でしたが、、、実は典型的な歌謡曲でした。しかしこの「誰かが風の中で」は、歌謡曲とは無縁でありどちらかと言えば「フォークソングにウェスタンをブレンドした様なスタイルを持ったアメリカンポップス」ではないか?と思っています。
小室等は元々フォークの本家であり、当時流行りの「字余り字足らずの歌詞に無理やりメロディーを付けた」様な曲が流行っていた時代の中心にいた人物でした。当然そういった人がメロディーを作曲すれば大体こういったメロディーが生まれるのは想像できますが、驚くのはこのメロディーを「作編曲家の寺島尚彦氏に直接持ち込みアレンジを依頼した」と言われます。
この「寺島尚彦氏」は学業途中で名匠「池内友次郎さんに師事」しその後東京芸大卒の超エリートであり、徹底したクラシック音楽の基礎を収めた方でした。確かに作曲編曲、の作品の数は多くなく「さとうきび畑」のみが知られる様で極めて残念ですが、「ピープロのスペクトルマン映画版の音楽」等も担当され、知られざる作品も多いのです。
この「誰かが風の中で のアレンジ」は、物凄く良く出来た素晴らしい名編曲として歴史に残る大傑作と言えます。まず「かなり大編成のオーケストラを使い、1コーラスと2コーラスとでは全く編曲の構成を変化させ、聴いている者を飽きさせません。更に当時珍しい「ツインギター」を用い、後にベース、セットドラムスと次第に楽器を増やしエンドでブラス含んで爆発させるテクニック、更に2コーラス目では一瞬出てくる印象的な「チェンバロ」の音色、実に効果的な弦ストリングス=マックススタイナーを思わせる様な広大な使い方と鳴らし方等は素晴らしいテクニックを持っておられると驚かされました。特に印象的なのは「1コーラスから2コーラスに移る際のティンパニーの連打」、、、つまりこの誰かが風の中では、一種独自の全編ストーリーの構成になっているのだと気づかされます。また「上条恒彦が上手く歌ってくれた」のも大きかった。世間や一般視聴者コンシューマーは「せいぜいドラマの中身程度しか興味無い」のは解っていますが、当時から自分は「木枯し紋次郎の持つドラマティックな意外性と素晴らしい音楽」に気づいておりました。後年「当時の撮影所巡りで、主役の中村敦夫さんがいみじくも、もう駄目だよ 出涸らし紋次郎だよ」ってなジョークを飛ばしていましたが、確実に時代劇の一時代を築き、全く独自路線で名を遺した木枯し紋次郎ってぇ、もしかして凄い時代劇だったのではないか?と今更強く感じました。 敬具