デビッド・ボウイ ―
2016年1月10日にこの世を去り大きなニュースとなりましたが、私の洋楽におけるフェイバリット・アーティスト、というとこの人です。(フェイバリット・ボーカリスト、となるとロバート・パーマーなんですが)
今回は、「デヴィッド・ボウイ入門講座」的に、
・wikiの記述を引用して →以下、私的補足解説していきます。
・デヴィッド・ボウイはイギリスのマルチ・ミュージシャンであり、俳優としても長いキャリアを持つ。
・2000年、雑誌『NME』がミュージシャンを対象に行ったアンケートでは、「20世紀で最も影響力のあるアーティスト」に選ばれた。
→この「ミュージシャンが選んだ」ってとこがポイントです。「なにがそんなにスゴイの?」をこれから説明して書きます。
”変化”し続けたデビッド・ボウイ
・大抵、名声を得たミュージシャンは、その時点までに確立した己のスタイルを貫こうとし、ファンもまたそれを望んでいるものだが、ボウイの場合はスタイルを変化させることによってファンを失う危険をものともせず、様々なジャンルにわたる大胆な音楽性の変化を繰り返し、それぞれのジャンルにおいてエポックメイキングな作品をリリースしている。
→ちなみに、wikiの「ジャンル」欄はこうなっています。
ロック
ポップ
アート・ロック
グラムロック
プログレッシブ・ロック
エクスペリメンタル・ロック
クラウト・ロック
ポストパンク
電子音楽
アンビエント
ブルー・アイド・ソウル
インダストリアル
テクノ
ジャズ
ファンク
ディスコ
フォーク
時系列はめちゃめちゃですが、もう、やってないのは演歌と民謡くらいじゃないか、ってな具合です。
ある時はアルバム単位でジャンルを変えて、熱狂していたファンを驚かせ、混乱させ、失望させ、また新しいファンを獲得する、という事を繰り返します。
代表的な例では、グラムロック時代に ジギー・スターダストという宇宙人キャラクターを演じて、人気絶頂で消滅させたり。
これも後ほど、詳しく説明します。
デビッド・ボウイが与えた影響
・そのためか、70年代・80年代以降のミュージック・シーンは、なにかしらボウイの音楽的影響を受けているミュージシャンも多い。海外ではジャパンやデヴィッド・バーン、カルチャー・クラブ、ヴィサージ、スパンダー・バレエ、デュラン・デュラン、トレント・レズナー、ビリー・コーガンなど、多方面に亘る。
→日本においては、70年代の沢田研二がまさに和製デヴィッド・ボウイでした。
妖艶なメイクアップ、ド派手なコスチューム、コンセプチュアルなセルフプロデュースは、ボウイの影響がものすごく大きいです。
その路線を引き継いだ同じナベプロの初期 吉川晃司、その名もBoφwyの氷室京介&布袋寅泰らも、フェイバリットアーティストはボウイです。
ちなみに、1978年の来日時、ワールド・ツアーを終えたボウイの打ち上げパーティーが六本木のクラブBeeで行われました。この時のボウイとジュリーのツーショットは有名です。
このパーティーには、内田裕也、黒柳徹子、横尾忠則、三宅一生、デヴィ夫人等も出席していたそうです。濃いメンツですね。
「カルト」と「メジャー」を行き来するボウイ
・また、「メジャーなカルトヒーロー」と言われ、時代時代の音楽に対する明敏さを生かし、それまでとは打って変わった音楽性という実験を繰り返しながら、様々な意味での自己刷新を計ることが多いため、安定した商業面での成功をおさめるには不利といえるが、セールス的には成功している部類に入り、アーティステックな面と商業面をうまく両立させている、数少ないミュージシャンのうちの一人である。
→レッツ・ダンス で一躍メジャーなロック・スタァになるまでのボウイは、実は通好みのマニアックなカルト・ヒーローだったのです。
実際、あのアルバム以降のメジャー路線ぶりから、かつてのマニア層からは ボウイは終わった、と総スカンを喰らうのですが、いま改めて聴いてみるとこの時代のボウイもしっかりボウイ節であり、クオリティは高いんですよね。
そしてその後も飄々とスタイルを変え、最期まで落ちぶれていないところがスゴイところです。
・1973年には初の日本公演を果たしている。飛行機恐怖症のため船で来日し、シベリア鉄道で帰国した。
→私が初めて生でボウイを観たのは90年の東京ドーム公演1日目でした。
私は直前に大病を患い手術、入院していたのですが、ボウイが「このツアーで過去の楽曲を封印する。演奏する事は二度とない」と言うので退院を強引に早め、友人にレンタカーで迎えに来てもらって病院からドームに直行しました。
・・・が、ボウイは体調不良を理由に、アンコールしないで公演は終了しました。絶対にキライな飛行機の影響です(笑)そしてその後のツアーでも、ボウイは平気な顔していまだに過去の楽曲を演奏し続けています(笑)
・2000年に大英帝国勲章コマンダーを、2003年には大英帝国騎士号をそれぞれ叙勲辞退している。
→以上、デヴィッドボウイの概要についてでした。
wikiへの補足説明はこのくらいにして、次回以降、変節とエピソードを紹介していきます。
★David Bowie history Blog INDEX
「デヴィッド・ボウイ」①~変幻自在のロックスタァ入門
「デヴィッド・ボウイ」②~スペースオディティ 宇宙の旅
「デヴィッド・ボウイ」③~ジギー・スターダストとは何か?
「デヴィッド・ボウイ」④~プラスティック・ソウル
「デヴィッド・ボウイ」⑤~ベルリン・プログレ
「デヴィッド・ボウイ」⑥~前半まとめ&来日公演
「デヴィッド・ボウイ」⑦~レッツ・ダンス
「デヴィッド・ボウイ」⑧~ライブ・エイド
「デヴィッド・ボウイ」⑨~Tin Machine
「デヴィッド・ボウイ」⑩~ Sound + Vision Tour
「デヴィッド・ボウイ」⑪~Black Tie White Noise / OUTSIDE
「デヴィッド・ボウイ」⑫~Earthring & 中期以降のまとめ
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