松田聖子 1981年”最強”説
80年代を代表するアイドルといえば、なんといってもこの人、松田聖子。
当時、後に続くアイドルはもちろん、クラスの女子も全員「聖子ちゃんカット」という社会現象。「お人形さんのような」正統派のトップ中のトップアイドルでした。
でも、実は・・・私は、当時そこまで聖子ちゃんに熱狂したクチでもなく・・・「なんでそこまで人気があるんだろう」的な感じでした。
正直言うと、ハスキーボイスで苦しそうに歌うイメージが強く、「歌が上手い!」という認識もなく、「かわい子ちゃんがウリ」だと思い込んでいました。
ところが。
最近、何気なく初期の楽曲を聴いてみたら・・・
その認識が完全に間違いで、甘過ぎたことにいまさらながら、気がつきました…。
彼女はルックスではなく、事務所のパワープッシュもなく、その唄声で自らあの地位を勝ち獲っていたのです。
メジャーであり過ぎるがために、まさに「知ってるつもり」な誤解&勘違い。さらにいろいろを調べる中で、中でも「1981年の松田聖子」が、私の中で、別格の存在となりました。
そして、これまで私もそうだった「聖子ちゃん=赤いスイートピー=松本隆さん一択」という風潮に、異論を唱えたくなりました。
その理由を、これから解析していきます。
聖子はなぜ「ポスト百恵」になれたのか?
松田聖子さんは福岡県久留米市出身。1978年4月、ミス・セブンティーンコンテスト(集英社・CBSソニー共催)の九州地区大会で、桜田淳子の「気まぐれヴィーナス」を歌い優勝。
しかし、両親の反対で全国大会を辞退します。
当時のCBSソニー制作部の若松宗雄プロデューサーが「売れる声だ」と確信しスカウト。聖子と連絡を取り続け、東京でプロモーションを始めていました。
若松氏は聖子の唄声を初めて聴いた時の衝撃を「まるで夏の終わりの嵐が過ぎたあと、どこまでも突き抜けた晴れやかな青空を見た時のような衝撃でした」と語っています。
所属先となるサンミュージックは、数社目に訪れた事務所だったそうです。
実はサンミュージックは翌年2月に中山圭子さんという別の歌手を、同じCBSソニーからCMとタイアップして売り出す予定があり、この売り込みを断るつもりでした。
当時のサンミュージック社長、相澤秀禎氏は聖子に「垢抜けず爽やかでもない」という印象を持ち、男性スタッフも同様に興味を持たなかったそうですが、音楽プロデューサーとして信頼する女性スタッフが聖子の唄声を熱烈に推したことで「高校を卒業して、上京したらうちで預かりましょう」となり、CBSソニーのスタッフと共に久留米の実家へ説得に赴きます。
しかし公務員で厳格な父親の了解はなかなか得られず、ようやく「高校を卒業してからなら」の条件付きで、東京行きが決まりました。
しかし聖子さんは自身の意思で、高校在学中に上京。
1979年の11月スタートの日本テレビドラマ「おだいじに」で事務所の先輩、太川陽介の相手役オーディションに合格、歌手より先に女優デビュー。そして、芸名もドラマの役名と同じ「松田聖子」に決まります。
そのドラマ中に洗顔料「エクボ」CMモデルオーディションを受けましたが、「エクボができない」という理由で落選。サンミュージック側も聖子のビジュアルには期待しておらず、別の女性が出演します。しかし、せめて唄だけでも、とCMソングを担当することになります。
それがデビュー曲の「裸足の季節」です(当初タイトルはそのまんま「エクボの季節」だったそうです)。
松田聖子のデビューは1980年4月。その前月、70年代を代表するスーパーアイドル山口百恵さんが引退発表をしていました。
そのため松田聖子は「ポスト百恵は誰だ?」というメディアの話題にたびたび登り、いきなり注目の的になる、という幸運に恵まれます。
そしてリリースされた2曲目の「青い珊瑚礁」が大ヒット。2人はザ・ベストテンで運命の、最初で最後の競演を果たします。
こうして“アイドル交代“を強く印象付けた松田聖子は、文字通り80年代を象徴するスーパーアイドルとなり、そこからの快進撃は、皆さんご存知の通りです。
中山圭子の悲劇と松田聖子の強運
中山圭子さんは聖子と違い、サンミュージックからの熱烈なスカウトを受けた期待の新星で「彼女をデビューさせるまで他の子はデビューさせない」という確約までありました。
1980年、酒井政利プロデュース、作詞:阿木燿子、作曲:南こうせつのコンビによる楽曲「パパが私を愛してる」で、ユニリーバのシャンプー「ティモテ」のCMタイアップを付けた大々的なデビューが予定されていました。
しかし、このシャンプーの成分の一部に日本で認可されていないものが含まれている事が判明し、輸入延期、CMも放送中止になるという不運。
タイアップ戦略を失い楽曲のみで売り出した結果、デビューは散々たる結果に。その後も本人出演のタイガー魔法瓶CMタイアップ曲として2曲目をリリースしましたがヒットには恵まれず、1981年に事務所を退社しました。
もし、先行するアイドル・中山圭子のプロモーションが、順調だったら。
そして松田聖子が事務所の言う通り、高校を卒業してから上京していたら…
松田聖子というスーパーアイドルは存在せず、80年代のミュージックシーンはまったく別物になっていたことでしょう。
このタイミングと幸運を自ら引き寄せたあたりが、松田聖子がスーパーアイドルたる所以かもしれません。
1980(昭和55)年
デビューの年、1980年は3曲のシングルをリリースしています。
01_裸足の季節(1980年4月1日)
作詞:三浦徳子、作曲:小田裕一郎、編曲:信田かずお
セカンドシングルの大ヒットの印象が過ぎて、今やオーストラリアの首都並みに難易度が高くなったデビュー曲がこの「裸足の季節」。
「O脚だから」とデビューし損いそうになった危機を乗り越え、ようやく掴んだCMタイアップも、「エクボがない」という理由で画面には映して映してもらえず、おまけに当初は楽曲のクレジットもなしという、まさに逆境の中での船出でした。
それでもCMタイアップが功を奏し、オリコンシングルランキング最高位12位、30万超のセールスを記録。新人アイドル歌手としては、まずまずの滑り出しです。
02_青い珊瑚礁(1980年7月1日)
作詞:三浦徳子、作曲:小田裕一郎、編曲:大村雅朗
そして松田聖子の名を広く世間に認知させたのが、セカンドシングル「青い珊瑚礁」の大ヒットです。オリコン初登場は87位でしたが、その後セールスは上昇カーブを描き、発売から2ヶ月後の9月8日付オリコンチャートで、2位を獲得(1位は長渕剛の「順子」)。
この曲はデビュー曲よりも松田聖子特有の伸びやか過ぎるハイトーンを全面に打ち出し、爽やかな楽曲のテーマと共に、TVの歌番組の視聴者層のハートを「この子、誰?」「なんかめちゃくちゃ可愛くない?」と一気に鷲掴みにするインパクトがありました。
作詞を担当した三浦徳子さんは、初対面の印象を「(オーラは)そのときには感じなかったけど、スタジオで声を出したとき、すごくいい声なんですよ。声量がすごくあったの」と語っています。
そして特筆すべきは、この楽曲からアレンジャーにこの後の松田聖子ワールドを支え続ける天才・大村雅朗さんが加わったことです。
03_風は秋色(1980年10月1日)
作詞:三浦徳子、作曲:小田裕一郎、編曲:信田かずお
どうですかこの伸びやかな歌声。翌1981年・最強ロードへの幕開け的なこの曲。
全くもって歌詞の中に秋色もなにも出てこない。秋の歌なのに妙に明るくポップ。でも名曲。そしてこれが「ミルキィスマイル」ではなく「風は秋色」なところが凄い。
実はこの曲、メロディラインが前曲「青い珊瑚礁」をほぼ踏襲して作られています。これはレコードセールス戦略上、常套手法。デビューから彼女を支えた作曲家・小田裕一郎氏の最後のシングル(A面)曲となりました。
松田聖子はこの楽曲で自身初のオリコン1位を獲得。ここから8年間、オリコンチャートで「シングル24作連続1位」を獲得し続けて行きます。
1981(昭和56)年
そして遂に、私が”最強”と訴える、2年目の1981年がスタートします。
04_チェリーブラッサム(1981年1月21日)
作詞:三浦徳子、作曲:財津和夫、編曲:大村雅朗
私がもっとも好きな聖子シングル、そしてタイトルと楽曲が一致しないナンバーワンでもあります。
元チューリップの財津和夫氏が手がけたこの曲に対し、本人は当初、「自身のイメージと違う」とあまり気に入らなかったそうです。
確かにドラマチックでハードなアレンジがELTの先取り的。ハードなギターのリフとピアノが、カッコよすぎます。
歌い出しから伸びやか過ぎるハイトーン…。これこそが初期・松田聖子の魅力なのです。
05_夏の扉(1981年4月21日)
作詞:三浦徳子、作曲:財津和夫、編曲:大村雅朗
私が好きな楽曲第2位はこの曲。まさに”ザ・松田聖子”、問答無用の80年代最強の王道アイドルソング。このイントロは「ゲッターロボ」に匹敵するほど、テンションが爆上がりします。
肩出しミニスカドレスでフリフリ、クネクネの”悶絶”聖子ムーブは、時代を超えて見る者をノックアウトする魔力があります。
今剛さんのギターソロは難易度が高く、各TV歌番組のバンドのギタリストの、腕の見せ所でした。
06_白いパラソル(1981年7月21日)
作詞:松本隆、作曲:財津和夫、編曲:大村雅朗
そして6枚目のシングル「白いパラソル」。一転して初となるミディアムナンバーで、ここで初めて、松本隆氏が作詞を担当します。
歌詞やタイトルから「A LONG VACATION」との関連性が指摘されるため、本楽曲も大瀧詠一さん作と勘違いされがちですが、財津和夫さんの作曲です。
レコーディング当時、アレンジがかなり難航したと言われており、さまざまなアレンジ違いのデモテープが存在しています。
07_風立ちぬ(1981年10月7日)
作詞:松本隆、作曲:大瀧詠一、編曲:多羅尾伴内
そして7枚目のシングル「風立ちぬ」で、遂に大瀧詠一さんが作曲・編曲で登場!当時アルバム「A LONG VACATION」が大ヒット中の大瀧さんの起用は、当然作詞の松本隆さんの力が大きかったことでしょう。
プロデューサーの若松氏は「聖子の娯楽性に、松本さんの文学的な才能と大瀧さんの音楽性が加り、間違いなく松田聖子のアーティスト性がぐっと広がったエポックな作品」と語っています。
1982(昭和57)年
08_赤いスイートピー(1982年1月21日)
作詞:松本隆、作曲:呉田軽穂、編曲:松任谷正隆
そして翌1982(昭和57)年1月。いまでは「松田聖子の代表曲」と言えばコレ、の「赤いスイートピー」がリリースされます。
松任谷由実(ユーミン)の松田聖子への初提供楽曲で、松本隆さんの死の世界観を含めて傑作・名作であることは言うまでもないのですが、前年の1981年のシングルと聴き比べてもらえればお分かりの通り・・・
この82年になると、デビュー以来の喉の酷使から自慢のハイトーンが苦しくなり、ハスキーボイスになっています。「赤いバルコニー」は、その対策としてリリースされた、スローバラードなのです。
結果的にはそれが「キャンディボイス」という、新たな彼女のウリになるのですが…私はやはり、1980年~1981年の「伸びやか過ぎるハイトーン」の松田聖子に、圧倒されるのです。
アイドルとして完成しつつ、ギリギリ初々しさがあり、ビジュアルも素朴であざと過ぎて胸やけする前、そして、なんといっても唄声の凄さ、という点で、1981年最強説を推すのです。
09_渚のバルコニー(1982年4月21日)
作詞:松本隆、作曲:呉田軽穂、編曲:松任谷正隆
10_小麦色のマーメイド(1982年7月21日)
作詞:松本隆、作曲:呉田軽穂、編曲:松任谷正隆
11_野ばらのエチュード(1982年10月21日)
作詞:松本隆、作曲:財津和夫、編曲:大村雅朗
1983(昭和58)年
12_秘密の花園(1983年2月3日)
作詞:松本隆、作曲:呉田軽穂、編曲:松任谷正隆
13_天国のキッス(1983年4月27日)
作詞:松本隆、作曲:細野晴臣、編曲:細野晴臣
14_ガラスの林檎(1983月8月1日)
作詞:松本隆、作曲:細野晴臣、編曲:細野晴臣、大村雅朗
SWEET MEMORIES
作詞:松本隆、作曲:大村雅朗、編曲:大村雅朗
15_瞳はダイアモンド(1983年10月28日)
作詞:松本隆、作曲:呉田軽穂、編曲:松任谷正隆
1984(昭和59)年
16_Rock’n Rouge(1984年2月1日)
作詞:松本隆、作曲:呉田軽穂、編曲:松任谷正隆
17_時間の国のアリス(1984年5月10日)
作詞:松本隆、作曲:呉田軽穂、編曲:大村雅朗
18_ピンクのモーツァルト(1984年8月1日)
作詞:松本隆、作曲:細野晴臣、編曲:細野晴臣・松任谷正隆
19_ハートのイアリング(1984年11月1日)
作詞:松本隆、作曲:Holland Rose、編曲:大村雅朗
20_天使のウィンク(1985年1月30日)
作詞:尾崎亜美、作曲:尾崎亜美、編曲:大村雅朗
21_ボーイの季節(1985年5月9日)
作詞:尾崎亜美、作曲:尾崎亜美、編曲:大村雅朗
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③「1984年の荻野目洋子」一緒にボーリングの思い出と初期楽曲紹介
②「1985年の斉藤由貴」 『卒業』『AXIA』を考察する
①「1981年の松田聖子」 81年「最強」説
コメント
残念ながら、聖子より、中山圭子の方が歌唱力がありました。
声質は、地味ながらキレイです。音程も合っています。
聖子は、歌うときの思いっきりはいいですが、時々音程が外れていますよ。
あと、本人が歌唱力を鼻にかけて歌うのも考えものです。
これは、ドリカムの口デカおばさんも同様です。
特にドリカムの口デカおばさんの方は、本人気づいていないようですが、近年生歌では音程を外しています。
聖子の場合、好き嫌いが分かれるのはありますが、昔、聖子の人気があったとき(84年か85年ごろだったと思います)に母とテレビを見ていて、私と姉「聖子ちゃんかわいい。歌上手い」母「音痴やん」。ただ内心、「下手だな~」と思ったことを子供心ながら未だに覚えています。
以降、聖子は下手。男に節操がないキャラが嫌いです。
尾崎亜美の「天使のウィンク」大好きなので、尾崎亜美バージョンで聴きます。
80年デビューは、良美は歌が上手いです。それに、奈保子は歌唱は地味ですが、聖子より音程が安定していますよ。
コメントありがとうございます。唄のうまい、ヘタは私は論評する立場にはありません。
ただ、私は「後の聖子」と「81年の聖子」をごちゃ混ぜにして評価していたので、「誤解しててごめんなさい」と書いたのでした。