昭和特撮 日曜夜7時の仁義なき視聴率戦争!〜1971 ミラーマンvsシルバー仮面/アイアンキング

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ミラーマン シルバー仮面 アイアンキング 特撮
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今回は1971年、第二次怪獣ブームに巻き起こった日曜夜7時の視聴率戦争と、その意外な勝利者についてお届けします!

 

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第一次視聴率戦争~「シルバー仮面」(TBS)VS「ミラーマン」(フジテレビ)

 

大阪万博の翌年、1971(昭和46)年。この年は春から「宇宙猿人ゴリ(スペクトルマン)」(フジテレビ)を皮切りに「帰ってきたウルトラマン」(TBS)、「仮面ライダー」(毎日放送・TBS)の放送がスタート。「第二次怪獣(特撮/変身)ブーム」が巻き起こった年です。

 

TBSは11月28日、「シルバー仮面」の放送を開始。
フジテレビはその1週間後、12月5日に「ミラーマン」をスタート。

 

この2つの番組の放送時間は、どちらも日曜夜7時のゴールデンタイム。NET(現・テレビ朝日)の人気番組「アップダウンクイズ」などが放送される激戦区で、視聴率を競い合う「裏番組」でした。

 

当時はまだ家庭用ビデオデッキもなく、多くの家庭ではTV受像機自体が1家に1台。さらにはリモコンもなく、チャンネルはガチャガチャの時代です。もちろんネットやCSなどの見逃し配信も、ビデオやDVDなどのメディア販売もありません。

 

そのため当時のちびっこ達にとって、「どっちの番組を見るか、どっちを見ないか?」は令和の今となっては想像できない程、非常に“深刻な問題”でした。

 

番組供給側のTV各局は、どうやって自局の番組をちびっ子たちに見てもらうか、新聞や雑誌などあらゆるメディアを使い、“熾烈かつ、仁義なき視聴率戦争“を繰り広げていました。

 

さらにこの2つの番組は、制作陣にとっても負けられない理由がありました。

 

「シルバー仮面」(宣広社)は、第一次怪獣ブーム後に経営難となった円谷プロを離脱したスタッフにより設立された、日本現代企画が制作。

 

対する「ミラーマン」は、円谷プロの制作。

 

言ってみれば、“分家 対 本家” の争いなのです。

シルバー仮面 ミラーマン

 

 

孤高のさすらいヒーロー「シルバー仮面」とは

 

シルバー仮面

シルバー仮面
1971(昭和46)年11月28日〜1972(昭和47)年5月21日
TBS系 毎週日曜日 19:00 – 19:30
全26話
宣弘社/日本現代企画

 

 

「ミラーマン」より一週早くスタートしたTBS「シルバー仮面」は、
日曜夜7時のTBS系・「タケダアワー」の番組です。

 

タケダアワーとは、武田薬品工業(現・アリナミン製薬)が1社提供する放送枠。1958(昭和33)年の「月光仮面」に始まり、1966(昭和41)年から「ウルトラQ」「ウルトラマン」「キャプテンウルトラ」「ウルトラセブン」が視聴率30%超えを連発、社会現象ともいえる超人気を誇っていました。

 

その後、「怪奇大作戦」(1968/昭和43年)で視聴率が下落すると、
若きささきいさおさんが主演を務めた怪奇時代劇「妖術武芸帳」(東映京都テレビプロ)を挟んで、1969(昭和44)年からは「柔道一直線」(東映)、「ガッツジュン」(宣弘社プロダクション)の、”スポ根ドラマ”が人気を博していました。

 

前述の通り1971(昭和46)年、第二次怪獣(特撮/変身)ブームに火をつけた「宇宙猿人ゴリ(スペクトルマン)」「帰ってきたウルトラマン」「仮面ライダー」が誕生する一方で、“スポ根”ブームをけん引してきた「巨人の星」「タイガーマスク」「アタックNo.1」「金メダルへのターン!」などの人気番組が続々と終了。

 

「シルバー仮面」はそんな時期に、「タケダアワーに久々の特撮ヒーローを!」との思いで生まれた番組でした。

 

ちなみに、「宇宙猿人ゴリ(スペクトルマン)」(フジテレビ)の裏番組は「巨人の星」(日本テレビ)。
そして本作「シルバー仮面」初回放送時の裏番組は「アタックNo.1」(フジテレビ)の最終回。

 

さらに、「アタックNo.1」(~「ミラーマン」)のスポンサーは大塚製薬であり、「シルバー仮面」のスポンサー武田薬品としても“負けられない戦い”でした。

 

「シルバー仮面」の製作は、TBSタケダアワーの代理店である宣広社。実番組制作は日本現代企画が担当し、実相寺昭雄監督のコダイグループがサポートする陣容でした。

 

この日本現代企画とコダイグループのスタッフの多くは、円谷プロのOBもしくは関係者。

 

円谷プロ創業者で「特撮の神様」と呼ばれた円谷英二氏が1969(昭和44)年に体調を崩し、1970(昭和45)年に死去。

 

赤字経営が続いていた円谷プロは経営の合理化で多くの社員スタッフがリストラされ、TBSから出向していた実相寺監督も円谷プロを離れることになりました。

 

そんな時期に制作された「シルバー仮面」には、実相寺監督、池谷仙克いけや のりよし氏(「ウルトラシリーズの美術デザイナー)、脚本家の佐々木守氏(「ウルトラマン」「怪奇大作戦」)らが集結。さらにTBSプロデューサーは当時、「帰ってきたウルトラマン」を担当していた橋本洋二氏です。

 

この時期、TBSでは次作となる「ウルトラマンA」の企画も進行し始めており、「シルバー仮面」と「帰ってきたウルトラマン」「ウルトラマンA」の両方に関係したスタッフが多くいます。

 

このような背景から、制作会社が違うのになんだか根っこは同じ、細かな類似点が見られるのも、子供のころには理解できなかった、昭和特撮の面白い点です。

 

結論から言うとこの「シルバー仮面」は視聴率で苦戦し、テコ入れのため第11話からヒーローが巨大化して戦う「シルバー仮面ジャイアント」に改題される事態に陥りました。

 

放送回数は当初予定された2クール、全26話ですが、これも1年間で50話以上放送される当時の特撮番組では短命。そしてその後も再放送される機会も少なく、マイナーな存在でした。しかし後に本作の異色性が高く評価され、カルト的に根強い人気を誇る作品となりました。

 

その理由は本作の持つ独自の魅力、「特撮ドラマ=子供向け」という概念を打ち破る「超シリアスな人間ドラマと、ストーリー性」にありました。

 

TBSプロデューサー橋本洋二氏は、脚本の佐々木守氏との企画打ち合わせの際、アメリカABC制作で日本でも大人気だったドラマ「逃亡者」を参考にした、と明かしています。

 

主人公は5人の兄妹。特撮ドラマにありがちな「地球防衛チーム」ではなく、「家族」が中心のホームドラマである点も、異質です。

 

そしてその兄妹は「正義の目的が世間から理解されず、冷たく迫害されている」「父の遺した光子ロケットの完成を夢見て各地を放浪する中での葛藤を描く」。また、「宇宙人を一方的な敵として描かない」「ビルがぶっ倒れる、東京タワーが叩き折られるなどの不自然な事件は描かない」といった点も異色です。本作の企画意図はあくまでも、リアルで硬質なドラマ作りが念頭に置かれていました。

 

そして本作のもっとも重要なメッセージが、「兄妹は戦いを望んでいない」という点。企画書には「強きを倒すのではなく、弱きを助けるための美しいヒューマニズムの結晶が鉄仮面(仮称)」と記されています。

 

しかし、日曜夜7時のゴールデンタイムで子供・幼児向けを狙うことがあたりまえのこの時代、この時間帯の設定としては、あまりにチャレンジングでした。

 

「シルバー仮面」の第1話の視聴率は14.6%。裏番組「アタックNo.1」が最終回だったことを踏まえても、関係者の期待を裏切る結果となりました。

 

タイトルが出るまで6分強ものプロローグから始まり、暗くて放送事故のような画作りはまさに“奇才”実相寺監督の本領発揮。なのですが、当時は理解されず・・・。

 

さらに、翌週から裏番組「ミラーマン」がスタートすると、第2話の視聴率は一気に6.2%に下降。その後も「シルバー仮面」の視聴率は一桁台の低空飛行を続け、第9話では最低の3.6%まで落ち込みます。

 

 

 

「ミラーマン」とは

 

ミラーマン
1971(昭和46)年12月5日〜1972(昭和47)年11月26日
フジテレビ系 毎週日曜日 19:00 – 19:30
全51話
円谷プロ

 

 

一方の「ミラーマン」は、これまた先に述べたリストラで1969(昭和44)年に円谷プロを退社、沖縄県に帰郷した脚本家の金城哲夫氏が置き土産として残した企画でした。

 

しかし第一次怪獣ブームが去った当時はすぐ番組化とはならず、小学館の学習雑誌などで後の番組とは異なるデザインのミラーマンが活躍するマンガが連載され、そのデザインのキャラクターグッズが発売されるなどして長く、企画が温められてきました。

 

そして第二次怪獣ブームが過熱する中、円谷プロは「ウルトラシリーズとは違う、円谷プロの新たな特撮ヒーロー番組」として、在京5局及び系列局に売り込みをかけます。

 

その結果、一度は日本テレビ「巨人の星」の後番組に決まりかけますが実現せず。結局、高畑勲・宮崎駿・小田部羊一こたべ よういち氏らが企画するも原作者の許諾が下りず、無念の制作中止となったアニメ「長くつ下のピッピ」の代わりとして、フジテレビ日曜夜7時枠での放送が決まりました。(余談ですがこの「長くつ下のピッピ」の企画は後に、「パンダコパンダ」として映画化されました)

 

こうして番組制作が決定した「ミラーマン」は、同時期の「帰ってきたウルトラマン」との差別化を図るため、こちらも「ドラマ作りに重点を置いた、シリアス路線」を目指して企画されました。

 

そこで「兵器を持たない科学者たちの専門チームSGM」、「主人公の鏡京太郎は異次元人との混血児で、チームの一員ではなく新聞社のカメラマン」「“インベーダー”を作品全体を通しての敵に設定」などの、ウルトラシリーズとの差別化が図られました。

 

こうしてスタートした「ミラーマン」は、初回に27%の高視聴率を記録。

 

「シルバー仮面」VS「ミラーマン」の視聴率戦争は、「ミラーマン」の圧勝でスタートしました。

 

 

過熱する「テコ入れ」合戦

 

危機感を露にした「シルバー仮面」は、テコ入れ策として「ヒーローが巨大化して戦う」という、大ナタを振るいます。

 

1972(昭和47)年2月6日放映の第11話から、番組タイトルも「シルバー仮面ジャイアント」に改題。すると第2話から10話の平均視聴率6.0%から、第11話から第26話では平均8.8%と、わずかながら上昇します。

 

中でも第16~18話は3週連続で10%超えを果たし、裏番組「ミラーマン」の視聴率を常時20%割れの状態に追い込む健闘を見せました。

 

しかしこれは、当初の意欲的な企画を全否定して「フツーの特撮ヒーローもの」にする方針転換であり、スタッフの胸中は複雑でした。

 

上原正三氏と共に本作を支えたメインライターの1人、市川森一氏は「大人の鑑賞にも耐える作品を作りたいという意欲に燃えていたんです。しかしそれは挫折しました。」「途中からシルバー仮面が巨大化し、さすらいの設定がなくなった時は屈辱的でした。」と語っています。

 

対する「ミラーマン」もまた、番組強化のテコ入れとしてSGMが武装化して普通の防衛隊になり、カラータイマーが取り付けられ、さらには予算削減案として設定されていた「同じ怪獣の再登場」も中止し、明快なストーリー、アクションの強化、派手な特撮シーンの増加などなど、当初の独自性をかなぐり捨てて応戦しました。

 

こうして「ミラーマン」VS「シルバー仮面」の戦いは結果として、視聴率・放送話数でみれば「ミラーマン」の勝利で終わりました。

 

ちなみに・・・「シルバー仮面」の主人公・春日光二役の柴俊夫さんは「ミラーマン」のパイロット版で主人公を演じていて、逆に「ミラーマン」の主人公、鏡光太郎役の石田信之さんには「シルバー仮面」の出演依頼が来ていたのだとか。

 

この2作品の不思議な因縁を感じます。

 

視聴率戦争第2ラウンド「ミラーマン」vs「アイアンキング」

 

「シルバー仮面」が1972年5月21日に終了すると、TBSタケダアワーは「決めろ!フィニッシュ」という女子体操モノの実写スポ根ドラマを、10月まで放送。

 

そして10月21日から、新たな特撮ヒーロー「アイアンキング」で再び、放送終盤の「ミラーマン」に挑みます。

 

アイアンキング

アイアンキング
1972(昭和47)年10月8日〜1973(昭和48)年4月8日
TBS系 毎週日曜日19:00 – 19:30
全26話
宣弘社

 

「アイアンキング」の差別化ポイント1つ目は、「物語の主人公は、番組タイトルのヒーロー:アイアンキングではなく、相棒である普通の人間」というもの。そのため、敵を倒すのは、アイアンキング(に変身する霧島五郎(左))ではなく、「主役」の静弦太郎(右)。

 

差別化ポイント2つ目は、主演を務めるのが当時、歌手・俳優としてアイドル的な人気を誇っていた石橋正次と、吉永小百合の相手役で数々の日活作品で活躍した浜田光夫という、当時の子供向け特撮ヒーローものとしては異色かつ豪華なコンビを起用した点でした。

 

その一方、巨大ヒーローであるアイアンキングは「水をエネルギー源としているが、その消耗が激しいため活動時間がわずか1分と短い」弱点があり、番組当初は「主人公を助けに登場したものの逆にピンチに陥り一時退却。その後、主人公に助けられてなんとか敵を倒す」ストーリーがほとんど。6話までは派手な光線技も使いません。

 

後半(第16話~)からはアイアンキングが単独で敵を倒す描写も描かれるようになり、いわゆる王道の「特撮ヒーロー」となりますが、それでもあくまでも「アイアンキングは主人公(静弦太郎)のピンチを救う相棒」という設定が貫かれています。

 

これは「視聴者に生身のヒーローという親近感を持ってもらう」ことや、「1回の放送でアイアンキングを2回登場させて見どころを増やす」という効果を狙っての設定でしたが、これがアイアンキングがネット上で「史上最弱・ヘタレ・ポンコツ ヒーロー」と言われてしまう所以です。

 

それでも、重くて暗かった「シルバー仮面」の反省から、本作「アイアンキング」は主人公2人の能天気・凸凹コンビ・珍道中をベースに、コミカル・軽快なアクションが志向され、初回視聴率は「ミラーマン」開始以後のタケダアワーでもっとも高い、12.7%を記録。

 

そして第5話では「ミラーマン」13.4%に対し、「アイアンキング」16.1%と、遂に逆転に成功します。

 

「ミラーマン」終了後の、意外な視聴率戦争の勝利者とは?

 

フジテレビ「ミラーマン」は、1972(昭和47)年11月26日に全51話で終了。熾烈な視聴率戦争の中でも平均17.2%と、決して悪い数字ではありませんでした。

 

円谷プロではミラーマンの弟である鏡拓也が変身したミラーマン・レッドの活躍を描いた続編「ミラーマン・兄弟」(仮題)も企画されますが、映像化されることなくお蔵入りに。

 

そのため、「フジテレビは特撮番組に冷たい」と言われるのですが・・・

 

元々この日曜夜7時はアニメ枠であり、特撮モノである「ミラーマン」の放送自体が「アタックNo.1」の後番組のハズだった「長くつ下のピッピ」が流れた「埋め合わせ」であり、異例だったのでした。

 

そして、「ミラーマン」終了後にスタートしたのが。

「マジンガーZ」(初回視聴率は16.8%)!

 

ご存じの通り「マジンガーZ」は空前の巨大ロボットブームを巻き起こし、平均視聴率22.1%、最高視聴率は第68話の30.4%(ビデオリサーチ関東地区調べ)を記録。続編の「グレートマジンガー」「UFOロボ グレンダイザー」と合わせて、4年を越える大ヒット作となりました。

 

激しい特撮ヒーロー視聴率戦争を繰り広げた「シルバー仮面」「ミラーマン」「アイアンキング」でしたが、時代の勝利者は意外にも、巨大ロボットアニメの源流である「マジンガーZ」だったのです。

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