アントニオ猪木

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1983夏 新日本プロレス「クーデター事件」~②決起から鎮圧まで

◆第1部 クーデターを企てたキーパソン達のそれぞれの思惑 に続いて、今回は ◆第2部 クーデター決起から鎮圧まで をまとめます。 *文中、一部敬称略 ここまでの流れを時系列で見ると以下のようになります。 1983年 5月6日 IWGP(第1...
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1983夏 新日本プロレス「クーデター事件」~①当事者たちの思惑

初代タイガーマスク、藤波-長州の名勝負数え歌、そして燃える闘魂 アントニオ猪木。 1983年当時、新日本プロレスは日本全国に社会現象ともいえる一大ブームを巻き起こしていました。 新日プロの「ワールドプロレスリング」は金曜夜8時のゴールデンタ...
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UWFとは何だったのか?⑨追撃戦~新間寿氏 から見たUWF / 週ゴンvs週プロ代理戦争

1983年夏、それまで月刊誌だった「プロレス」が週刊化を断行。記念すべき週刊プロレスの創刊号表紙は初代タイガーでした。 それから遅れること半年、1984年春に週刊化したゴングの表紙は馬場と猪木。 見出しこそ「(BIの)年内揃って引退説を追う...
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「UWF」とは何だったのか?~③新日プロUターン/後編

②からの続きです。 間接的な政権交代マッチ〜「新・格闘王」誕生 1986年10月「INOKI闘魂LIVE part1」と称したビッグイベントが両国国技館で開催されます。 メインイベントは猪木対レオン・スピンクス、リングサイドには堺正章やタモ...
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「UWF」とは何だったのか?~②新日プロUターン/前編

①からの続きです。 UWF・新日プロUターン UWF勢の新日Uターン(当時の古館アナ調で言えばカンバック・サーモン)は85年の年末。 両国国技館の新日プロのリングに上がり、藤原、木戸、高田、山崎らを代表してスーツ姿で挨拶したのは、当時若干2...
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