アントニオ猪木

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「猪木 日本プロレス追放事件」④〜1971 当時の猪木の言い分

①馬場と猪木 ②時系列ドキュメント ③関係者コメント集 に続いては、この事件について長く「通説」とされてきた、「当時の猪木の言い分」をご紹介します。 *文中敬称略 アントニオ猪木の言い分 かれこれ30年前。この猪木追放〜馬場との確執をはじめ...
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「猪木 日本プロレス追放事件」③〜1971 関係者コメント集 裏切り者は誰だ

①馬場と猪木 ②時系列ドキュメント に続き、今回は③関係者コメント集-「裏切り者は誰だ」編です。 *文中敬称略 まずは当事者であるこの人から。 ジャイアント馬場 猪木の反論会見当日に渡米した馬場は、アメリカでゴングの加山特派員にインタビュー...
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「猪木 日本プロレス追放事件」②〜1971 時系列ドキュメント

①「馬場と猪木」に続き、いよいよ今回は時系列で事件の真相に迫るドキュメント編です。 *文中敬称略 第1章 猪木挙式からクーデターへの胎動 ●1971年 11月2日 - 京王プラザホテルで猪木が人気女優 倍賞美津子と“一億円挙式” 媒酌人は大...
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「猪木 日本プロレス追放事件」①〜1971 日本プロレス史上最大の事件

ジャイアント馬場とアントニオ猪木。 力道山の死去後、昭和の日本プロレス史はこの2人の約40年に渡る、対立の歴史です。 なぜ、この2人はこれほどまでに対立していたのか? そして、新日プロクーデター事件、大量離脱事件では下から突き上げを喰らった...
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1983夏 新日本プロレス「クーデター事件」~③最終回:クーデターを受けた側、猪木らの思惑 

◆第1部 クーデターを企てたキーパソン達のそれぞれの思惑 ◆第2部 クーデター決行から鎮圧まで に続き、今回は最終回 ◆第3部 クーデターを受けた側、猪木らの思惑 をご紹介します! *文中、一部敬称略 ◆坂口征二 ギャンブル好きのあまり興行...
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1983夏 新日本プロレス「クーデター事件」~②決起から鎮圧まで

◆第1部 クーデターを企てたキーパソン達のそれぞれの思惑 に続いて、今回は ◆第2部 クーデター決起から鎮圧まで をまとめます。 *文中、一部敬称略 ここまでの流れを時系列で見ると以下のようになります。 1983年 5月6日 IWGP(第1...
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1983夏 新日本プロレス「クーデター事件」~①当事者たちの思惑

初代タイガーマスク、藤波-長州の名勝負数え歌、そして燃える闘魂 アントニオ猪木。 1983年当時、新日本プロレスは日本全国に社会現象ともいえる一大ブームを巻き起こしていました。 新日プロの「ワールドプロレスリング」は金曜夜8時のゴールデンタ...
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UWFとは何だったのか?⑨追撃戦~新間寿氏 から見たUWF / 週ゴンvs週プロ代理戦争

1983年夏、それまで月刊誌だった「プロレス」が週刊化を断行。記念すべき週刊プロレスの創刊号表紙は初代タイガーでした。 それから遅れること半年、1984年春に週刊化したゴングの表紙は馬場と猪木。 見出しこそ「(BIの)年内揃って引退説を追う...
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「UWF」とは何だったのか?~③新日プロUターン/後編

②からの続きです。 間接的な政権交代マッチ〜「新・格闘王」誕生 1986年10月「INOKI闘魂LIVE part1」と称したビッグイベントが両国国技館で開催されます。 メインイベントは猪木対レオン・スピンクス、リングサイドには堺正章やタモ...
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「UWF」とは何だったのか?~②新日プロUターン/前編

①からの続きです。 UWF・新日プロUターン UWF勢の新日Uターン(当時の古館アナ調で言えばカンバック・サーモン)は85年の年末。 両国国技館の新日プロのリングに上がり、藤原、木戸、高田、山崎らを代表してスーツ姿で挨拶したのは、当時若干2...
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