アントニオ猪木

プロレス

「格闘技 世界一決定戦」⑥〜1977-78 アントニオ猪木vsモンスターマン、ウェップナー、ミルデンバーガー

アントニオ猪木の「格闘技世界一決定戦」シリーズ⑥の今回は、2〜3年目となる1977-78年の戦いをご紹介します。 ◆06 1977(昭和52)年8月2日 日本武道館 アントニオ猪木(5R1分38秒 KO)ザ モンスターマン エベレット エデ...
プロレス

日テレジータスで日本プロレス・BI砲の秘蔵映像が公開!

2019年2月19日から、日テレジータスで「至高の昭和プロレス名勝負列伝 ~力道山・BI砲 伝説の貴重映像一挙公開~」がスタートします! 主な放映カードは以下の通り。初の蔵出し映像もあり、必見です。 当Blogの、 「日本プロレス時代のジャ...
プロレス

日本プロレス時代の「ジャイアント馬場」③~1968-1972 日本最強!BI砲時代~馬場の全盛期と名勝負とは

日本プロレス時代、ジャイアント馬場の全盛期を探るシリーズ、最終回となる③は、1969-1972 日本プロレス BI砲時代から全日プロ旗揚げ編。 そして馬場と猪木のプロレス観の違いについて、掘り下げてみます。 Back Number ①「19...
スポンサーリンク
書籍

「村松友視」 〜1980「プロレスの味方」は「見方」の達人

1970年代後半から80年代中頃までの空前の“新日本プロレス ブーム”は、リング上の猪木、タイガー、藤波、長州らの戦いはもちろんのこと、それを支えた「リング外の立役者」がたくさんいました。 このblogにもたびたび登場するTV中継番組「ワー...
プロレス

「格闘技世界一決定戦」⑤〜1976 vs アクラム ペールワン戦 伝説の腕折りマッチ、アントニオ猪木と2人のペールワン

アントニオ猪木「格闘技世界一決定戦」シリーズ第③回は、アリ戦と並ぶ伝説の試合。 パキスタンで行われた、アクラムペールワンとの、伝説の死闘です。 ⑤1976(昭和51)年12月12日 カラチ ナショナル スタジアム 格闘技世界一決定戦 〇アン...
プロレス

「格闘技世界一決定戦」④〜1976 アントニオ猪木vsモハメド アリ【後編】世界中からのバッシング、その大きすぎる代償

格闘技世界一決定戦シリーズ、アントニオ猪木vsモハメド アリの「20世紀最大のスーパーファイト」。 【前編】試合までの経緯、【中編】試合内容、に続く【後編】の今回は、「試合後の猛バッシング」と「その大きすぎる代償と2人の友情」について、ご紹...
プロレス

「格闘技世界一決定戦」③〜1976 アントニオ猪木vsモハメド アリ【中編】20世紀最大のスーパーファイト

アントニオ猪木vsモハメド アリ 格闘技世界一決定戦。 前編に続いて中編となる今回は、いよいよ ”20世紀最大のスーパーファイト” ”WAR OF THE WORLD” "FIGHT OF THE CENTURY" 15ラウンドの死闘の全貌...
プロレス

「格闘技世界一決定戦」②〜1976 アントニオ猪木vsモハメド アリ【前編】知られざる前夜祭での“衝突” 〜 猪木の「勝った方がギャラ総取り」発言に込められた怒りとは?

アントニオ猪木「格闘技世界一決定戦」シリーズ、第②回は1976(昭和51)年、アントニオ猪木vsモハメド アリ戦です。 あまりにも有名な、1976年 アントニオ猪木vsモハメド アリの「格闘技 世界一決定戦」。 前編ではあまり語られることの...
プロレス

アントニオ猪木「格闘技 世界一決定戦」~①1976 vsルスカ、アリ、アンドレ、ペールワン 

アントニオ猪木の代名詞とも言える、もう一つの闘いが「異種格闘技戦」。 モハメド アリ戦など超有名試合は、もはや語り尽くされてる感があり、これまで敢えて避けてきたのですが… 「昭和のプロレス」と「アントニオ猪木」を語る上でやはり、避けては通れ...
プロレス

「スーパーストロングマシンと平田淳嗣」〜1984-2018 キン肉マンになり損ねた男

思いつきのプランにより誕生し、マット界の激動の中で翻弄されまくりの不運のマスクマンであり、「オマエは平田だろ!」「しょっぱい試合でスミマセン」などのネタ満載、しかしながらそのキャラクターと地道な貢献でファンに愛されつつ2018年に引退した「...
プロレス

黄金の虎伝説「初代タイガーマスク 佐山サトル」〜③ 1983 人気絶頂で突然の引退

初代タイガーマスク黄金伝説、今回は3年目、1983(昭和58)年編です! >①1981(昭和56)年編はこちら >②1982(昭和57)年編はこちら デビュー3年目となる1983(昭和58)年、タイガーマスクはWWF、NWAという2つの世界...
プロレス

黄金の虎伝説「初代タイガーマスク 佐山サトル」〜① 1981 伝説の幕開け

わずか2年4ヶ月、844日の活動期間にも関わらず今なお語り継がれ、関連書籍の刊行がやまない伝説のレスラー、初代タイガーマスク。現存する当時の実使用マスクになんと「1,000万円」の値が付く(なんでも鑑定団)など、その人気は衰えを知りません。...
プロレス

アントニオ猪木 必殺技の歴史~【後編】1980-1998 プロレスブーム全盛期から引退試合まで

”燃える闘魂”アントニオ猪木 必殺技の歴史。 【前編】では日本プロレスでのデビューから東京プロレスを経て、新日本プロレス創世記までをご紹介しました。 【後編】では、プロレスブーム最高潮の70年代後半から、98年の引退試合まで、そして引退試合...
プロレス

アントニオ猪木 必殺技の歴史〜【前編】 1960-1979 日本プロレスから新日本プロレス創成期まで

"燃える闘魂"アントニオ猪木は、時代や年齢と共に、数々の必殺技を編み出して来ました。 プロレスラーが誰しも必殺技を変遷するかといえばそうでもなく、生涯ずっと同じフィニッシュホールドで貫く選手がほとんどで、途中から必殺技を「加える」「強化する...
プロレス

キングコング「ブルーザー ブロディ」〜1946-1988 ブロディvs猪木戦が「名勝負じゃない」理由

本Blogでは昭和のプロレスを彩った個性豊かな“ガイジン”プロレスラーを取り上げてきました。 マスカラス、ブッチャー、ハンセン、アンドレ、ベイダー、キッド、マードック・・・ この流れで紹介しないわけにはいかない、当然紹介してしかるべきレスラ...
プロレス

「アンドレ ザ ジャイアント」〜1946-1993 偉大なる“人間山脈”

“人間山脈“ “一人民族大移動“ アンドレ ザ ジャイアント~身長2メートル23センチ、体重236キロ。 実はアンドレよりサイズ的に大きなプロレスラーというのは何人もいるのですが、アンドレの「巨大イメージ」「怪物ぶり」は、他に類をみない、文...
プロレス

「アントニオ猪木とルーテーズ」〜1975 闘魂vs鉄人ものがたり

1974「最強タッグ戦」からの派生で、今回はアントニオ猪木と、「鉄人」「20世紀最高のプロレスラー」ルー テーズとの関係についてご紹介します。 初対決 鉄人ルー テーズは1916(大正6)年生まれ、アントニオ猪木は1943(昭和18)年生ま...
プロレス

「世界最強タッグ戦」テーズ&ゴッチvs猪木&坂口〜1973 新日本プロレス旗揚げ直後、温故知新の名勝負

“全日本プロレスの看板シリーズである「世界最強タッグ」の名称を最初に使用したのは新日本プロレスである“というのは、プロレス ファンには有名なトリビアです。 その試合とは、新日本プロレス旗揚げの翌年、1973(昭和48)年10月14日に蔵前国...
プロレス

「カール ゴッチ」~1924-2007 ”プロレスの神様”とアントニオ猪木

2017年7月28日、没後10年になるカールゴッチさんの墓が東京 荒川区の回向院に建立され、納骨式にアントニオ猪木さん、藤原喜明さん、前田日明さんらが出席してニュースになりました。 今回は”プロレスの神様”カール ゴッチさんについて、新日本...
プロレス

「MSGタッグ リーグ戦」 〜1980-1984 新日本プロレス 年末タッグの祭典

今回は、全日本プロレス「世界最強タッグ決定リーグ戦」(詳しくはコチラ)に対抗して1980年から1984年まで開催されていた、新日本プロレス「MSGタッグ リーグ戦」をご紹介します! 全日プロに比べ、新日プロはシングル戦のイメージが強く、タッ...
スポンサーリンク