アントニオ猪木

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「アントニオ猪木vsはぐれ国際軍団」〜1982 ”サディスティック“から“マゾヒスティック”へ 逆鱗の1対3 変則タッグマッチ!

1982(昭和57)年11月4日。蔵前国技館において、前代未聞の"1対3 変則タッグマッチ"が行われました。 アントニオ猪木1人に対し3人で挑むのは「はぐれ国際軍団」ラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇。 非常識ともいえるこの試合は、猪木の...
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「棚橋弘至」と「アントニオ猪木」〜1999- 新日本プロレスV字回復は“脱 猪木”なのか?

映画「パパはわるものチャンピオン」主演でTVでの露出も多く、なにかと話題の新日本プロレス 棚橋弘至選手。 つい先日はTBS「情熱大陸」(2018年9月30日放送)でも“インスタでのファッション自撮り発信”や“試合前の美容室でのエクステ装着”...
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「上田馬之助」〜④最終回 さすらいの“金狼”

改めて 上田馬之助vsアントニオ猪木、 上田馬之助vsジャイアント馬場 の2試合をじっくり観てみて、上田馬之助ってこういう選手だったなぁ、と懐かしく思い出しました。   「金髪に竹刀」の見た目のインパクトと比べ、シンプルに「肝心の試合がまる...
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「シュツットガルトの惨劇」~1978 アントニオ猪木 狂気の欧州遠征

後年の猪木しか知らず「アントニオ猪木ってなにがすごいの?」「猪木ってほんとに強かったの?」という世代の方に知ってもらいたい”アントニオ猪木の裏歴史”ともいえる1戦を、過酷な欧州遠征の全戦績と共に、ご紹介します。 >この内容はYouTubeで...
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「上田馬之助」〜②1978 vs アントニオ猪木 五寸釘 ネイル デスマッチ

上田馬之助①はこちら>「上田馬之助」〜①極悪レスラー“まだら狼”の生涯 1978年2月8日 日本武道館。アントニオ猪木vs上田馬之助のシングルマッチは、日本初のネイル(釘板)デスマッチとして行われました。 当時 小学3年生、全日贔屓で猪木新...
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「上田馬之助」〜①極悪レスラー“まだら狼”の生涯

今回より、昭和プロレス史「猪木 日本プロレス追放事件」の影の主役「上田馬之助」について、vsアントニオ猪木、vsジャイアント馬場の2つの試合を通して掘り下げてみます。 この2試合に共通するキーワードは”腕折り”。上田馬之助はどのようにこの両...
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「’90 スーパーファイト in 闘強導夢」〜1990 史上最高の東京ドーム 新日本プロレス

今回は、1990年2月10日に開催された、新日本プロレスの東京ドーム興行 第2弾にして「史上最高」との呼び声も高い、新日プロvs全日プロ 夢の団体対抗戦が行われた「スーパーファイト in 闘強導夢」について、生観戦の思い出と共にご紹介します...
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「5対5勝ち抜き戦」正規軍 対 維新軍 〜1984 新日本プロレス 猪木-長州

1983(昭和53)年の「4対4綱引きマッチ」に続く、新日正規軍と維新軍の全面戦争。今回は、1984(昭和59)年4月19日 “戦いのワンダーランド” 蔵前国技館で行われた「5対5勝ち抜き戦」です! 「双方から5人を選抜、柔道方式の勝ち抜き...
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「4対4綱引きマッチ」正規軍 対 維新軍 〜1983 新日本プロレス蔵前決戦!長州対前田、猪木対谷津

80年代前半の新日本プロレス ブーム最盛期、「過激な」実況で名を馳せた古舘伊知郎アナウンサーは、蔵前国技館を「戦いのワンダーランド」と呼びました。 蔵前国技館は、現在の両国国技館が完成する1985(昭和60)年まで大相撲が開催されていた(旧...
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「1981年の谷津嘉章」〜日本プロレス史上、最も悲惨なデビュー戦

1981年6月、蔵前国技館において、期待の超新星レスラーが国内デビュー戦を行いました。 その男の名は、「モスクワ五輪幻の金メダリスト」谷津嘉章。 今回は、谷津の「日本プロレス史に残る悲惨なデビュー戦」を当時の背景と共にご紹介します! 谷津嘉...
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アントニオ猪木vs食人大統領!〜1979 幻のアミン戦計画

今回は猪木vsアリ戦後、世間を驚愕させた猪木史に残るキワモノ企画。 なんと現職のアフリカ大統領・独裁者との異種格闘技戦計画について、ご紹介します! ●猪木vsアミン大統領戦 発表! 1979年1月25日。新宿 京王プラザホテルで、衝撃の記者...
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「ソ連」と「東京ドーム」1989〜猪木 新日プロの大バクチ

なにかと話題のロシア。 かれこれ30年以上前、アントニオ猪木の手によって「ソ連」のアマレスラー、それも五輪メダリストが大挙してプロレスに参戦したことがありました。 今回は1989年、ソ連「レッドブル軍団」のプロレス参戦と、新日本プロレス初の...
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アントニオ猪木vsタイガー ジェット シン③〜1973「猪木新宿伊勢丹襲撃」と「大阪 腕折り」事件!

①事件の全容はコチラ ②事件翌日のインタビューはコチラ ・・・そんなワケで、新宿伊勢丹襲撃事件はガチでした!…と言いたいところですが、なんと意外なところでもう1人、真相を知る人物がコメントを残しています。 その名はビル ホワイト…当時、シン...
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アントニオ猪木vsタイガー ジェット シン②〜1973「猪木新宿伊勢丹襲撃」と「大阪 腕折り」事件!

今回は、「新宿伊勢丹襲撃」事件の翌日、1973(昭和48)年11月7日付の東京スポーツ紙に掲載されたインタビューをご紹介します。  ①はコチラ! ●事件翌日の東スポ インタビュー ■弟、猪木啓介氏 「あっという間の出来事で驚きました。姉さん...
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アントニオ猪木vsタイガー ジェット シン①〜1973「新宿 伊勢丹襲撃」と「大阪 腕折り」事件!

70年代、創成期の新日プロといえばアントニオ猪木vsタイガー ジェット シンの血の抗争劇。中でもこの「新宿伊勢丹襲撃」と「大阪 腕折り」の2つの事件はあまりにも有名です。 スキャンダラスでセンセーショナルな猪木プロレスの原点とも言えるこの事...
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雪の札幌テロ事件〜1984.2.3 藤原のブレイクと「こんな会社辞めてやる!」

1984年2月3日。新日プロ恒例・雪まつり時期の札幌大会で、大事件が起こりました。 それが、藤波辰巳vs長州力「名勝負数え歌」をブチ壊した、「藤原喜明による札幌テロ事件」。 昭和のプロレスファンなら、「札幌」「雪まつり」とくれば「テロ襲撃事...
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藤波vs長州「かませ犬発言と名勝負数え歌」1982〜1984

あまりにも有名な、82年の長州力「かませ犬」反乱事件。 なぜ長州は「革命戦士」となったのか? それ以前の長州はどんな選手だったのか? いきなり牙を剥かれた藤波の反応は? そしてそれは、当時どのように起きたのか…あのTV生中継を見ていた私がご...
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「飛龍革命」③藤波辰巳の「凄さ」とは?

新日プロにおいて旗揚げから長く猪木を支えたNo.2、といえば「世界の荒鷲」こと元柔道日本一の坂口征二 副社長ですが、人気面では「猪木二世」といわれた藤波辰巳でした。藤波といえば日本にJr.ヘビー級という軽量系のスピーディなプロレスを確立させ...
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「飛龍革命」②~1988.8.8 猪木vs藤波戦 ー昭和新日プロ最終回

沖縄の控室で始まった「飛龍革命」。 そして1988年8月8日(月)横浜文化体育館「スーパー・マンデー・ナイト・イン・ヨコハマ」と銘打たれた新日プロ興行のメインイベントで、アントニオ猪木vs藤波辰巳の師弟対決が行われました。 猪木はこの試合が...
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「飛龍革命」①〜1988 藤波のドラゴン滑舌を解析します

今ではお笑いネタとしての方が有名な「飛龍革命」。 今回は、数多くの方が挑んで解明できなかったその有名なやりとりの解析と、その前後になにがあったのか、藤波が成し遂げた意義についてまでを、新日プロ事件シリーズとして、大真面目に取り上げます。 ◆...
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