アントニオ猪木

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「巌流島の決闘」②~上陸記・船頭さんが語る猪木vsマサ斎藤戦の舞台裏!

私は1987年のアントニオ猪木vsマサ斎藤戦の13年後、2000年にプロレスファンの友人と2人で、巌流島に上陸したことがあります。 何があるのかわかりませんが、とりあえず行ってみたかった、のです。壮大なる暇つぶし、単なる野次馬根性、男のロマ...
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「巌流島の決闘」①~1987 アントニオ猪木vsマサ斎藤

今回は1987年10月4日に行われたアントニオ猪木vsマサ斎藤「巌流島の決闘」。私自身の島上陸記も含め、このプロレス史上前代未聞の無観客、ノールール、試合時間2時間5分14秒の一戦を振り返ります。 ●アントニオ猪木本人が語る「巌流島」 「プ...
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「太平洋上猪木略奪事件」 1966 〜東京プロレス時代のアントニオ猪木

今回はアントニオ猪木の東京プロレス時代、「太平洋上猪木略奪事件」について掘り下げます。猪木の日本プロレス追放~新日プロ旗揚げよりもさらに昔、1966年の出来事です。 新日プロ旗揚げ以降の猪木しか知らない世代にとって、この東京プロレス時代はブ...
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「’81 蔵前全面戦争」1981年10月 〜猪木 新日プロvs馬場 全日プロ

前回お伝えした「馬場vsハンセン 初対決」の前年 1981年は、ブッチャー、シン、ハンセンなどの引き抜き合戦に加え、第3極 国際プロレスの崩壊、初代タイガーマスク デビューなど、日本プロレス界にとって激動の1年でした。 今回は、10月に開催...
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なぜ 猪木 新日プロ では暴動が起こったのか?〜観客心理の変化

前回は昭和の新日本プロレスで起こった「暴動」事件について、振り返りました。 観客の主張、怒りは「ふざけるな!ちゃんと試合をやれ!(決着をつけろ!)」からの「金返せ!」に尽きます。 しかし、その怒りの矛先は時代と共に変化しています。 それは一...
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猪木 新日本プロレス 暴動の歴史 1984~87

暴動…遠い異国の地で起きる事件のイメージですよね。かつて、日本でも安保闘争、学生運動など60年代までは珍しくありませんでしたが、70年代以降は(ごく一部の特殊な地域を除けば)、普通に暮らす一般大衆が(ニュースを含め)目の当たりにする事は、な...
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1984 新日本プロレス「大量離脱事件」〜ジャパンプロレスとは何だったのか?①

今回は、新日プロ「クーデター事件」の翌1984(昭和59)年に起こった、「大量離脱事件」についてです。 事件ばっかりじゃないか!…って、そうなのです。昭和の猪木・新日プロはとにかく激震してないと新日じゃない、ってくらいに、次から次に大事件が...
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アントニオ猪木vsビル・ロビンソン 1975~③史上最高の名勝負

”燃える闘魂”アントニオ猪木、最高の名勝負。 1975年12月11日 蔵前国技館 NWF世界ヘビー級選手権試合 60分3本勝負 アントニオ猪木vsビル・ロビンソン 立会人に”鉄人”ルー・テーズと”神様”カール・ゴッチ。裁くレフェリーはアメリ...
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アントニオ猪木vsビル・ロビンソン 1975~②G馬場の逆襲・仁義なき暗闘

”燃える闘魂”アントニオ猪木、史上最高の名勝負、vsビル・ロビンソン戦。 第2回は、この試合実現に至るまでの紆余曲折と、ライバル・ジャイアント馬場との舞台裏の”仁義なき暗闘”について、ご紹介します。 ①はコチラ ジャイアント馬場の逆襲~「オ...
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アントニオ猪木vsビル・ロビンソン 1975~ベスト・オブ・ベストバウト①

”燃える闘魂”アントニオ猪木の名勝負シリーズ。 vs ストロング小林戦 vs 大木金太郎戦 に続いては、1975年12月11日のvsビル・ロビンソン戦です。 私はこのロビンソン戦が、「プロレスラー・アントニオ猪木の、生涯を通じてのベストバウ...
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アントニオ猪木vs大木金太郎 1974~遺恨清算ケンカマッチ

ストロング小林戦に続く「アントニオ猪木名勝負シリーズ」②。 1974(昭和49)年10月10日、蔵前国技館で行われたアントニオ猪木vs大木金太郎戦です。 この頃の猪木はとにかくギラギラしていて、プロレスラーとして一番油の乗った時期。「ブロデ...
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アントニオ猪木vsストロング小林 1974~猪木 日本統一への野望

1974(昭和49)年3月19日。東京・蔵前国技館で、日本プロレス史に残る名勝負が行われました。それが、”昭和の巌流島”と謳われた、アントニオ猪木vsストロング小林戦です。 ”あの”力道山対木村政彦以来、長くタブーとされてきた大物日本人同士...
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「猪木 日本プロレス追放事件」④〜1971 当時の猪木の言い分

①馬場と猪木 ②時系列ドキュメント ③関係者コメント集 に続いては、この事件について長く「通説」とされてきた、「当時の猪木の言い分」をご紹介します。 *文中敬称略 アントニオ猪木の言い分 かれこれ30年前。この猪木追放〜馬場との確執をはじめ...
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「猪木 日本プロレス追放事件」③〜1971 関係者コメント集 裏切り者は誰だ

①馬場と猪木 ②時系列ドキュメント に続き、今回は③関係者コメント集-「裏切り者は誰だ」編です。 *文中敬称略 まずは当事者であるこの人から。 ジャイアント馬場 猪木の反論会見当日に渡米した馬場は、アメリカでゴングの加山特派員にインタビュー...
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「猪木 日本プロレス追放事件」②〜1971 時系列ドキュメント

①「馬場と猪木」に続き、いよいよ今回は時系列で事件の真相に迫るドキュメント編です。 *文中敬称略 第1章 猪木挙式からクーデターへの胎動 ●1971年 11月2日 - 京王プラザホテルで猪木が人気女優 倍賞美津子と“一億円挙式” 媒酌人は大...
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「猪木 日本プロレス追放事件」①〜1971 日本プロレス史上最大の事件

ジャイアント馬場とアントニオ猪木。 力道山の死去後、昭和の日本プロレス史はこの2人の約40年に渡る、対立の歴史です。 なぜ、この2人はこれほどまでに対立していたのか? そして、新日プロクーデター事件、大量離脱事件では下から突き上げを喰らった...
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1983夏 新日本プロレス「クーデター事件」~③最終回:クーデターを受けた側、猪木らの思惑 

◆第1部 クーデターを企てたキーパソン達のそれぞれの思惑 ◆第2部 クーデター決行から鎮圧まで に続き、今回は最終回 ◆第3部 クーデターを受けた側、猪木らの思惑 をご紹介します! *文中、一部敬称略 ◆坂口征二 ギャンブル好きのあまり興行...
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1983夏 新日本プロレス「クーデター事件」~②決起から鎮圧まで

◆第1部 クーデターを企てたキーパソン達のそれぞれの思惑 に続いて、今回は ◆第2部 クーデター決起から鎮圧まで をまとめます。 *文中、一部敬称略 ここまでの流れを時系列で見ると以下のようになります。 1983年 5月6日 IWGP(第1...
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1983夏 新日本プロレス「クーデター事件」~①当事者たちの思惑

初代タイガーマスク、藤波-長州の名勝負数え歌、そして燃える闘魂 アントニオ猪木。 1983年当時、新日本プロレスは日本全国に社会現象ともいえる一大ブームを巻き起こしていました。 新日プロの「ワールドプロレスリング」は金曜夜8時のゴールデンタ...
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UWFとは何だったのか?⑨追撃戦~新間寿氏 から見たUWF / 週ゴンvs週プロ代理戦争

1983年夏、それまで月刊誌だった「プロレス」が週刊化を断行。記念すべき週刊プロレスの創刊号表紙は初代タイガーでした。 それから遅れること半年、1984年春に週刊化したゴングの表紙は馬場と猪木。 見出しこそ「(BIの)年内揃って引退説を追う...
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