坂口征二

YouTube

【YouTube番組】アントニオ猪木 NWF激闘史① 1973 ジョニー・パワーズとの因縁#106

IWGP誕生以前、”燃える闘魂” #アントニオ猪木 と #新日本プロレス の代名詞的王座は NWFヘビー級ベルトでした。本シリーズは、全盛期のアントニオ猪木が行った全53試合のタイトルマッチを、年次別に4回に分けて振り返ります。①の今回は1...
YouTube

【YouTube番組】‘77 世界オープンタッグ戦と馬場vs猪木の暗闘#81

今回は、1977年のオープンタッグ開催を巡る、馬場vs猪木の暗闘を掘り下げます。 国際プロレス、日本プロレスとNWAも巻き込んでの、幻の新日アジア王座騒動とは?ザ・ファンクスvsブッチャー・シークの真裏で猪木が闘った意外な相手とは?・・・e...
プロレス

1977 オープン・タッグ選手権 ~「ファンクスvsブッチャー・シーク」は、苛烈な興行戦争の副産物だった?

1977年のザ・ファンクスvsブッチャー・シーク。 古くからのプロレスファンなら誰もが知る、もはや説明不要な超・有名な1戦です。そして、当時小学生だった私が最初に「熱狂」し、「プロレスの面白さに目覚めた」、思い出の試合でもあります。 実はこ...
YouTube

【YouTube番組】#59 猪木・坂口vsテーズ・ゴッチ〜1973 「世界最強タッグ戦」新日本プロレス創世記、初のビッグマッチ

今回のYouTube番組は、新日本プロレス旗揚げの翌年、1973(昭和48)年10月14日に蔵前国技館で行われた”鉄人”ルー テーズ&”神様”カール ゴッチvs”燃える闘魂”アントニオ猪木&”世界の荒鷲”坂口征二の一戦をご紹介します! “全...
プロレス

馬場と猪木~1981-1983 幻の新日プロvs全日プロ全面対抗戦計画と統一コミッション構想【後編】

前回ご紹介した、1982(昭和57)年2月7日の馬場-猪木の極秘対談に端を発した新日本プロレスvs全日本プロレスの全面対抗戦計画。 これは当時、マスコミでも一切公表されることがなく、馬場-猪木・新間ラインで水面下で進められていた計画です。 ...
プロレス

世界の荒鷲「坂口征二」~③新日本プロレス・後編

令和の時代に「荒鷲」を語る!坂口征二SP、第3回は新日本プロレス・後編です! 第①回 柔道日本一~日本プロレス編 第②回 新日本プロレス・前編 坂口征二 vs アニマル浜口 維新軍との抗争 長州力ら維新軍団が台頭した頃には、既に坂口は一歩下...
プロレス

世界の荒鷲「坂口征二」~②新日本プロレス・前編

令和の時代に「ビッグ・サカ」を語る!坂口征二SP、第2回は新日本プロレス・前編です! >①柔道日本一~日本プロレス編はこちら 日本プロレス+新日本プロレスの合併計画 猪木に続きジャイアント馬場を失い、視聴率でも苦戦が続く日本プロレス。NET...
プロレス

世界の荒鷲「坂口征二」~①柔道日本一・日本プロレス編

「キムケン」を取り上げて、この方を取り上げないわけにはいきません。アントニオ猪木を支え続けた新日本プロレスの偉大なるNo.2、“世界の荒鷲“ “ビッグ・サカ“ “元柔道日本一”  坂口征二 です! 実は私、地元・久留米でとある縁で坂口さんと...
プロレス

「大木金太郎」~1929-2006 テーズとのシュートマッチ、力道山襲名計画の真相

ジャイアント馬場、アントニオ猪木と並び、「力道山道場三羽鳥」と言われた大木金太郎。 「一本足原爆頭突き」を武器に日本、米国、韓国で活躍し、後輩にあたる猪木、馬場とも因縁の対決。そして”二代目力道山”襲名に執念を燃やし、ルー・テーズにセメント...
プロレス

「九電記念体育館」と「プレ日本選手権」の思い出~1978 昭和 新日本プロレス・初の生観戦記

福岡 九電記念体育会館が2019年3月、閉館したのだそうです。 ココは私の記念すべきプロレス初生観戦の場所・・・今回はこの会場の思い出と共に、「'78 プレ日本選手権」をご紹介します。 ■福岡・九電記念体育館とは? 1970~80年代に福岡...
プロレス

「北米タッグ」〜1974-1981 昭和 新日本プロレスのフラッグシップ タッグ タイトル

今回は昭和の新日本プロレス、70年代の創成期を支えた「北米タッグ王座(ノース アメリカン タッグ)」をご紹介します! 知る人ぞ知る、坂口征二&ストロング小林組、そして長州力が日本で初めて巻いたベルトもコレ。いぶし銀のようなタイトルです。 実...
プロレス

「世界最強タッグ戦」テーズ&ゴッチvs猪木&坂口〜1973 新日本プロレス旗揚げ直後、温故知新の名勝負

“全日本プロレスの看板シリーズである「世界最強タッグ」の名称を最初に使用したのは新日本プロレスである“というのは、プロレス ファンには有名なトリビアです。 その試合とは、新日本プロレス旗揚げの翌年、1973(昭和48)年10月14日に蔵前国...
プロレス

「4対4綱引きマッチ」正規軍 対 維新軍 〜1983 新日本プロレス蔵前決戦!長州対前田、猪木対谷津

80年代前半の新日本プロレス ブーム最盛期、「過激な」実況で名を馳せた古舘伊知郎アナウンサーは、蔵前国技館を「戦いのワンダーランド」と呼びました。 蔵前国技館は、現在の両国国技館が完成する1985(昭和60)年まで大相撲が開催されていた(旧...
プロレス

「猪木 日本プロレス追放事件」③〜1971 関係者コメント集 裏切り者は誰だ

①馬場と猪木 ②時系列ドキュメント に続き、今回は③関係者コメント集-「裏切り者は誰だ」編です。 *文中敬称略 まずは当事者であるこの人から。 ジャイアント馬場 猪木の反論会見当日に渡米した馬場は、アメリカでゴングの加山特派員にインタビュー...
プロレス

1983夏 新日本プロレス「クーデター事件」~③最終回:クーデターを受けた側、猪木らの思惑 

◆第1部 クーデターを企てたキーパソン達のそれぞれの思惑 ◆第2部 クーデター決行から鎮圧まで に続き、今回は最終回 ◆第3部 クーデターを受けた側、猪木らの思惑 をご紹介します! *文中、一部敬称略 ◆坂口征二 ギャンブル好きのあまり興行...
プロレス

1983夏 新日本プロレス「クーデター事件」~②決起から鎮圧まで

◆第1部 クーデターを企てたキーパソン達のそれぞれの思惑 に続いて、今回は ◆第2部 クーデター決起から鎮圧まで をまとめます。 *文中、一部敬称略 ここまでの流れを時系列で見ると以下のようになります。 1983年 5月6日 IWGP(第1...
プロレス

SWSとは何だったのか?~④失敗の原因は?早すぎた企業スポンサード・プロレス

①1990 天龍全日離脱~旗揚げ ②1991 週プロとの確執、WWF合同興行 ③1992 内部分裂~崩壊 ここまで、時系列でのSWSの3年間の歩みを振り返ってきました。ここからは、トピックごとに「SWS失敗の要因」について、分析していきます...
スポンサーリンク