小学生にとっての「夏休み」は、今も昔も「特別な季節」ですね。
前回ご紹介した「ミル マスカラス」に続く 昭和の夏休みの思い出シリーズ、今回は40年近く前に一度観ただけ…なのに「夏休みもあと数日」の記憶と共に忘れられない手塚アニメSP「マリン エキスプレス」です。
■24時間テレビ アニメスペシャルとは
オンエアは1979年8月26日、日曜の朝でした。
前年、1978年から始まった日本テレビの「24時間テレビ 〜愛は地球を救う」は、異例の長時間放送のチャリティ番組。大きな話題となりました。
初期の総合司会は萩本欽一さんと徳光アナウンサーの印象が強いのですが、2年目となるこの年の総合司会は萩本欽一さんと黒柳徹子さんです。パーソナリティは前年と同じくピンクレディー、というのが時代を感じさせますね。
そしてこの番組の2日目、日曜の朝に放送されたのが「アニメスペシャル」。
第1弾は手塚治虫さんの「100万年地球の旅 バンダーブック」。視聴率28%の結果を残し、シリーズ化となったのだそうです。
なのでこの「マリンエキスプレス」は第2弾、という事になりますが…残念ながら私は第1弾の「バンダーブック」は観た記憶がなく、その後のタイトルもほとんど覚えておらず、でして…しかし、何故かこの「マリン〜」だけは強烈な印象があるのです。
■手塚治虫スターシステム、キャラクター総登場
手塚治虫先生といえば作品の垣根を越えてキャラクターが登場する「スターシステム」が有名です。
本作もアトム、お茶の水博士、ブラックジャック、ピノコ、ロック、レオ、サファイヤ、ドン ドラキュラ、ヒゲオヤジ、三つ目がとおる などなど総出演で、各キャラに見せ場が用意されたスペシャルなオールスター作品となっていました。
中でもブラック ジャックは当時、まだ単独でアニメ化されていなかったこともあり「動くBJ」は貴重でした(声の故 野沢那智さんもハマり役でした)。
マリン エキスプレスはその名の通り「海底超特急」。手塚先生はイースター島取材旅行でヒントを得たそうで、ムー帝国やオリエント急行やら盛りだくさんのアイデアから、SFアドベンチャーとサスペンスとを組み合わせた楽しい作品だった記憶があります。
おそらくは巨匠であるクセに若い作家にライバル心をむき出しにすることで有名な手塚先生のことなので、当時大人気だった松本零士先生の「銀河鉄道999」へのライバル心もあったのではないでしょうか(笑)。
日本テレビ、ということで音楽はルパンでお馴染みの大野雄二さんが担当し、なんといってもゴダイゴのトミー シュナイダーさんが唄う主題歌がカッコよかった記憶…いま聴いてもカッコいいですね。
■手塚治虫先生にとっての「24時間テレビ アニメスペシャル」
当時の手塚治虫先生はアニメ作りで自身の虫プロダクションを倒産させた苦い記憶から「もうアニメはやらない」と宣言していた時期。
しかし、この「24時間テレビのスペシャル枠」さらには「世界初の2時間テレビアニメ」という大舞台に燃えないワケがありません。
前作の「バンダーブック」の際と同様、今回も原案・演出・作画に絵コンテと精力的に取り組み、締め切りギリギリまで(というか大幅に過ぎてまで)クオリティとアイデアにこだわる手塚治虫先生のせいでスケジュールは遅延、舞台裏は修羅場と化していたそうです。
それでもお構いなしに手塚先生は「ブラック ジャックはこんな歩き方はしないのです!」などとリテイク、リテイクを連発。修羅場と化している制作現場をさらに混迷に追い込みます。
ようやく放送ギリギリになんとか納品して、数週間徹夜続きだったスタッフ一同がオンエアを観て安堵と感動のあまり涙を見せる中、手塚先生は「うーん、リテイク!」と口走った、というなんとも手塚先生らしい、鬼畜な逸話が残っています(実際、翌年の水曜ロードショーでの再放送の際には手を入れたものを放映したとか…)。
この辺りの手塚先生の壮絶な創作については、当時の編集者やアシスタントらの証言が愛憎を込めて綴られる「ブラック・ジャック創作秘話~手塚治虫の仕事場から~ (少年チャンピオン コミックス エクストラ)」を読んでみてください。
当時、小学生低学年の私は当然、「24時間テレビ」といっても普通の時間帯に数時間見るだけ、でしたが、それでもスタート当時のこの番組はいまよりもっと「特別な番組」という感覚がありました。
中でも、大野雄二さんによる番組テーマ曲と、この「マリンエキスプレス」の記憶がとりわけ鮮明で、夏休み時期になると、いまでもふと思い出すのです。
完
コメント
24時間テレビが終わると、夏休みも終わるなーと、少し哀しくなります。
コメントありがとうございます!
日曜夕方のサザエさん症候群はよく話題になりますが、24時間テレビ終わる→夏休みラスト、って感覚、ありますよね!