「科学忍者隊ガッチャマン」〜1972 タツノコプロの名作

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アニメ
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2017年はタツノコプロ55周年記念。

ガッチャマン、キャシャーン 、ポリマー、テッカマンが登場するフルCGによるオールスターアニメ「Infini-T Force」が放送され、映画も公開されていました。

 

今回は、そのタツノコヒーローの原点である「科学忍者隊ガッチャマン」を取り上げます。

 

本作の大ヒットにより「新造人間キャシャーン」「破裏拳ポリマー」「宇宙の騎士テッカマン」などのヒーローものが生まれ、その後のタツノコプロの一つの路線を構築した代表作でもあります。

 

 

科学忍者隊ガッチャマン

1972年10月1日〜1974年9月29日
フジテレビ系
毎週日曜日18:00〜18:30
全105話
タツノコプロ制作

 

●「ガッチャマン」の由来

 

企画時の仮タイトルとしては「科学忍者隊バードマン」や「科学忍者隊シャドウナイツ」があったそうですが、「ガッチャマン」に決まります。(確かに鷲、コンドル、白鳥、ツバメ、ミミズクのコスチュームを着てますから「バードマン」はしっくり来ます)

 

このユニークなネーミングの由来には諸説あり、「ガッチャンとメカが合体する音から」とか「ガッツとマンでガッチャマン」などと説明されていますが、なんとなくインパクト重視、フィーリングで決まったようです。が、当時はシリアスタッチな作風なのにギャグマンガみたいだ、と不評だったようです。でもその分インパクトはありますし、忘れないですよね。

 

 

●ガッチャマンは1人だけ?

 

よく誤解される設定として、科学忍者隊5人が「ガッチャマン」ではなく、「ガッチャマン」はリーダーの大鷲の健だけの呼称で、ほかの4人は単なるメンバーという事実。だから「ガッチャメン」ではないのですね(とはいえ、続編の主題歌では「我らガッチャマン」と言ってますが…)

 

 

●源流となった「アニメンタリー 決断」

 

あまり知られてませんが、タツノコプロがガッチャマンを制作する前の作品に「アニメンタリー 決断」というものがあります。

 

1971年4月3日〜同年9月25日
毎週土曜日19時30分 – 20時
日本テレビ系
全26回放映

 

この作品は太平洋戦争を真正面から取り上げ、1941年の真珠湾攻撃から1945年の敗戦に至るまでの日本側と連合国側双方の指揮官や司令官、兵士たちの重要な「決断」を中心に描き出すノンフィクション作品で、「アニメのドキュメンタリー」という事で「世界初のアニメンタリー」と呼ばれる異色作です。

 

実写のフィルムが使用されていたり、取り上げたテーマがテーマだけになのか一切再放送されていないこともあり、2005年にDVD化されるまで長く、幻の作品的な扱いでした(私は兄貴の持っていた当時の「子どもまんが主題歌集」LPレコードで軍歌調の主題歌だけ知っていて、長く観てみたかった作品でした)。

 

この作品に使用された色付きの透過光などの斬新な特殊効果が、後のガッチャマンにも大きな影響を与えたとされます。

 

 

●画期的なハード路線

 

「マッハGO GO GO」の流れを組む日本人ばなれしたキャラデザイン、後に機動戦士ガンダムで名を馳せる大河原邦夫さんデザインによるメカニック描写、激しい戦闘アクション、そして実写カメラなどを用いた実験的な画づくりなど、画期的な試みに溢れた作品ですが、スタート当初はコミカルだったり雑なエピソードも結構あります。

 

しかしシリーズ終盤でのキザでクールな二番手キャラ、コンドルのジョー(声はささきいさおさん)関連のエピソードは、シビアかつハードな展開で、年代の高いファン層の獲得と大きな支持を集め、その後のシリーズ展開につながりました。

とても前番組が「いなかっぺ大将」だったとは思えません(笑)。

 

 

●あの主題歌は実はエンディング?

 

「誰だ、誰だ、誰だ〜」で有名なあの子門真人さんの名曲「ガッチャマンの歌」は、実は放送当初(22話まで)はエンディングで流れていました。

 

▼小林亜星さん作曲の名曲

 

そして、あのいかにも日曜夕方のエンディングな曲「倒せ!ギャラクター」がオープニング主題歌だったのです。

 

▼この劇画タッチのイラストがいかにもタツノコ。こちらも小林亜星さん作曲

 

仕事絡みでDVDを貰い、初回を観たらオープニングにエンディング曲がかかり、ズッコけました。誰がどう聴いても逆だろ、と思うのですが、当初はなぜこのチョイスだったのか、と不思議だったのですが…

 

やはり元々は「ガッチャマンの歌」が当初からOP曲として制作されたものの、当時放送されていた「仮面ライダー」の主題歌と雰囲気が被ってしまう、という指摘があり入れ替えたのだそうです。

 

 

●記憶にない玩具シリーズ

 

調べてみましたがよくわかりませんでしたが、最初のシリーズでの玩具はタカトクトイスだった気がします。そのためポピー超合金のラインナップには当初、「ガッチャマン」がなく、これだけのメジャー作品ながら、あまり記憶にないのだと思います。その後のシリーズ2作目以降ではポピー超合金から発売され、各人が乗る乗り物をカタログなどで見た記憶があります。

 

しかし、当時は

かるた

ぬりえ

とびだす絵本

などなど、ガッチャマンは大人気でしたね。

 


 

この「科学忍者隊 ガッチャマン」は最近になっても実写化されたり、CMに登場したり、パロディになったり、なにかとリメイクされる、根強い人気のある作品です。

 

コメント

  1. 大石良雄 おおいしよしたか 本名 より:

    *「小林亜星さんを偲んで 緊急寄稿」
    拝啓 サイトヘッド=SH様、ご訪問の皆様にはよろしくお願いいたします。今回「KhockOut!様」と言う相当に鋭く剃刀のごとく切れる粋人の方に巡り合え、本当に嬉しく思います。ぜひ末永くご訪問ご参加いただきこの素晴らしいSH様の城を盛り上げて参りましょう。
    *「遂に元ネタを突き止められずに勝利した稀なるメロディメーカー亜星さん」
     実は過去、何とかしてこの「亜星さんメロの元ネタを探り出そう」と試みたプロアマ問わずが多数おりましたが、終ぞ未遂に終わりました。何故なら例えば「何処までも行こう」等の知られ過ぎたメロは「何処かに在りそう?転がっていそう? でもやはり最初の発見者は亜星さん」でした。これはある意味「ハマクラさんのメロの造り方やマイク真木さんのメロの造り方」にも酷似していて、あまりに単純シンプル明快なメロは、実は物凄く印象深いのですね。かつて「ベートーヴェンの五番通称運命」は、一聴聴けば「何か物凄く複雑で難しそうに聴こえますが、これはスコア表記のフェルマータとテンポ記号によるマジック」で、このスコア表記を取り去ってそのまま聴けば「単なる反復 繰り返しの曲」であり、実は此処に「ベートーヴェンの天才的な一面=最も単純シンプルな曲を、極めて難しく見せる魅せる聴かせる高度なテク」がありました。此処を亜星さんは解っていたのかもしれません。
    *「亜星さんは元々アレンジャーであり、作曲メインでは無かったと言う事実」
     これは、S&Rマガジン等の専門誌インタヴュー等でも明白で「実は亜星さん、個人教授で高校生くらいの頃から既にオケのスコアまで書けた」と言います。師匠はあの「服部正さん」で、この人の師匠が菅原明朗、この人の師匠があの「大沼哲少佐」であり、この大沼哲少佐のフランス留学での師匠が何と「ヴァンサンダンディ」だったのです。つまりやはり亜星さんの背後には脈々とクラシックの血が流れていたのですね。亜星さんは「服部正さんは僕にとってとても良い先生だった」と。この服部正の弟子には後に神津幸行やウルQ/マン等の宮内國郎さん等が輩出されました。後に亜星さんは「アレンジばかりやっていると作曲が下手になり、作曲ばかりやっているとアレンジが下手になる」と、その後作曲=メロディメーカーに徹し、アレンジはパートナーとなる「ボブ佐久間、筒井ひろし」さん等に任せる事になるが、実はこれが大正解でしたね。蛇足ですが驚く事にあの「曽根幸明なんて人も、実は歌手廃業後にはしばらくあのNHKでアレンジャーをしていた事実がありましたのには驚きました。そういうば、指揮者の岩城宏之なども売れない頃に一時期アレンジの仕事もしていましたから。
    *「CMセクションでは、おそらくは三木トリローグループの影響を受けない最初の達人」
     ご承知の通り、日本のCMは「三木トリローさん」等のグループが最初であり、その物凄い系譜は「越部信義氏、いずみたく、桜井順」等に引き継がれ今でも影響力を保持している程ですが、小林亜星さんは全くの別派閥でありトリローグループとは全く別の魅力あるCMソングをクリエイトしましたね。過去自分大石がTBSラジオで「TBSハウジングCM替え歌作詞大会で入選」し、増井ロンペイさんに歌ってもらった替え歌の作曲が亜星さんで、流石に良い曲と感激いたしました。異例の二日間連続放送で名前が出た時は嬉しかったですが亜星さんのお陰です。
    *「亜星さんのメロしかり 本当の名曲とは? 覚えやすく短くシンプルである」
     ベートーヴェンの運命しかり、ピートシーガーの「花は何処に行った」しかり、財津の「切手の無い贈り物」しかり、滝廉太郎さんの「花」しかり、永く長く演奏され歌われ親しまれる曲は全て「ある種の方程式の中に存在」します。つまり「あまりに難しく、音程が上下に吹っ飛んで、長く複雑怪奇な曲は、商売のプロが上手く歌えても、世のアマや素人が歌えない歌い難いのではヒットも難しい」だろうと。つまり「オペラの難解なアリア=本当のプロでなくては歌えない=純粋に鑑賞の為だけにある名曲」とは根本的に異なる=此処に亜星さんのメロの様な曲=強いて言えば「ニッチ=存在する隙間」が在ると言えます。
    *「多くの諸先生方が、作曲の弟子は取らない中で亜星さんの対応は違っていた」
     確かに多くの諸先生方は作曲の弟子は取らないし取りたがらない。これは調べますと「その諸先生自体が実は、本物正規の音楽教育を受けていなかった?為に、そもそも音楽を教えられない?」と言う先生方も実際におられました。しかし亜星さんは、こうした人たちを自社のアストロミュージックに入社させパートナーとして教育していった事実もあり、人情家でもありました。(他人の編曲などほとんどしなかった亜星さんだが、ドラマの中の北へ帰ろう等は、進んで編曲を担当した事も在った様です)
    *「本当に音楽が好きでたまらなかった亜星さん」
     ご承知の通り、プロの音楽の大家巨匠でも実は「必ずしも音楽が好きでは無かった?」様な方々も多かった、、「多大な多趣味家だったカラヤン、トランプ博打が何より好きだったクナッパーツブッシュ」しかり。反対に頭のてっぺんからつま先まで音楽だけだったのが「トスカニーニ、クレンペラー、渡辺兵夫先生」等でしたが、亜星さんも「何せ趣味道楽が仕事になっちゃってるから、後の楽しみは食う事と呑む事だけ」と。まぁそれであれだけの巨体になられましたが、あの御歳を全うされた事は必ずしも「肥満は短命」とは言えないのだと証明してくださいましたね。本当に音楽がお好きだったのでしょう。
    小林亜星さんの旅立ちで、いよいよ昭和時代が確実に過去になりつつある中例えば「怪傑ライオン丸にしろ多数のアニメの名曲、CM」にしろ、確実に自分の時代を築きあげ、名前を残した亜星さん、、、「記録にも記憶にも必ず残るメロディメーカー」でした。
    ご冥福をお祈りいたします。合掌

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