●“ミスター“長嶋茂雄とは
現在は読売巨人軍終身名誉監督を務めるお方であり、いまさら説明不要な国民的スーパースター…ではありますが…
残念ながら私は、1974(昭和49)年に引退したミスターの現役時代の記憶がほとんどありません。
1970(昭和45)年生まれの私ですらそうなのですから、若い世代は「いったい長嶋茂雄“選手“は何がどうすごかったのか」は断片的か、もしくはまったく知らない人も多いでしょう。
ということで、改めて“ミスター“長嶋茂雄さんの現役時代の“伝説“について、まとめてみます。
●長嶋茂雄さんの“スゴさ“
長嶋茂雄さんは巨人の黄金期「V9」への貢献、王選手との「ON砲」など安定した打率、本塁打、守備に加えて「チャンスに強過ぎる」打撃により「プロ野球ファンを最も熱狂させた、プロ野球史上屈指の名プレーヤー」でした。
●選手としての評価
「プロ野球史上屈指の打者」「走攻守そろった史上最高のオールラウンダーの一人」。
中でも当時はリーグ平均打率が2割台前半の「投高打低」の時代、セ リーグ全球団がジャイアンツにエース級をぶつけてきた背景を考慮すると、その中で3割を大きく超える打率を記録し続けたミスターは、「(落合博満選手を上回る)史上最高の右打者」との評価もあります。
中でもそのスゴイところは、「職業野球と呼ばれ蔑まれていた当時のプロ野球を、国民的娯楽にまで押し上げた最大の功労者」である点でしょう。
「ミスターが入団する前のプロ野球は、六大学野球よりも下だった」というのは、後の世代にはわからない、重要なポイントです。
●ミスターがプロ野球をメジャーにした
ミスターがプロ入りするまで、プロ野球は“職業野球“と呼ばれ、“赤バット“川上哲治さんや“青バット“大下弘さん、“もの干し竿“藤村冨美男さんなどのスター選手はいたものの「野球で(=遊んで)金を稼ぐなど卑しい」という考えが根強い時代でした。
当時は野球と言えば大学野球、とりわけ東京六大学野球。プロは人気の面でも大きく後れをとっていました。
しかし、六大学リーグ通算本塁打記録を更新するなど六大学野球のスーパースターだったミスターのプロ入りをきっかけに、プロ野球に大きな注目が集まります(ちなみにその当時、入団が本命視されていたのは巨人ではなく、南海ホークスだったそうです)。
卒業後に讀賣巨人軍入りしたミスターは1年目から本塁打、打点の二冠(打率2位)を達成するなど新人打者として空前絶後の成績を残し、プロ野球人気を高めます。
そして翌年、史上初(そして現在まで唯一の)プロ野球天覧試合が実現。
“職業野球“と蔑まれていたプロ野球にとって天覧試合は、名誉であると同時にプロ野球を日本中に知らしめる大きなチャンスでもありました。
そしてこの国民的大試合で劇的なサヨナラホームランを放つのが、ミスターのミスターたる由縁です。
その後台頭した稀代のホームランバッター王貞治選手と共に「ON」として川上哲治監督率いる讀賣巨人軍の主力として1965(昭和40)年から1973(昭和48)年にかけてV9を達成。
「巨人・大鵬・玉子焼き」という、“昭和元禄“時代の流行語が生まれ、プロ野球は国民的スポーツの地位を不動のものとしました。
日本の野球界、プロスポーツ界の発展における貢献は非常に大きく、現在まで続くプロ野球人気はミスター抜きに語ることはできないのです。
●デビュー戦でのカネヤンとの対決
ミスターの公式デビュー戦で国鉄スワローズの大エース、”伝説の400勝投手”金田正一投手から「4打席連続三振(しかもすべてフルスイング)」を喫したのは有名です。
カネヤンはミスターの3歳年上で、プロ野球選手としては8年上の大先輩。
このデビュー戦での4連続三振は、ミスターのオープン戦での活躍をみた解説者が「長嶋なら金田など打ち崩して当然」といった趣旨の発言をしたのを耳にしたカネヤンが激昂、この日のために特訓を重ね、肩のピークがちょうど来るようにしたから、と言われています(最終的なミスターの対金田通算対戦成績は、打率.313、18本塁打)。
●記録でみる長嶋茂雄
長嶋茂雄さんは1936(昭和11)年2月20日生まれ、千葉県立佐倉第一高等学校から立教大学を経て1958(昭和33)年に東京讀賣巨人軍に入団。
ポジションは三塁手、背番号3(ジャイアンツ永久欠番)、1974(昭和49)年に引退。
V9を含む11度の日本一、13度のリーグ優勝に貢献。
「記録より記憶に残る」とは言われていますが、それは王さんが前人未踏の記録を叩き出したからなだけで、ミスターの記録も十分、異常です(笑)。
・新人王
・MVP5回
・首位打者6回(セリーグ記録かつ右打者で最多、うち3回は連続)
・セリーグ本塁打王2回
・打点王5回(うち2回は連続)
・最多安打10回(日本記録)
・ベストナイン17回(入団から引退まで全シーズン受賞)
・ゴールデングラブ賞2回
という凄まじさ。
そして特筆すべきは、大舞台で注目を浴びるほど燃えるキャラクターです。
日本シリーズでは
通算打率.343/25本塁打/MVP4回(史上最多)
オールスターゲームでの通算打率.313(150打席以上で歴代1位)
史上唯一「公式戦、オールスター、日本シリーズのすべてで通算打率3割以上」を記録しています。
さらに、1959年6月25日の天覧試合(阪神タイガース戦)で村山実投手から打ったサヨナラホームランをはじめ、皇室観覧試合の打率.514
日米野球の打率.295も、同時代の大打者である王貞治さん(.256)、張本勲さん(.250)野村克也さん(.202)などと比較しても際立っています。
●伝説エピソードの数々
ミスターのもう一つのスゴさ、それは真剣勝負の舞台であるプロ野球で、唯1人ショーマンシップを発揮し続けた点でしょう。
・三振でもダイナミックに見えるよう常にフルスイング
・緩めのヘルメットをかぶってスイングでヘルメットが吹っ飛ぶように演出
・ギリギリの打球でもあきらめず追う一方、簡単なゴロでもあえてファインプレーに見えるよう一歩目を遅らせギリギリで捕球する
といったこともしていたのだとか。
逆にフライは魅せる工夫のしようがないと、ショートに捕らせていたそうです(笑)。
これは「たとえ負けたとしても、良い負け方だったとお客さんに満足してもらえるように」との思いからだと言い、「ファンに喜んでもらい、観戦料を払ってもらってナンボ」というプロ意識に基づくものだと思います。
その“天然“なキャラも愛されるポイントで、
・ホームランを打ちベースを踏み忘れてアウトに(踏み忘れなければトリプルスリーを達成していた)
・フライで飛び出して3塁から1塁に帰塁する際、セカンドベースを経由せずまっすぐ1塁に帰ってアウト(三角ベース事件、しかも3回もやらかす)
・三塁手なのにショートゴロどころかセカンドゴロまで処理しに行く
・敬遠に抗議してバットを持たずに打席に入る(結局その打席で敬遠になる)
・敬遠球を打ってホームランに(スタンドイン1回、ランニングホームラン1回)
・大学時代の盟友である杉浦忠投手の引退試合で「思い切り三振します」と宣言しながら反射的にセンター前に打ち返してしまう
試合以外でも
・人の名前を呼び間違え続ける
・息子の一茂を球場に置き忘れて帰宅
・靴下が片方ないと大騒ぎするも、実は片足に二つとも履いていた
などなど、爆笑エピソードには事欠きません。
バッティングについてもどんな理屈やセオリーで攻めてもチャンスで打ち、名だたるライバルの名投手、捕手たちも「長嶋だけはなにをやっても通用しない」と、その野生の“勘“ピューターに舌を巻きました。
●実は努力家
よく「長嶋は天才型、王は努力型などと誤解されていますが、ミスターは大変な努力家」「ミスターは努力を見せない天才、自分は努力してるように見せる天才」と語るのは世界のホームラン王、王貞治さんです。
王さんに一本足打法を指導し大打者に育て上げた荒川博さんは「王が長嶋ほど努力していれば、もっとすごい打者になっていただろう」と言います。
ミスターは「努力は見せるものではない、プロはプレーで魅せるもの」と考えていました。
●惜しまれつつ引退、日本の高度成長期の象徴
1974(昭和49)年、ミスターは惜しまれつつ現役を引退します。
10月14日の引退試合は、まさに「国民的行事」でした。
セレモニーでの「わが巨人軍は永久に不滅です!」というメッセージはいまだにパロディに使われる程記憶に残り、「史上最高の引退スピーチ」だと思います。
そして。
ミスターの現役時代は、1958(昭和33)年から1974(昭和49)年の16年間。
これは奇しくも、日本の戦後の高度成長期とピッタリ符号します。
「ミスター長嶋茂雄の存在」は、「日本の黄金期」の記憶そのものなのです。
コメント
○人としても
✕人しても
です
細かい部分ですがすいません
初めてコメントさせていただきます
僕は平成生まれなので当然長嶋さんや猪木さんなど生まれる前のスーパースターの現役時代を知らないのですが
個人的に結構興味がありこのサイト様に出会いました
長嶋さんは監督時代か芸人さんのモノマネの印象ぐらいでしたが苦笑
やはり野球選手として人しても凄い方なんですね
昭和のプロレスにも興味があるのでこれからも記事楽しみにしてます
長文失礼しました
コメントありがとうございます。私はこのブログを書きながら、昭和生まれでも「知ってるつもり」で実はよく知らないコトが山のようにあるなぁ、と実感しています。。。平成生まれの方々にも楽しんでいただけると励みになります。これからも宜しくお願いします!
私も残念ながら長嶋さんは現役の記憶がなく監督のイメージですが本当に凄いスーパースターだったんですね。
猪木さんと同じ2月20日生まれの長嶋さん、残念ながら今年もう一人の2月20日生まれのスーパースター志村けんさんは旅立たれましたが猪木&長嶋さんはお元気でいて欲しいものです。
コメントありがとうございます。アントニオ猪木、長嶋茂雄、志村けんのお三方が同じ誕生日というのは奇跡ですよね。。。