「スーパーカーブーム」〜1977-78 昭和の日本列島が熱狂 人気車種ベスト8!

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クルマ
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今回は1970年代後半、日本列島を熱狂の渦に巻き込んだ「スーパーカーブーム」について、リアルタイムど真ん中世代の視点で、振り返ります!


 

●始まりは「サーキットの狼」~小学校では消しゴムレースが大流行

 

1975(昭和50)年、少年ジャンプで連載がスタートした「サーキットの狼」(池沢さとしさん作)。このマンガがすべての始まりとされます。しかし、小学生の子たちが皆、この作品を読んでいたかというと・・・ぶっちゃけ、低学年ではこの漫画とは関係なくハマった子の方が多かったような気がします。

「スーパーカー」の定義は曖昧で、大馬力で高速、カスタムメイドに近いスポーツカー…とかいろいろ言われてますが、要するに「そんじょそこらのクルマとは違う、スゲークルマ」という意味合いでざっくり、くくられていた気がします。ある友だちは「ライトが飛び出るやつ」「ドアが上に開くやつ」「300キロ出るやつ」しか認めない!とか言ってましたが、それってカウンタックだよね…。

 

ともあれ(いろんなブームもそうなのですが)、いつの間にやら小学生男子の間で大ブームに。下じきに筆箱、鉛筆などの文房具がスーパーカーで埋め尽くされ始めます。

 

中でも「スーパーカー消しゴム」は大人気。学校のあちこちで、「三菱鉛筆 BOXY」 ボールペンを用いたレースが開催されていました。家庭科教室とか理科室前の長い廊下に寝そべり、休み時間のたびに飽きもせず…。裏側にホッチキスを打ち込んだり、ボールペンのバネを伸ばしたりする“チューンナップ“も流行しました。

グッズではコカ・コーラやファンタの瓶の王冠の裏ブタ コレクションも大流行。

富裕層はラジコンやディスプレイ ミニカーに手を染める子も続出します。

 


 

●テレビにも進出

 

当然、テレビもこの人気を見逃すハズがなく、「対決!スーパーカークイズ」(東京12チャンネル)という、「いかにも」な番組が放送され、

アニメ「マシンハヤブサ」「とびだせ!マシーン飛竜」「超スーパーカー ガッタイガー」「激走!ルーベンカイザー」「アローエンブレム グランプリの鷹」が続々と登場します。

私はあまり観てないのですが、「マシンハヤブサ」と「グランプリの鷹」が2大巨頭だった記憶が…私はハヤブサ派でした。ポピー超合金などの玩具も売れましたね。もっとも、このアニメたちは「スーパーカー」というより「F1」などのレース要素が強いですね。相乗効果で「F1」や「ルマン耐久レース」などカーレースの人気、知名度も高まりました。

 


 

●現実社会での加熱

 

こうなると当然、子ども達は「絵や写真じゃなくて現物が見たい」となります。

そして1977年ごろから全国各地で「スーパーカー ショー」(展示会)が開催されます。当時のモーターショー会場、東京 晴海の国際展示場、私は福岡スポーツセンターに行きました。クルマの展示会なのに来場者はほぼ小学生と保護者。

 

ちょうど当時、発売されたばかりのストロボ内蔵、オートフォーカスの俗に言うバカ●ョンカメラ「ピッカリコニカ(C35EF)」を首からぶら下げて、狂ったように写真を撮りまくり、マスコミでも大きくブーム加熱ぶりが取り上げられました。撮影した写真はまったくもって意味がないのですけどね…(笑)

雑誌、写真集、大百科などの関連書籍もバカ売れして、挙げ句の果てには排気音を収録したレコードまで発売される狂乱ぶり。

 

街中で実車がいたらあっという間に人だかりができ写真を撮られ、遂にはエンブレムを盗む輩が登場して、社会問題になりました。

 


 

ブームを支えた人気車たち ちびっこが熱狂したベスト8!

 

ランボルギーニ カウンタック

リトラクタブル ヘッドライトにガルウィング。最高速は300㎞!。文字通り「スーパーカー」の代名詞的存在。LP400と、リアウィングありのLP500Sは至高でした。

 

ランチア ストラトス

「必殺技かよ」的なネーミングと、鮮烈なボディ デザインで人気がありました。ラリー用のカラーリングもカッコいいです。

ロータス ヨーロッパ

排気量や価格を考えるとスーパー?なのですが、「サーキットの狼」主人公風吹の愛車のコレは、間違いなく「スーパーカー」でした。

ポルシェ911カレラRS

「サーキットの狼」でのロータスのライバル。比較的見かけやすい車種ですが、それがカレラで911RSなのかは、マニア以外は見分けられません(笑)

ランボルギーニ ミウラ

たった750台しか生産されなかったと言われる名車。ランボルギーニ派の人にはたまらない車種。

ランボルギーニ イオタ

こちらはなんと世界に1台!しか存在しないという、幻の超希少車種。ミウラと見分けられたら「プロ」でした。

フェラーリ512BB

当時のフェラーリ社のフラッグシップモデル。カウンタックと並ぶ人気車種でした。

童夢-零

「なぜ日本製のスーパーカーがないのか」という声から生まれた和製スーパーカー。無名の自動車メーカー「童夢」が開発し、関連グッズもバカ売れして現在の紙幣価値で10億円を売上たそうです。


 

突然のブーム終了

 

熱しやすく冷めやすいのもまた、子ども達の特長です。

これだけ列島を熱狂させた「スーパーカー ブーム」は1978年ごろには一気に沈静化。ある日突然、誰も騒がなくなりました。

踊らされたスーパーカーの正規輸入代理店、並行輸入業者や、玩具メーカーの中には倒産した会社も存在するのだそうです。

 


 

「スーパーカー」ブームの遺したもの

 

当時、このブームでカメラに目覚めた子ども達はその後、「ブルートレイン」に移行し、いまの「撮り鉄」の源流となりました。

 

また、後にプロ カメラマンになった人たちの中にも、「最初のきっかけはスーパーカーブーム」という人も、一定数存在します。

 

そしてなにより、「クルマが好き」という人の多くが、小学生当時にこのブームを体験した、いま50歳前後の、私と同世代なのです。

「目的地に行くなら電車の方が早い」「駐車場とか維持管理費とか税金が無駄だからカーシェアでいい」「燃費が良いクルマがいいクルマ」「運転したくないから自動運転が」とかいう、夢もロマンもない“若者のクルマ離れ“がもはや止められない現代からすると、もう2度と起こらない、幻のような“熱狂“でした。

 

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