さてさて、そんなティン・マシーン活動開始時の「過去の曲は今後一切、ライブで演奏する事はない」という宣言は、思わぬ副産物を生みます。それは1990年、バンド活動真っ最中に「ボウイソロ活動の総決算ラスト公演」と銘打たれた「サウンド・アンド・ビジョン」というワールドツアーと、東京ドーム公演決定でした。
裏事情として、このタイミングで大量に再発された過去の作品を売るためのレコード会社からのゴリ押しがあったと噂され、「ボウイは金のためならなんでもやるのかよ」と冷めた声も聞かれましたが、それにしてもやっぱり、「これで過去の曲は聴き納め」という伝家の宝刀には抗えず、かつてのボウイファンは「最後の思い出」とばかりにチケットを買い求めました。
私もそんな中の一人です。
1990年 Sound + Vision Tour
5月15・16日:東京ドーム
ようやく手に入れたチケットは5月15日、公演初日のものでした。
このライブはNHKでも放送されました。
前述の通り、この当時のボウイはもはやいまひとつ盛り上がらない地味なバンド活動の真っ最中で、もはや終わった人、という空気だったのですが、このツアーは文字通り”ベスト・ヒット・オブ・ボウイ” セットリストで、余計な演出もないシンプルなステージと衣装が逆に楽曲の素晴らしさとボウイの衰えていないパフォーマンスを際立せ、再発された過去のアルバムも手伝って日本だけでなく世界各地で、何度目かのボウイ・ブーム、ボウイ待望論が巻き起こります。
とはいえ、この時期のボウイには厳しい意見も多かったのも事実です。
例えばザ・キュアーのロバート・スミスは「ボウイなんて『ロウ』を作った後に車に轢かれて死んじまえばよかった」と発言、ダイナソーJrのJ・マスシスからは「ボウイが俺たちをプロデュースしたいって?プロデュースが必要なのはあんたの方だ、なんなら俺がしてやろうか?」などと言われる始末。
いつも革新をもたらし、変化することが美学だったボウイが、過去のヒット曲を売りにしている姿が、リスペクトしていただけに余計見ていられなかったんだろうと思います。
★David Bowie history Blog INDEX
「デヴィッド・ボウイ」①~変幻自在のロックスタァ入門
「デヴィッド・ボウイ」②~スペースオディティ 宇宙の旅
「デヴィッド・ボウイ」③~ジギー・スターダストとは何か?
「デヴィッド・ボウイ」④~プラスティック・ソウル
「デヴィッド・ボウイ」⑤~ベルリン・プログレ
「デヴィッド・ボウイ」⑥~前半まとめ&来日公演
「デヴィッド・ボウイ」⑦~レッツ・ダンス
「デヴィッド・ボウイ」⑧~ライブ・エイド
「デヴィッド・ボウイ」⑨~Tin Machine
「デヴィッド・ボウイ」⑩~ Sound + Vision Tour
「デヴィッド・ボウイ」⑪~Black Tie White Noise / OUTSIDE
「デヴィッド・ボウイ」⑫~Earthring & 中期以降のまとめ
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