さてさて、アメリカでのソウルをやり切ったボウイが次に向かったのは、なんと「ベルリンでプログレ」でした。私の最も好きな時期でもあります。
しかしこの振れ幅、WWEでチャンピオンになって次にブラジルで総合格闘技やってみる、的な感じです(笑)。
裏事情としてグラム時代~アメリカ時代に、もはや中毒になっていたヘロイン、LSDなどの薬物からの解脱を兼ねてベルリンに引き篭もったボウイは、ブライアン・フェリー率いるロキシーミュージックの初期キーボード奏者で、新鋭のプロデューサーであるブライアン・イーノとタッグを結成します。
■LOW(77年)
77年に発売されたアルバム「LOW」。
重厚かつ陰鬱なインスト曲をメインに、以前のロックンロールスタイルからは大きくかけ離れた知的サウンドで、これまた世間をあっと言わせる事に成功します。私も大好きなアルバムです。
この時代、セックス・ピストルズがデビューし、パンクが主流の音楽シーン。
このパンクムーブメントに最も影響を与えたのはボウイだったのだけれど、ボウイは勢い任せのシンプルなパンクをやるのを拒絶して、敢えて反対側の超絶技巧、知能的ジャンルを選んだのだと思われます。単なるへそまがりとも言えますが(笑)
■Heroes(77年)
続くベルリン2作目「”Heroes”」ではプログレ界の首領キング・クリムゾンの変態ギタリスト、ロバート・フリップを参加させるというウルトラCをやってのけます。
これは例えてみれば、オカダカズチカのライバルとして全盛期のヒクソン・グレイシーが登場したようなもんです(適当)
このアルバムのタイトルチューンである「ヒーローズ」は、東西ベルリンの壁に引き裂かれた恋人達を描き、「誰でも英雄になれる、たった1日だけなら」という歌詞と共に、ベルリンの壁崩壊の頃はもちろん、いまでもオリンピック閉会式などなにかにつけ感動的な場面で頻繁に流れる、ロック史上屈指の名曲です。
有名なモノクロのアルバムジャケットの撮影は、日本人カメラマンの鋤田正義さん。
ちなみに・・・この頃のアルバムがレコーディングされたハンザトンスタジオと、エンジニアのマイケル・ツイマリングは、後に BOφWYや布袋のアルバムが録音された事でも知られます、って単にボウイに憧れてマネしたワケですが(笑)
そもそも、ヒーローズのベースラインをテンポ早めたらBOφWYのドリーミンになり、そんまんまでも吉川晃司のボーイズライフになるワケですよ、アルバム「ModernTime」のジャケもそのまんまですし(笑)
私が大学の卒業旅行で、どうしてもベルリンに行きたかったのはそんな背景があったからなのでした。
「Heroes」
▼2016年、追悼Liveでの私のカヴァーです。
★David Bowie history Blog INDEX
「デヴィッド・ボウイ」①~変幻自在のロックスタァ入門
「デヴィッド・ボウイ」②~スペースオディティ 宇宙の旅
「デヴィッド・ボウイ」③~ジギー・スターダストとは何か?
「デヴィッド・ボウイ」④~プラスティック・ソウル
「デヴィッド・ボウイ」⑤~ベルリン・プログレ
「デヴィッド・ボウイ」⑥~前半まとめ&来日公演
「デヴィッド・ボウイ」⑦~レッツ・ダンス
「デヴィッド・ボウイ」⑧~ライブ・エイド
「デヴィッド・ボウイ」⑨~Tin Machine
「デヴィッド・ボウイ」⑩~ Sound + Vision Tour
「デヴィッド・ボウイ」⑪~Black Tie White Noise / OUTSIDE
「デヴィッド・ボウイ」⑫~Earthring & 中期以降のまとめ
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