今回は「80年代の吉川晃司」シリーズ③ デビュー3年目の1986(昭和61)年編です。
この年は原田真二さん作曲、Saxの音色が印象的な16Beatのアッパーチューンでスタートします。
- 7thシングル「キャンドルの瞳」1986.1.1 2位 作詞:安藤秀樹/作曲:原田真二/編曲:後藤次利
- ●原田真二さん
- ●岡村靖幸さん
- 4thアルバム「ModernTime」1986.2.21 1位 19万枚
- ●安藤秀樹さん
- 8thシングル「MODERN TIME」1986.3.21 10位 作詞・作曲:吉川晃司/編曲:後藤次利
- 1986.6.21 12インチシングル「NERVOUS VENUS」 作詞・作曲:吉川晃司/編曲:後藤次利
- ●野外ライブイベント「休日のSATISFACTION=FAKE」
- ●85’DRASTIC MODERN TIME TOUR+TOKYO 8DAYS
- ●最初で最後のBOØWYとの共演
- 9thシングル「すべてはこの夜に」1986.9.30 4位 作詞:佐野元春/作曲:佐野元春/編曲:西平彰
- ●「Merry X’mas Show」
- ●桑田佳祐さん
7thシングル「キャンドルの瞳」1986.1.1 2位 作詞:安藤秀樹/作曲:原田真二/編曲:後藤次利
この楽曲で「ザ・ベストテン」に出演した際、ターザンよろしくスタジオを飛び回り、逃げ回る黒柳徹子さんの姿は何度も名(迷)場面集で放送されました。
▼ターザン回
●原田真二さん
原田真二さんは初期における重要人物の一人。広島出身で同郷でもあります。デビュー前に歌唱法を参考にした、とご本人も語っており、これまで「フライデー ナイト レビュー」(1st)、「ポラロイドの夏」「BIG SLEEP」「太陽もひとりぼっち」(2nd)、「心の闇(ハローダークネス)」(3rd)とアルバム曲を数多く提供してきましたが、シングルはこれが初(にして最後)です。原田真二さん曰く「何曲も書いたのにボツにされた」だそうで…
吉川晃司さんもデビュー時から自作曲をなんどもボツにされ、ようやく3rdアルバムで自作詩が、自作曲が採用されたのは4thアルバムから、シングルにいたっては8作目からです。木崎さんをはじめとしたプロデュース陣の”吉川晃司ブランド”のクオリティに対するこだわりが感じられるエピソードです。
●岡村靖幸さん
カップリングは、後に親友となる岡村靖幸さん作曲の「奪われたウィンク」。岡村さんの楽曲提供はこの1曲のみ。アルバムには収録されず、長く入手困難曲でした。
4thアルバム「ModernTime」1986.2.21 1位 19万枚
1.Mis Fit/2.キャンドルの瞳/3.Modern Time/4.MISS COOL/5.Drive 夜の終わりに/
6.選ばれた夜/7.BODY WINK/8.ナーバス ビーナス/9.サイケデリックHIP/10.ロスト チャイルド
そして本作から、アイドル色を完全に払拭し、モノクロームでマニアックな作風に大きく変わり、アイドルとして支持する女子中高生ファンを置いてけぼりにするような、本格的なロックの名盤となりました。夏から冬へ、昼から夜へ。リゾートからアーバンを通り越して極北の街に来たような変遷です。私の(ご本人もらしい)最も好きなアルバムです。
ベース後藤次利さん & ドラムス 山木秀夫さんの”最強コンビ”に加え、青山純さんもドラムで参加。キーボードに富樫春生さん、国吉良一さん。そしてギタリストは布袋寅泰さんと北島健二さん。加えてサックスで矢口博康さん、Jake.H.Conception、松武秀樹さんがコンピュータプログラミングという顔ぶれです。
>このアルバムについては以下でも解説しています
「1985年の吉川晃司と尾崎豊と鈴木賢司と布袋寅泰」
「80年代名盤「吉川晃司」~4thアルバム Modern Time」
自作による楽曲が半数を超え、自作以外の作曲陣に原田真二さん、中島文明さん、佐藤健さん、安藤秀樹さん。作詞はご本人+安藤秀樹さんです。
▼ゴッキーベースが炸裂「サイケデリックHIP」
●安藤秀樹さん
これまでシングル楽曲「にくまれそうなNEWフェイス」「RAIN-DANCEがきこえる」「キャンドルの瞳」、C/W曲「永遠のVELVET KISS」「無口なmoonlight」、アルバム楽曲「フライデー ナイト レビュー」「a day・good night」(1st)「No No サーキュレーション」「サイレントムーンにつつまれて」「グッド ラック チャーム」「Border Line」「She’s gone-彼女が消えた夜」(2nd)「心の闇(ハローダークネス)」「別の夢、別の夏」「in a sentimental mood」(3rd)と、重要な楽曲の作詞を担当してきた安藤秀樹さんは、本作では吉川晃司さん自作以外の全楽曲の作詞を手掛けています(「Mis Fit」「MISS COOL」「Drive 夜の終わりに」「選ばれた夜」「BODY WINK」「ロスト チャイルド」)。
安藤さんは「ROCK界の吟遊詩人」の異名をとり、1986年からはソロシンガーとしても活躍しました。
8thシングル「MODERN TIME」1986.3.21 10位 作詞・作曲:吉川晃司/編曲:後藤次利
8枚目となるシングルは、ようやく初となる本人の作詞作曲。4月公開の主演3作目の映画「テイク・イット・イージー」の主題歌としてシングルカットされました。
▼夜ヒット(2度目)
このアルバムからは自作曲「ナーバスビーナス」がリミックスされ、同じく自作曲の「サイケデリックHIP」とカップリングで12インチシングルがリリースされました。
1986.6.21 12インチシングル「NERVOUS VENUS」 作詞・作曲:吉川晃司/編曲:後藤次利
●野外ライブイベント「休日のSATISFACTION=FAKE」
この春、単独での全国野外4会場でのライブイベントを開催します。
4.27 西武球場
4.29 京都・比叡山スキー場
5.3 名古屋・国際展示場
5.5 福岡・小戸トワイライトゾーン
私はラストの福岡公演に行きましたが途中から雷交じりのゲリラ豪雨に。曲中のアクションで足を上げるとイナヅマが走る、というCGのような自然の演出はオツなものでしたが、電子楽器がひとつづつショートして音が死んでいく、という緊急事態に。
観客の足元もぬかるみ、寒さに震える中帰る観客もおらず、バケツで水を被り「これでおまえらと一緒だぜー!」と最後まで演りきったパフォーマンスは、圧巻でした。
●85’DRASTIC MODERN TIME TOUR+TOKYO 8DAYS
5.18-8/21、50公演を超える全国ツアーは、初期ソロ時代の最高傑作ともいえる完成度の高いツアーでした。日本では初となるムービングトラス照明を使用し、年明けのフジテレビでの中継では数十台のCCDカメラを駆使した映像が画期的。当時の音楽事務所が所属アーティストに「勉強のために観てこい」と促した、と言われるほどです。
そしてツアーラスト、渋谷公会堂6日+中野サンプラザ1日+大阪城ホール1日の計8日間は、「仮説 吉川晃司’86 TOKYO 8DAYS LIVE」と銘打たれ、構成も全く異なる、さらにアーティスティックなステージが展開されました。これは当時の人気マンガ「TO-Y」でもネタにされました。
●最初で最後のBOØWYとの共演
8.4、いま都庁が建つ旧浄水場跡地、新宿都有3号地で開催された「WATER ROCK FESTIVAL」。
BOØWY、44マグナム、山下久美子、大沢誉志幸との共演で、NHK地上波で放送されました。この日の吉川晃司さんはBOØWYメンバーを従えて自曲を歌い、氷室京介さんとツインボーカルも披露(アルバム「JUST A HERO」の再現)。最初で最後の競演となります。山下久美子さんの「こっちをお向きよソフィア」(大沢さん作曲)ではサイドギターも担当しました。吉川さんはこの日も自らバケツで水を被り「これでオマエらと一緒だぜ!」と叫んでました(笑)
▼吉川晃司&BOØWY「1994 LABEL OF COMPLEX」
9thシングル「すべてはこの夜に」1986.9.30 4位 作詞:佐野元春/作曲:佐野元春/編曲:西平彰
ビートロックに傾倒していたこのタイミングでリリースしたシングルは意表を突くミディアムナンバー。もともとは佐野元春さんが沢田研二さんに書き下ろした楽曲で、吉川さんはデビュー前にボーカルトレーニングで唄っていたのだとか。1stアルバムに収録が予定されたものの佐野さんが「沢田研二さんが唄ってないのに」と難色を示し断念。その後沢田研二さんがアルバム「NON POLICY」(1984年)でリリースしたため、使用が許可されました。ジュリー版と聴き比べると、それぞれ違った良さがあります。
●「Merry X’mas Show」
12.24、日本テレビ系列で今や伝説のTVプログラム『メリー・クリスマス・ショー』 (Merry X’mas Show) が放送されました。吉川晃司さんはこの企画の「言い出しっぺのクセになにもしない」(by桑田佳祐さん)。
ロッケストラ(KUWATA BAND、アン ルイス、吉川晃司、BOØWY、高見沢俊彦、鮎川誠 、DEKAPAN(依田稔)、SUE CREAM SUE)として「Telegram Sam (T-REX)」、「Let’s Spend the Night Together(Rolling Stones)」、BEACH FIVE(泉谷しげる、吉川晃司、桑田佳祐、高見沢俊彦、中村雅俊+松田弘、琢磨仁)として「長崎は今日も雨だった~ Dedicate to BEACH BOYS(内山田洋とクール・ファイブ、ビーチボーイズ)」、さらに BOØWYとのコラボで「Help!(The Beatles)」をパフォーマンスしました。
●桑田佳祐さん
言わずと知れたサザンのボーカル、桑田佳祐さんはこの時期、KUWATA BAND」としてより洋楽ロック色の強いバンドサウンドメーキングを行っていました。そんな大先輩・桑田さんからしても吉川晃司さんは気になる存在。当時、前述の屋外ツアーパンフに、こんな一文を寄稿しています。
「キッカワ、てめぇだけは許せねぇ!オザキだのチェッカーズだのはまだ許せるが、キッカワ、てめぇだけは許せねぇ!」
この文章、一見すると意味不明ですが、もちろん、桑田流の愛情表現。”フィジカル”というキーワードを用いると、その意味合いが理解できます。
そもそもロックに限らず、ミュージシャンは”文科系”、いまでいう”陰キャ”のジャンルです。見た目が貧相で、ルックスがイマイチでも、名をあげる(女にモテる)手段として音楽の才能を磨き、コンプレックスをバネに活躍するのが、これまでの常識でした。
しかしながら吉川晃司、という存在は、バランスの取れた逆三角形の肉体美を誇り、手足も長く少女漫画かモデルの世界から抜け出たようなスタイルで、さらには水球のオリンピック候補になろうかというフィジカルエリート。
そんな恵まれた”陽キャ”がロックだの言われたら、たまったもんじゃありません。外タレのアーティストと並んでも全く見劣りしないフィジカル、小手先のテクニックとかどうでもよくなる、問答無用の”シルエットのカッコよさ”こそが、吉川晃司さんの最大の魅力。事実、ステージで並ぶと、天下の桑田佳祐さんやカリスマ・忌野清志郎さんや氷室京介さんですら、オトナとコドモ、スケール感でまったく歯が立たず”貧相”に見えてしまうのです。これは後に親友となるヒムロック、布袋氏らも出会った時の印象として「生まれ持ってのスターってこういうヤツなんだ」と、その天性の”華”について語っています。それが桑田さんの言う「オザキだのチェッカーズだのはまだ許せるが、キッカワは許せねぇ」という表現に表れているのだと思うのです。
>次回はいよいよ最終回。1987-88年に続きます!
コメント
拝啓 サイトヘッド様にはよろしくお願いいたします。しかし今回「原田真二さん」について書かせて頂けるのは嬉しいです。彼はミュージシャンとしてもちろん知られている男ですが、ある別の一面からももっと知られなくてはならない男 ミュージシャンであるからです。それは「見事なPS=プライベートスタジオを最も早くから所有するミュージシャン」だからです。
我々は此処をもっと良く理解し、その重要性を確認する必要があります。サイトヘッド様もミュージシャンであるなら必ずお解りですが、現在過去未来と「ミュージシャンにとってPS=プライベートスタジオは必須 必要絶対条件」です。実は、、、世はほとんど知らないと思われますが、実は日本のミュージシャンでのPSの先駆者パイオニアは何と「ディックミネさん」なのです。これには驚きで数枚の写真が残されていますがご自宅のPSは素晴らしく「ミキサーコンソールは旧式といえど写真から、音羽の旧キングレコードのマスタリングルームの機種とほぼ同一?であり、MTR=マルチトラックレコーダーは未確認ですがどうやら「フィリップスやデンオンの2T数台を用いてのダビング?」かもしれません。マイクもご本人が「最低1本10万した(当時)が30数本、SP=モニタースピーカーはジムライセン(JBLの事か?)が良いですね」と語り、本当に驚きました。当時ご自身のレコード原盤は此処で造っていたと。
更に「俳優の三橋達也さん=趣味が高じて自宅に有栖川スタジオぶっ建てた 藤岡琢也さんも見事なPSをお持ち」でした。更に物凄い方と言えば当然「野口五郎」さんでした。彼は若くして1979年頃より素晴らしいPSを造られ「ADMのフルカスタムコンソール、アンペックス16T、スカーリー2T 始めマッキンのアンプやJBL L200等 ほかにキーボード等完璧な装備で憧れでした。当時訪問したかったが、自分の取引していた某ディーラーの営業が「色々な小物を売った」と話せる範囲で話してくれましたね。彼のPSは原則非公開で当時の写真しか公開されませんが、現在はPT=プロツールス中心の様でしたね。其処でやっと「原田真二さん」ですが、、、彼も早くから「カセットMTRの4ch」あたりから始められ、その後「アンペックスの16tを入手し、当時存在していたムーンチャイルドスタジオに貸与していた」と言います。これは凄いと思いましたね。その後彼はご自宅の一室に「ヤマハのDMR8=8tレコーダー&フルオートコンソール内蔵」の素晴らしいメカを中心にMacPCや各種キーボードをそろえた素晴らしいPSを造られ、活躍されていました(当時、全く偶然にも野口五郎スタジオでもほぼ同じメカが活躍していた様でした) 此処で驚くのは、原田真二と言う男の物凄さですが、、彼は今日「箱根の旧ロックウェルスタジオを買収し、最新の素晴らしいスタジオに変身」させたのです。この旧ロックウェルは日本で多分初のリゾートスタジオで(一説ですと旧ポリドールの伊豆スタジオの方が本家だ何だと、、、) 当時素晴らしい環境のスタジオでした。
こういった彼の真摯な態度は素晴らしいですね。サイトヘッド様もミュージシャンならお解りでしょうがPSとは? 例えその端くれであろうとも必ず所有せねばならないと言ったのはあの「大瀧詠一師匠」でした。大瀧師匠も福生瑞穂で素晴らしいPSを所有され、早くからステューダー16t等もありましたから。現在世界の音楽業界ではもう「徹底的にPT=プロツールスが幅を訊かせ大きな面している」が、此処までたどり着くには「前期の先駆者たちの血の出る様な努力と洪水の様に出てゆく銭金が在った」からこそなのです。今日ミュージシャンにとってPSは本当に身近な存在となり、誰でも自宅に造られるようになりましたが、その反面本来の目的である「サウンドと音楽の追求から外れ、単なるコストダウンのみ語られる」のは誠に心外論外です。現に「川井憲司さん」の様にPSの概念を超越した素晴らしいPSを持つミュージシャンこそ本物であり、原田真二も含まれます。コストだ何だと経済観念ばかりで語られるから音楽は貧しくなってしまう、、、此処はもう一度「PSを持つ事の意義と意味と責任」を考え直し、例えば「原田真二」等の態度を見習う事も必要ではないでしょうか。
敬具
コメントありがとうございます。原田真二さんについては、いつかきちんと取り上げねば・・・と考えておりました。プライベートスタジオの歴史、勉強になります。原田真二さんや野口五郎さんは納得ですが、ディックミネさん、三橋達也さん、藤岡琢也さんなどのお名前は新鮮です!