Wikiの「バンドブーム」ページを見ると、1980年代終盤から90年代前半が「第二次バンドブーム」なのだそうです。
確かにこの時期、歌謡曲、アイドル、ヒットチャート番組の衰退と入れ替わるように「ロック」が浸透して数々の「ロックバンド」が登場してビッグヒットを放ち、メジャーになりましたし、90年代以降のミリオンヒットが連発される「第三次バンドブーム」の下地を築いた感があります。
しかし、
①80年代終盤のバンドブーム
②90年代前半の「イカ天」バンドブーム
③同ビジュアル系バンドブーム
を一括りに語るのは当時高校生~大学生でリアルタイム世代の私からすると、違和感しかありません。
この括りで「特に、THE BLUE HEARTS、ユニコーン、JUN SKY WALKER(S)、THE BOOMの4グループは「バンド四天王」と呼ばれている。」とか言われると、「???」なのです。
そこで今回は、リアルタイム世代からみた、80年代バンドブーム史をご紹介します。
※( )はメジャーデビュー年です
その前に、、、第一次バンドブームを振り返ってみます。
■1970年代のロック バンド
60年代のグループサウンズ(GS)が終焉し、70年代はフォーク全盛の時代でした。この時期にも
●はっぴいえんど(1969〜)
●サディスティック・ミカ・バンド(1972〜)
●四人囃子(1971〜)
など、いまとなっては伝説のロックバンドが活動していましたが、いずれも70年代中には活動休止、解散。
彼らスゴ腕のミュージシャンの多くが、作詞作曲編曲コンポーザーなどの裏方にまわったこともあり、70年代中盤から80年代前半は、歌謡曲、アイドル全盛の時代でした。
70年代のロックバンドで、後世に多大な影響を与えたのは、忌野清志郎氏率いる
●RCサクセション(1969〜)
です。「日本語ロック」の成立、コンサート、ライブ パフォーマンスなど、ロックバンドとしてのスタイル確立に大きな影響を及ぼし、数多くのフォロワーを生み出しますが、セールス的にはマイナーであり、80年代には活動休止して商業的に大成功したとは言えない、のが興味深いところです。
そして70年代終盤、TV歌謡番組を席巻した
●世良公則&ツイスト(1977〜)
と、桑田佳祐氏率いる
●サザンオールスターズ (1977〜)
が登場。
ツイストはヤマハの「ポプコン」出身。フォーク、ニューミュージックの大会でロックバンドが優勝したことは衝撃を与え、デビューシングル、アルバムでオリコン1位を獲得。「ロックをメジャーにした日本初のバンド」と言われます。世良公則氏は同時期に活躍した原田真二氏、Char氏と共に「ロック御三家」と呼ばれ、アイドル的な人気を博します。
サザンは大学の軽音出身、バックボーンはビートルズ、クラプトン、ニールヤング…など、やってることは間違いなくロックバンドなのですが、桑田氏のキャラとポピュラリティで広く一般層ファンを獲得、独自の立ち位置を確立します。
この2つのバンドと、同時期にヒットを連発したタケカワユキヒデ氏、ミッキー吉野氏らの
●ゴダイゴ(1975〜)
バンドよりソロのイメージが強いのですが
●桑名正博&Tear Drops(1979~)
などの出現で、70年代後半、音楽業界に「ロックもうまくやれば儲かる」という素地が作られたのが「第一次バンドブーム」と言えます。
ちなみに・・・この世代のバンドで80年代中盤、若手バンドによるブームに引っ張られるようにブレイクしたのが、大友公平氏 率いる
●ハウンドドック(1976〜)
でした。メンバーチェンジで加入したベースの鮫島均氏は、世良公則&ツイストのメンバーだった、というのもこれまた、面白いですね。
80年代の第二次バンドブームの前に、語っておかないといけない流れがあります。
■1984 ニュータイプ アイドル登場
この「1984年」という年は、一つの転換点です。アイドル全盛の時代に登場した
●チェッカーズ(1984〜)
と、結成こそ早いものの、少し遅れてブレイクした
●C-C-B(1982〜)
は、歌謡界にスタンスを置きながらロック バンドとしてコンサートツアー、ライブを精力的にこなしていました。また、結成以来長く井上陽水氏のバックを務めていた
●安全地帯(1973〜)
も83年にバンドとしてデビュー、玉置浩二氏の歌唱力とキャラクターで大ヒットを連発しました。
そしてこの1984年に鮮烈なデビューを飾った吉川晃司氏が、アイドル歌謡界とロック界の垣根を壊す役割を担います。
→メリークリスマスSHOW 1986.1987
さらにこの年、1984年にソニー出版から出版された「PATI PATI」は、アイドルともニューミュージックとも違う、チェッカーズや吉川晃司らニュータイプ アイドルのロック化と、逆に尾崎豊氏やバンドなどロック アーティストのアイドル化を加速。後に別冊「PATI PATI rock ‘n’ roll」などが創刊され、バンド ブームを後押ししました。
これらが重なり、80年代中盤からバンドブームの火付け役となる、ビッグセールスを記録するスーパーバンドが続々と登場します。
■80年代第二次バンドブーム
ようやく本題です。80年代のバンドブームは、大きく以下の3つのバンドが大勢を形作った、というのが私の印象です。
●BOØWY(1982〜)
別バンドのヴォーカリストとしてデビューしたものの泣かず飛ばずで失意の氷室京介氏が、帰郷前の最後に、と訪れたRCサクセションのライブに感動。ライバル バンドのギタリスト布袋寅泰氏を六本木アマンド前に呼び出して結成、というのはあまりにも有名なエピソードです。1982年のデビュー当初はサックスとサイドギターを加えた6人編成でしたがやがて4人となり、8ビートのロックンロールにパンクの要素とニューウェーブのメロディアスな旋律を加えた“ビートパンク”を武器に、ビジュアルと圧倒的なライブ パフォーマンスで徐々に人気に火がつき、大ブレイク。1988年の絶頂期での解散までの実質5年で日本のミュージックシーンを席巻。第二次バンドブームの火付け役となり、全国に数多くのロックキッズを産みました。>関連記事「JUST A HERO」
●レベッカ(1984〜)
女性ボーカルNOKKOのコケティッシュな魅力と、土橋安騎夫氏の手によるマドンナなど当時の洋楽テイストを取り入れたサウンドメイクで、85年4thシングル「フレンズ」が大ブレイク。日本ロックバンドで初のミリオンセールス130万枚を記録したアルバム「REBECCAⅣ~Maybe Tomorrow~」を筆頭に、出すアルバム全てが80万枚以上を売り上げ、BOØWYと共に第二次バンドブームを牽引しました。
●THE BLUE HEARTS(1985〜)
甲本ヒロト氏と“マーシー”こと真島昌利氏を中心に1985年結成。当初はインディーズ好きの間で口コミで噂が広がり、87年のデビューシングル「リンダリンダ」でメジャーデビューすると、またたくまに時代の寵児となりました。原点回帰的な“3コードのパンクロック+聞き取りやすい日本語の文学的なメッセージ”は若者から、文芸界や演劇界などにも幅広く支持され、いまだにCMソングにも使われ続けています。
■80’バンド ブーム 第2グループ
そして「ロックバンド」が人気、注目されるようになると、さまざまなキャラクターのバンドたちが活躍します。
●BARBEE BOYS(1982〜)
男女ツインボーカル、という今もって同様の編成は少ないロックバンド。男女の駆け引き、裏切りなどを描く世界観は独特で、イマサことギター いまみちともたか氏のコンポーザー、プロデューサーとしての能力はスゴイものがありました。個人的にはもう少し評価されてしかるべきバンドだと思っています。
●TM NETWORK(1983〜)
後にユーロビートで天下を取る小室哲哉氏率いるTMネットワークは、結成こそ1983年ですが、なかなかメガヒットが出ず「知る人ぞ知る」的な存在でした。渡辺美里氏「My Revolution」などの作曲家として注目を浴び、バンドとしてようやく一般層にブレイクしたのは、バンドブームも終焉に近い1987年、かの有名な「Get Wild」です。当時のサポートメンバーに松本孝弘氏(B’z)、浅倉大介氏(ACCESS)、北島健二氏(Fence of Defence)らがいたのも有名です。
●RED WARRIORS(1985〜)
元レベッカのリーダーでありNOKKOの元夫、ギタリスト木暮武彦氏(シャケ)と、いまやバラエティ タレントのDIAMOND☆YUKAI氏を中心に結成。グラマラスなロックを展開してバンドブーム後期にブレイクしました。これをまとめるにあたり調べていたところ女優の杉咲花さんはシャケの娘さんだと知りました。ビックリ。
●BUCK-TICK(1987〜)
強烈なビジュアルでデビュー当時は急進的なハードコア、その後ゴシック、オルタナティヴ、エレクトロニカとスタイルを変えながらバンド ブーム期から現在まで、解散もメンバー変更もなくメジャーシーンで活動し続けている数少ないバンドです。ブレイク期にギターの今井寿氏がLSD不法所持で逮捕、謹慎となるハンデを負いましたが根強いファンを持ちます。
■実力派のイロモノ三銃士
以下の3バンドはレーベルが同じソニーであったことで「ソニー3大イロモノバンド」として括られますが、いずれも実力者揃いのユニークなバンドでした。個人的には、爆風も米米も、世間一般的なブレイク前の方が魅力的でしたね。。。
●爆風スランプ(1981〜)
長いキャリアと、ファンクにプログレなど抜群のテクニックを持ちながら、花火やスイカ、火炎放射などのパフォーマンスと「無理だ!」「世田谷たがやせ」などのコミカルな歌詞で長くコミックバンド、イロモノバンドとしてカルトな人気に留まっていましたが、1986年に路線変更。「Runner」の大ヒットで一躍メジャーになりました。私はその前のスタイルしか好きではありません(笑)。ギターのパッパラー河合氏は90年代にポケット ビスケッツのプロデューサーとして一世を風靡。
●米米CLUB(1985〜)
このバンドも、爆風スランプ同様に長らくコミック、イロモノとして扱われていましたが、初期はファンクでカッコいい楽曲がたくさんありましたし、演劇を取り入れたライブ パフォーマンスは独特の世界観がありました。しかし、1990年の「浪漫飛行」以降は「君といるだけで」など、なんだか「売れ線のいい唄を唄うバンド」になってしまい、まるきり興味がなくなりました。
●聖飢魔Ⅱ(1982〜)
爆風、米米と並び「ソニー三大色物バンド」と称されたヘヴィメタル バンド。デーモン小暮閣下の特異なキャラでデビュー曲「蝋人形の館」でブレイクしますが、高い歌唱力と演奏テクニックで音楽ファンから長く支持を集め、1989年にはヘヴィメタル バンド史上初の「NHK紅白歌合戦」出場も果たしました。
■ガールズ バンド
こうなると当然、女性バンドも登場します。この時期の草分け的存在は以下の2バンドです。
●SHOW-YA(1985〜)
女性だけ(それもハードロックの)ガールズ バンドの先駆けでしたが、当初はアイドル的な売り方を強いられ、セールス的に長く苦戦しました。1987年から企画・主催を始めた女性アーティストのみを集めた野外イベント「NAONのYAON」でガールズ バンド認知度向上にも貢献しました。
●プリンセスプリンセス(1983〜)
デビュー当初は「赤坂小町」という名前でアイドル的に扱われ、1986年にバンド名変更、1988年からようやく売れ始め、1989年に、7枚目のシングル「Diamonds」でオリコンチャート1位、ミリオンセラーを記録してようやく大ブレイクを果たしました。女性のみで構成されたバンドの中で、商業的に日本で最も成功したグループとされます。
■渋い実力派
●THE STREET SLIDERS(1983〜)
バンドブームの最中、孤高にして独特の立ち位置を保ち続けたバンドです。TVには一切出演せず、セールス的なビッグヒットはないままにカルト的な人気を誇り、1986年には武道館公演も。
スライダーズはバンドブームとは無縁の印象ですが、存在感はありましたし、この時期の武道館公演なんかはブームの影響を受けていると思います。
●日本初のオールナイト ロック フェス 熊本 BEAT CHILD
1987年8月22〜23日、熊本県の阿蘇高原に7万2千の大観衆を集め、日本初のオールナイト ロック フェスティバル「BEAT CHILD」が行われました。公演中に大雨、気温も急激に下がり失神者が続出、足元も泥沼で地獄絵図と化して「史上最低で、最高のロックフェス」「日本のウッドストック」と伝説になりました。
出演者は以下の通り。
THE BLUE HEARTS
UP-BEAT
RED WARRIORS
小松康伸
岡村靖幸
白井貴子&CRAZY BOYS
HOUND DOG
BOØWY
THE STREET SLIDERS
尾崎豊
渡辺美里
佐野元春 with THE HEARTLAND
私的には、このライブイベントが80年代第二次バンドブームの頂点で、そして「終わりの始まり」だった印象があります。
翌1988年末にBOØWYが人気絶頂で解散、そのほかのバンドもソロ活動が増えたり活動休止したり、80年代の終わりと共に、一連のブームも踊り場に来た感がありました。
この後が、TBSの深夜番組「三宅裕司のいかすバンド天国、通称 イカ天(1989年2月~1990年12月)です。
●FLYING KIDS
●BEGIN
●たま
●マルコシアスバンプ
など、個性的なバンドがメジャーデビューしました。
そして、
●LINDBERG
●ユニコーン
●JUN SKY WALKER(S)
●THE BOOM
などがブレイクしていった・・・という感覚です。これらのバンドは結成は80年代後半でも、90年代として括られる方が、しっくり来ます。
1991年には歴代最高の510組ものバンドがメジャー デビューしたと言われますし、実際に日本のロック バンドが、マーケット的にもクオリティ的にも大きく進化したのは90年代以降、とされますが、その下地は間違いなく80年代の第二次バンドブームだったと思います。
マーケットが成熟していない分、ライブハウスでの長い下積みを経て、選ばれしメジャーデビューという感じがありましたし、各バンドそれぞれに個性豊かで、いろんな意味で「ロックバンドの可能性を広げた」時代でした。
完
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