「COMPLEX」②〜1990 吉川晃司×布袋寅泰 突然の”活動急死”

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音楽
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前編に続く、リアタイ世代が語る 吉川晃司×布袋寅泰 ロックユニット「COMPLEX」第2回です。

 

1990(平成2)年4月18日、約1年ぶりのセカンドアルバム「Romantic 1990」をリリース。

それに先駆けて、シングル「1990」もリリースされました。

 

1990(平成2)は「バブル崩壊」の年であり、世界情勢も激動していました。ベルリンの壁崩壊、天安門事件、東欧諸国でも革命が起こるなど、戦後長く続いた価値観の展開的な出来事が頻発し、迫る世紀末とも相まって、混沌とした空気に包まれていました。

 

2人はその時代の空気感に刺激を受け、これから幕開けする1990年代に対して「Romantic」というコンセプトで挑みます。

 

ジャケットはLOVE & PEACE。楽曲も「RROPAGANDA」、ベルリンの壁をモチーフにした「THE WALL」、ネオナチ台頭を想起させる「DRAGON CRIME (East & West)」、天安門事件をモチーフにした「After The Rain〜紅いChina」など、かつてなくメッセージ色の強いナンバーが並びます。

 

また、バランスよく(吉川作品の方がやや多い)両者の作曲作が並んだファーストと違い、本作では「作詞:吉川晃司」「作/編曲:布袋寅泰」という分業が鮮明に。吉川さん作曲は「MODERN VISION」1曲のみでした。

 

サウンド面では私が前作感じた「キャッチー&わかりやす過ぎ」さがなくなり、布袋さんらしさ爆発のコンセプチュアルで音楽性のより高い、テクニカルな“隠”のナンバーが並びました。

 

当時のインタビューでも布袋氏は「これまでの最高傑作」と発言していて、私も「そうそう、コレやって欲しかったんだよ。商業的に自信あるので、いよいよやりたいことをやり始めたんだな」と好意的に受け止めました。

 

2人は布袋氏がDJを勤める番組でもコンセプトについて仲良く語り合っていました。

 

しかし…この裏で、2人の確執は既に、修復不可能なものになっていたのです。

 

▼YouTube番組はコチラ

 

「夜ヒット」初登場

 

TVの歌番組には一切出演しなかったCOMPLEXですが、5月にツアー告知も兼ねて「夜のヒットスタジオDX」(フジテレビ)に出演します。

 

ソロ、BOOWY時代にそれぞれ出演経験はあるもの、布袋さんと司会の古舘伊知郎アナはかつて“「Only You演奏直前トークでのモノマネ強制事件“の確執がありヒヤヒヤしましたが、何事もなく大人の対応。メドレーのトリ、別スタジオ収録のVIP待遇で初お披露目のツアー衣装とニューギターで「1990」「MAJESTIC BABY」を演奏しました。

 

 

 

 「ROMANTIC 1990 TOUR」

 

1990年5月9日、ファーストツアーと同じ群馬を皮切りに、20都市全33公演の全国ツアーがスタートします。

 

ツアーメンバーは、パーカッション スティーブ江藤さん、ドラムス 古田たかしさん。ベース 小池ヒロミチさん、キーボード 矢代恒彦さん、マニュピレーター 三浦憲和さん

個人的には山木さんにドラムを叩いて欲しかった…。

 

私は6月の代々木体育館公演を観戦しました。

 

インスト「ROMANTICA」からはじまり、「PROPAGANDA」で爆音の中から飛び出した2人は仮面ライダーのようなコスチューム。

プログレッシブでアヴァンギャルドな世界観で、ファーストツアーより格段に進化した印象を受けました。

 

途中、「CRY FOR LOVE」「HARF MOON」はソロコーナー。

もともとこの2人はステージで「絡む」ことはほとんどなかったのですが、なんとなく、両者の距離を感じたのを思い出します。

 

ちなみにこのツアー完全版は映像化されていません。活動休止が決まりドーム公演が映像化されたせいもあるのでしょうが、私はこのツアー完全版が観たかった…。完成度が高く、ドームよりもよかった。収録はされているハズ(代々木でも武道館でもカメラは回っていました)。でも、もはやリリースされることはないのでしょうかね…。

 

こちらに追加公演の横浜アリーナ、2曲だけ映像化されています。

 

 

■2ndアルバム「Romantic1990」全曲解説

 

参加ミュージシャンは前作から引き続きの藤井丈司さん(キーボードプログラミング)に、新たにドラムスで山木秀夫さん、宮脇知史さん、ベースに浅田孟さん、キーボードにBAnaNAさん、アコースティックギターに花田裕之さんが加わりました。

 

01.ROMANTICA 
ファンタジックで壮大な、布袋さんテイスト満載のインストゥルメンタル。2ndツアーのオープニングも当然、コレでした。

02.PROPAGANDA 
布袋さんの作詞作曲の変拍子プログレ楽曲。山木さんの凄テクドラムにホーンセクション、ガットギターと盛沢山な展開。

03.LOVE CHARADE
海のリズムの明るい、メロディアスな楽曲。女性コーラスが印象的です。

04.1990
シングルヴァージョンとはアレンジが若干異なり、まろやかな印象(やっぱり私はシングルVer.の方が好き)アウトロのピアノが長くなっているのはこっちのほうが好きですが。

05.BLUE
詩は2人による共作。全編を通して静かな、幻想的な楽曲ですがラストは盛り上がります。

06.MODERN VISION
吉川さん作詞作曲。デモ段階ではツェッペリンの「移民の歌」チックなギターリフ曲だったそうですが、布袋氏がデジタルにアレンジ。この時点でもかなりドラマチックな構成ですが吉川さんが活動休止後のソロで披露しているアレンジはこのテイストは残しつつ、さらにギターが全面に出て、展開も大袈裟になっています。

07.THE WALL
布袋さん作詞作曲。ベルリンの壁崩壊がモチーフになった、唄部分が少なくほぼインストの実験的な楽曲。

08.NO MORE LIES
低音ボーカルとコーラスワークが光る、ダウンピッキングの攻撃的な楽曲。キーボードソロが印象的です。渋谷氏曰く「Hip-Hop」だそうですが、よくワカリマセン。

09.GOOD SAVAGE
一転して超攻撃的なハードロック、でもギターソロ直前にガットギターのアルペジオが入り、布袋氏のセンスが光ります。この曲のみ、ドラムは44マグナムの宮脇さんです。

10.HALF MOON
当時の布袋さんには珍しい、泣きのギターのインスト曲。

11.DRAGON CRIME (East & West)
過激な歌詞が物議を醸した、ゴリゴリのリフ曲。地味に始まりますが中盤からホーンセクションが入り、壮大な構成になっています。

12.MAJESTIC BABY
本作で唯一に近い、ポップで明るい楽曲。ではありますが決して売れセンではないところに矜持を感じます。

13.AFTER THE RAIN (朱いChina)
天安門事件をモチーフにした壮大なバラード。アコギは元ルースターズの花田さんです。

c/w.JUST ANOTHER DAY
吉川さん作詞作曲、シングル1990のカップリング。アルバム未収録ながら人気があり、吉川さんソロで「演奏して欲しい楽曲」の常連です。

 

後に吉川さんが語ったところによると、「この時は、もう完全な分担作業だったね。ほとんどYMOでしたね。もう話が合わないから任したの。で、曲の感じだけは、俺が歌える、歌えないがあるから、それは俺が決めていいねって言って。だからもう2枚目の時にはユニットではあり得なかった。でも何か1枚で終わるのも格好悪いしね……。」

 

 

楽曲としての「1990」

私がCOMPLEXで最も好きな楽曲です。布袋さんのロマンティックな面が溢れたメロディ、ギターソロ、エンディングのピアノも好きですが、吉川さんの歌詞が素晴らしいんですね。

 

ファーストアルバム発表時に渋谷陽一氏に攻撃された「歌謡曲っぽい」「わけのわからない英語」を使わず、そして布袋さんが言う「夢だの勇気だのはやめてくれ」をガン無視して(笑)、そして布袋さんに対する吉川さんの想いが込められたメッセージ。

 

あくまでラブソングにしてあるのですが、「欲しいものも憧れも初めから違うから 求め続けて探し続けて行こう」「交わす言葉も凍りつく いじけた都会でも 二人ならうまくやれるさ きっとやれる」からの「解けた靴紐を結んで」。
しかしこの想いは届くことなく、両者は「COMPLEX活動休止」を選択します。

 

活動休止発表

 

活動休止の発表は、結成時に所信表明した「ロッキンオン ジャパン」誌上(1990年10月号)

 

 

ずっと2人を見てきた私で、不仲のウワサは聞いていましたが、本屋でこの表紙を見たときは「まさか」というのが正直な感想でした。セカンドアルバムもツアーもいい感じになってきて、これからが楽しみだったのに、いくらなんでも早くない?と。

 

当然、渋谷陽一氏からも「2枚はないだろ、せめて3枚はやれ」と責められます。両者共に、あくまで解散ではなく「活動休止」(布袋さん曰く「活動急死」)。

 

今回のインタビューは個別に行われました。「これが最後!とラストの東京ドームを盛り上げられるのはヤダ、またやるかもしんないし」「解散と言ったらもうやれないじゃん?またやるかもしれないし、やんないかもしれない」というスタンスは両者共に、ではありましたが…

 

布袋さんは「COMPLEXの2年はミュージシャンとしてあまり前進してなかった」とハッキリ後悔を口にして、温度差を感じました。

久々に改めて読みましたが、布袋さんは「吉川の問題ではなく自分の問題」「COMPLEXが休止ではなく自分が休止」など、かなり気を遣った発言をしています。

 

が、当時は「吉川の音楽に関するバックボーンであるとか、やりたいことの方向性が伝わってこない。食い足りなかった」的なショッキングな発言が耳に残り、これはもう再起動はないな、という絶望感を味わいました。

 

別のインタビューで再結成の可能性を吉川さんは「太陽が西から昇ったら」

 

 

 

何がすれ違い、確執を生んだのか

 

芸能界、アイドルを卒業し、商業主義ではない純粋な“ロックバンド“がやりたかった吉川晃司さん。

 

デジタルロックに傾倒し、ソロ作品への高評価からさらなる高み(商業的な成功も含め、そして世界へ)を目指したい布袋寅泰さん。

 

2人ともに「実際に組んでみると、最初からまったく(想像と)違ってた」と口を揃えます。

 

いったいなにが「違って」いたのでしょう。

 

布袋さんはCOMPLEXに対する「音楽業界の反応、評価」に敏感でした。誰よりもヒムロックに「あんなことがやりてぇのかなと思うよ」「いや、二人と言うか…あれが布袋の本当にやりたいことなのかなと思って」「”GUITARHYTHM”はわかる。で、あえてバンドを組んでああいう事をやる必要性って言うか、分からないよね」と発言されたことも、2人の関係を踏まえると到底、無視できなっただろうと思います。

 

実際に共同作業を進めるうちに、結成前に愛しいと感じていた吉川さんの無垢さ、純粋さ、口下手な体現主義が、「音楽的こだわりのなさ」「自身のキャリア形成の足手まとい」にしか映らなくなりました。「オレはこんなことをやってる場合じゃない」といった感覚が、日増しに強くなっていったのでしょう。

 

吉川さんからすると自由になるために飛び込んだロックの世界も、芸能界と何ら変わらない、いろんなしがらみがあり、レッテルを貼り、いろんなことを言うヤツらがいる村社会でした。

 

そして布袋さんの音楽的センスを尊敬し、その戦術を素直に学びながらも、一方で「2人で作り上げないとユニットである意味がない」「ただ言いなりになってたまるか」という意地があったでしょう。唄の間隙を縫うギター、アレンジのセンスや、なによりステージで自分と互角に渡り合える存在感は唯一無二なだけに、方向性のズレはショックだっただろうと思います。

 

そして、そんな吉川さんが送ったデモをことごとく「完成度が低い」とボツにした布袋さんからしても、コンポーザーとしてコントロールするには、ステージでの吉川さんの存在感はあまりにタフでした。

 

またこの時期、傍目にも布袋さんのキャラ変が始まっていました。かつての「気弱な文学的、芸術的センス溢れる好青年」の面が影を潜め、いつしか「イケイケでプライドの高いオレサマ・アニキキャラ」へ…。

 

自らの評価の高まりに伴い自信を纏うと共に、本性をさらけ出しただけ、自分に正直に、ということなのかもしれませんが、あからさまに他者を下に見るような態度、発言も増えました。マーケットのニーズを汲み取り、それを楽曲に活かすセンスと商業性と音楽性の両立というコンポーザーとしての才能は、傍目が異様に気になってしまう、ということと表裏一体なのです。

 

周囲はどうあれ意地でもスタイルと生き方を変えず、発言ではなく体現で愚直に結果を出そうとする吉川さんからすると、この布袋さんの”変容”は当時、理解しがたいものがあったのでは?と思います。

 

 

 

19901109 東京ドーム

 

 

全国ツアーを最後にCOMPLEXとしての活動は休止する予定、となっていたそうですがエクストラで東京ドーム公演が決まりました。

 

当時の雑誌で読んだ記憶ですが、衣装を提供してくれていたオンワード樫山の偉いさんに「最後はちゃんとしろ」と言われた、とかそんな感じではなかったかと。吉川さんが「布袋はBOΦWYでやったからいいけど、オレはやってないから一度やりたいんだよね、東京ドーム」と主張して決まった、とも。

 

私も観に行きました。ドラムがシータカさんではなく、そうる透さんでした。なんというか、当日は吉川さんに声援が集中していた記憶があります。解散の経緯から次なる活動を明言していた布袋さんに比べ「今後はソロ」としか発表のない吉川晃司はこれからどうなるの?という心配もあり、雰囲気は布袋さんがヒール、吉川さんが圧倒的ベビーフェイス。半ば判官贔屓に近い、熱狂的な声援が寄せられていました。

 

吉川さん曰く「布袋は、最後の東京ドーム公演が終わったステージ上で、自分とCOMPLEXを組んで以来、初めて笑ったんだぜ」

 

2人は打ち上げで「一緒にやんなかったら、ずっと友達だったよな」という会話を交わし、このラストライブを翌年にライブアルバム、ビデオとしてリリース。

 

これをもって、COMPLEXは完全に活動を休止しました。

 

 

 

その後、COMPLEXのキャリアはなかったかのようにソロ活動に邁進する布袋さん。

 

吉川さんはそんな布袋さんと、この当時「アイドル上がり」とレッテルを張りバカにしたロック村の連中に対する「今に見てろよ」という“復讐心“を原動力に、再びソロアーティストとして音楽活動に邁進。地道にミュージシャンとしてのスキルを研ぎ澄ましていきます。

 

でも、この2人はもう2度と交わることはない…と思われた21年後、その日は突然やって来ました。

 

2011年、「解けた靴紐を結ぶ」日がやって来るのです。

 

次回、2011年奇跡の再結成に続きます。

コメント

  1. あきひこ より:

    吉川先生は誰かにプロデュースされた方が輝くというお話はなるほどですね。
    当時の本人は「ふざけるな!そうされてたまるか!」という気持ちでしょうけど…

    後で知ったことで、ヒムロックはギタリズムを絶賛していて、
    あんなすごいの作ったんだから、世界進出しなきゃダメだと思っただけに、
    ヒムロックにとっては、その後にCOMPLEXを結成したのが謎で、だから、
    「あんなことがやりてぇのかなと思うよ」
    「いや、二人と言うか…あれが布袋の本当にやりたいことなのかなと思って」
    と語ったんでしょうね。

    ギタリズムは、BOØWYを解散させるに値すると評価されるモノで、
    自分的にもあらためて、ギタリズムはBOØWYと全く違うモノを作るという、
    布袋の気合に満ち溢れてるよなと心底感じます。

    ヒムロックのコメントを踏まえて、今ギタリズムを聞き直してみると、
    布袋にとって吉川先生そしてCOMPLEXは、遺した作品自体は素晴らしくても、
    キャリア形成の足手まといであると納得がいきました。

    ちなみに、布袋の楽曲はギタリズムしか聞きません。
    これさえあればいいです。
    最近は「WIND BLOWS INSIDE OF EYES」を隅から隅まで聞き続けています。
    ホッピーのアレンジがすごいですね。

  2. あきひこ より:

    COMPLEX解散(自分はこう解釈してます)への鋭い論考、とても興味深く読みました。

    布袋にとって吉川先生が「キャリア形成の足手まとい」というのは、
    気が付きませんでした。
    互いの気持ちがバラバラで、布袋は早くCOMPLEXを終わらせて、またギタリズムやりたいし
    (ギタリズムⅠのプロモーションビデオにその予告が出てますしね)、
    吉川先生は、話がもう合わないから、
    楽曲製作を布袋にほとんど丸投げしたという(自分が歌える曲を選ぶ作業はしたとはいえ)、
    ある意味「心ここに在らず」「投げやり」なはずなのに、
    それでも、やることはやると、皆が称賛する楽曲を作る両氏を見習っています。

    早く辞めたくても、作品はプロとしてきちんと作り、遺したからこそ、
    後の日本一心につながったのではと思いました。

    これを一般人に当てはめれば、今仕事を辞めたくても、いい加減にやってたら次につながらない。
    辞める時は、今の仕事を大切にきちんとやってから辞めなさいと、
    「立つ鳥跡を濁さず」ではありませんが、ROMANTIC 1990から、そんな教訓を得ています。

    • MIYA TERU より:

      ありがとうございます!両氏の関係を初期から知っている人と、後から知った人では捉え方が違うと思います。どっちが正しい、とかじゃないですけど。

      そうなんですよ、少なくとも布袋氏は完全に「心ここにあらず」でも、あのクオリティの楽曲をサウンドメイクできるのが、スゴいとしか言えないのです。自分が遺す以上は、というプライドでしょうね。

      そして「日本一心」で私が改めて感じたことは、布袋さんは誰かの後ろでギター&コーラスやってる方がカッコよくて、吉川さんは誰かにプロデュースされた方が輝く、ということなのです。。。

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