ヤマハ「ポプコンとコッキーポップ」の時代〜1976-1986 超有名アーティストを多数輩出した“登竜門“コンテスト*リンク改修

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ポプコン 音楽
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ヤマハ ポピュラーソング コンテスト、通称「ポプコン」をご存知ですか?

知ってる!という方は、アラフィフover、アラ還暦overです(笑)

 

今回は、時代を彩るさまざまなヒット曲とアーティストを輩出した、ポプコンの76年〜86年の歴史+コッキーポップについて、振り返ってみましょう。

 

 

「ポプコン」とは

 

ポプコンとは、正式名称「ヤマハ ポピュラーソング コンテスト」。その名の通りヤマハ音楽振興会が(1969年から1986年まで)主催した、ミュージック コンテストです。

 

時代と共に、フォーク、ニューミュージック、ロック、テクノなど幅広いジャンルで、当時は「シンガーソングライター」と呼ばれたミュージシャン、後の超有名アーティストを多数輩出。

 

長く日本のミュージック シーンを形作る役割を果たしていました。

 


 

「グランプリ優勝者はレコードデビュー」が確約され、“アマチュア ミュージシャンの登竜門“として70-80年代前半当時、最もメジャーな大会で、数多くのアーティストを輩出しました。

 

もともと第5回まではプロを対象にしたコンテストで、アマチュア向けとして開催されるようになったのは第6回からです。

 

ちなみに第1回では「ジ・オフコース」、小田和正さん率いる後の「オフコース」がグランプリを獲得しています。

 

それでは、この第6回大会以降の、主だったポプコン出身アーティストをご紹介します。

 

 


 

【70年代】

 

第6回(1973/昭和48年)

 

グランプリ

「さすらいの美学」伊勢功一&卍
「あなた」小坂明子

 

アマを対象とした初回大会で、いきなりビッグヒットが生まれます。

当時16歳、大阪音楽大学付属音楽高等学校ピアノ科に通う小坂明子さんが唄う「あなた」

なんと200万枚を超えるビッグセールスを記録し、翌1974年末にはNHK 第25回NHK紅白歌合戦にも出場。指揮は実父の小坂務さんで、紅白史上初の「親子共演」で話題になりました。

 

 

第7回(1974/昭和49年)

 

グランプリ
「恋のささやき」小坂恭子

 

第7回大会には谷山浩子さん、葛城ゆきさん、庄野真代さんが「入賞」しています。

 

第8回(1974/昭和49年)グランプリ

 

グランプリ

「チャップリンに愛をこめて」チューインガム

 

第9回(1975/昭和50年)

 

グランプリ
「わたり鳥」七福神

 

第8回、第9回では八神純子さん、渡辺真知子さんが「入賞」。

松崎しげるさんも第9回で「優秀曲」を受賞しています。

 


 

ポプコン=つま恋

 

そして、この第7回大会から開催会場が静岡県掛川市の「ヤマハリゾート つま恋」に。ポプコン=つま恋、のイメージが確定します。1983年に起きたガス爆発事故の影響で1984年 5月の第27回大会のみ東京 中野サンプラザで開催されましたが、以降は最後まで、つま恋で開催され続けました。

 

 

 


 

第10回(1975/昭和50年)

 

グランプリ
「時代」中島みゆき

そしてこのお方。もはや説明不要の、今もなお日本のミュージック界に君臨する「女王 中島みゆき」がここで誕生しました。しかも楽曲は令和の時代にも歌い継がれる名曲「時代」です。天才はハナから「レヴェルが違う」んですね。

 

さらに、この年は

 

優秀曲賞

因幡晃「わかって下さい」

もありました。この年でなければグランプリでしょうね…レヴェルが高い争いです。

 

 

 

第11回(1976/昭和51年)

 

グランプリ
「グッドバイ モーニング」サンディー アイ(作詞が庄野真代さん

 

第12回(1976/昭和51年)

 

グランプリ
「鐘」西田恭平とホワイトハウスII

 

第13回(1977/昭和52年)

 

グランプリ
「さよならの言葉 」小野香代子

 

第14回(1977/昭和52年)

 

そして、ここで時代を変える1曲が登場します。

グランプリ
「あんたのバラード」世良公則&ツイスト

ポプコン=フォーク、ニューミュージックのイメージを一変させるロックな彼らの出現は、日本のミュージック シーンを変えました。

ツイストは「日本で初めて、メジャー ヒットしたロックバンド」と言われます(諸説あります)。

 

 

第15回(1978/昭和53年)

 

グランプリ
「10月の汐吹は寒かった」U・U

 

この大会には、2人のビッグ アーティストが参加していました。

 

入賞「巡恋歌」長渕剛とソルティードッグ
https://youtu.be/HI_WD4PHd9k

 

優秀曲賞「Do What You Like (勝手にしなよ)」佐野元春

佐野元春/DO WHAT YOU LIKE 1978 ポプコンライブ
佐野元春/DO WHAT YOU LIKE 1978 ポプコンライブ ようつべより。超貴重!

 

タイプもセンスもまったく異なるお2人ですが、こんな縁があったんですね。

この時期のポプコン応募曲は、毎回およそ15,000曲と言われる、狭き門でした。

 

 

第16回(1978/昭和53年)グランプリ

 

「夢想花」円広志

 

「飛んでのおっちゃん」として今も関西でバツグンの知名度を誇る円広志さん。この楽曲の「飛んで飛んで〜」のリフレインは当時、脳内再生が止まらない中毒患者が続出したビッグヒットでした。

 

さらにこの大会、共に福岡出身の2組も参戦していました。クリスタルキングとチャゲ&飛鳥です。

 

 

第17回(1979/昭和54年)グランプリ

 

グランプリ

「流浪(さまよい)」小柳孝人&BOX OFFICE BAND

 

 

チャゲ&飛鳥は、この17回大会の本命と目されていましたがまたしても入賞止まり。

しかし、この時に唄った「ひとり咲き」で、メジャーデビューを果たしました。

 

 

第18回(1979/昭和54年)グランプリ

 

「大都会」クリスタルキング

 

そして18回大会のグランプリはこの人たち。

 

めずらしい男性ツインボーカル、重低音と度肝を抜くスーパーハイトーンのコーラスワーク、ドラマチックな楽曲で大ヒットした、クリスタルキングです。

 

個人的にはその後の「処女航海」「蜃気楼」などのシングルも大好きでした。

 

 


ポプコンといえば「コッキーポップ」

 

このポプコンは、ニッポン放送のラジオ番組(1971- 1986年)と日本テレビ系列のテレビ番組(1977- 1982年)という、2つのメディアを持っていた点も特長でした。いずれもパーソナリティ、司会は大石吾朗さん

 

 

私は年代的に日曜のお昼に放送されていた、TV番組の方が馴染みです。

 

ポプコン出身歌手、バンドなどのトークやポプコン本選会の特集やリポートなどがラジオ番組と共通で、TVではアーティストが出演して“フル コーラスで演奏“する「ミニコンサート」が特長です。

 

このメディア ミックス効果は大きく、グランプリ受賞曲はタイトル曲として番組でヘビー ローテーションされ、世間に広く浸透。アーティストのメジャー化に貢献しました。

 

 


 

【80年代】

 

第19回(1980/昭和55年)グランプリ

 

 

「街が泣いてた」伊丹哲也とSide by Side

80年代の幕開けはこの、ロックテイストの名曲から始まりました。

 

この大会では、
●優秀曲賞の雅夢「愛はかげろう」

という大ヒット曲も生まれています。

 

 

第20回(1980/昭和55年)グランプリ

 

グランプリ

「愛を心に」エディ山本

 

第21回(1981/昭和56年)グランプリ

 

「サヨナラ模様」伊藤敏博

この楽曲も大ヒットしました。フォークの名曲であり、ポプコンらしさ、でいえば王道ですね。

 

第22回(1981/昭和56年)グランプリ

 

グランプリ
「完全無欠のロックンローラー」アラジン

 

翌年は打って変わって、邪道ともいえる矢沢永吉さんをオマージュしたコミックソングが異色のグランプリ。メジャーデビューして大ヒットとなりました。“完全無欠の一発屋“でもありましたね。

 

第23回(1982/昭和57年)グランプリ

 

「待つわ」あみん

その翌年は女性フォークデュオ、あみんが登場します。

 

後にソロでビッグアーティストとなる岡村孝子さんによるこの楽曲は累計売上120万枚、同年末の第33回紅白歌合戦にも出場するなど、80年代ポプコン最大のヒット曲となりました。

 

 

第24回(1982/昭和57年)

 

グランプリ

「哀ダンサー」本田美緒

 

 

第25回(1983/昭和58年)

 

グランプリ

「冬の華」磨香

 

第26回(1983/昭和58年)

 

グランプリ

「雨の日」辛島美登里

90年代、OL層に絶大な人気を誇った辛島美登里さんもポプコン出身でした。

 

第27回(1984/昭和59年)


グランプリ

「顔」コンセント ピックス

国立音大付属高の同級生4人が組んだガールズバンド。「カオがキライ」と繰り返すサビがクセになる、ニューウェーブパンクですねコレ。

 

第28回(1984/昭和59年)

 

グランプリ
「ふられ気分でRock’n Roll」TOM★CAT

 

80年代らしいテクノポップ。

 

残念ながら「一発屋」イメージが強い彼らですが、サングラスにキーボード、性別不詳のいでたちで大ブレイクしたTOMこと松崎淳美さんは後に久松史奈さん森川美穂さんなどに楽曲を提供したメロディ メーカーでした。

 

結果的にこの楽曲が「ポプコン最後のヒット曲」となりました。

 

 

以降、

●第29回(1985/昭和60年)グランプリ
「You & Me Tonight」Roll-Back

 

●第30回(1985/昭和60年)グランプリ
「…洋子」尾崎和行&コースタルシティー

 

●第31回(1986/昭和61年)グランプリ
「サイレント・シャウト」長原裕三

と続きますが、ほとんど話題にならず…そして、

 

●第32回(1986/昭和61年)グランプリ
「明日ゆきの列車」小野健児

をもって、ポプコンはその歴史に幕を下ろしました。

 

1987(昭和62)年以降は世界最大のアマチュアバンド コンテスト「BAND EXPLOSION」「TEENS’ MUSIC FESTIVAL」2007(平成19)年からは「MUSIC REVOLUTION」へと変遷していくのです。

 

80年代中盤、時代は「バンドブーム」「J-POP」「アーティスト」「CD」「ライブ」に移行し、「ニューミュージック」や「シンガーソングライター」「レコード」「コンサート」などのワードは死語に…価値観も売れ方も、多様化しました。

 

時代と共にミュージックシーンを形成した「ポプコン」だけに、その役割が終わった、のでしょうね。

 

そして…狭き門、1万組を超える激戦を勝ち抜いて“登竜門“グランプリを獲得しても、プロとして「売れた」そして「売れ続けた」アーティストの少なさ… そしてその中でも何十年もトップ アーティストであり続けることの大変さと、並外れた才能が逆によくわかります。

 

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