杉山清貴、カルロストシキとオメガトライブの謎~1983-1986 80年代の夏を彩った不思議なグループ

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音楽
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80年代、TVベストテン番組の常連で「夏」イメージのバンドが、いくつもありました。サザンオールスターズ、TUBE…そしてもう一つが、今回の主役、「杉山清貴&オメガトライブ」です。

 

Screenshot

 

今回は、私にとって長年の謎だった「杉山清貴(カルロストシキ)とオメガトライブとは何だったのか?」を解析します。

 

 

当時中学生の私が感じた、彼らの「違和感」

 

このバンド、当時から「立ち位置」が謎でした。アイドルにしては妙に落ち着いているし、妙にクオリティの高い楽曲とアレンジの完成度。そしてTVの歌番組で見る限りですが、演奏テクニックも高そう。

 

 

でも、当時の歌謡曲全盛の時代の歌番組に出演しているほかのバンドとは、「何かが違う」のです。

 

当時はいまでいう「フェス」などもまだ少なく、各自が「コンサートツアー」をやっていた時代。彼らはたぶん人気もあり、動員もあるんでしょうが、「いったいどの層がファンなのかがわからない」感じがありました。

 

失礼ながら目立ったルックスのメンバーがいる訳でもなく、“熱狂的なファン“に会ったこともありません。その辺がサザンや安全地帯、アルフィー、C-C-B、チェッカーズなどとは、明らかに違う印象でした。

 

当時中学生の私からすると、女子大学生や若いOLなんかが『流行ってるから、オシャレだから聴いてる』類の音楽。

 

そしてなにより。彼ら自身から「一緒に演奏してて楽しそう」「あぁこの人たち音楽が好きなんだな」という、普通のバンドにあたりまえにある、そういう感じがしないのです。どこか常によそよそしく、なんだか淡々と演奏しているだけ、的な…。

 

なので私は当時、「たぶんこのバンドは杉山清貴というソロボーカリストを売り出すのが目的で、バックのメンバーはスタジオミュージシャンの寄せ集めなのだろう」と(勝手に)思っていました。

 

ところが・・・衝撃的な出来事が起こります。よりによってメインボーカルの杉山清貴が脱退して、代わりにカルトストシキという、カタコトの日本語を話す青年がフロントに立ったのです。

 

海外ならいざしらず、日本のバンドでフロントマンが代わることは異例です。桑田さんのいないサザンとか、玉置さんがいない安全地帯なんて、成立しません。当時のほとんどの人の認識は「杉山清貴=オメガトライブ」だったので尚更、このメンバーチェンジは意味不明でした。

 

なのでこの時、私は「杉山清貴が”もう辞めたい”と抜けてしまい、怒った事務所が『ボーカルなんて誰でもいいんだ』と首をすげ替え、半ば腹いせでバンドを続行することにしたのか?」とか、勝手な想像を巡らせていました。

 

ところが、今更ながら今回、調べてみると・・・全然想像と違いました。

 

というよりも、「なるほど、だからか・・・」と、長年感じていた違和感の理由が晴れたと言いますか、妙に「腑に落ちた」気がしたのです。

 

 

オメガトライブは「バンド」じゃなかった

 

 

結論から言えば、「オメガトライブはバンドではなく、プロジェクト名」なのだそうです。

 

「オメガトライブ」とは、芸能事務所「トライアングルプロダクション」を率いるプロデューサー藤田浩一のもと、作曲家の林哲司さん、和泉常寛さん、アレンジャー新川博さんなどの制作陣を中心とした”プロジェクトの総称”。

 

当時のレコーディングは、バックコーラスも含めてプロのスタジオミュージシャンが演奏し、ボーカルの杉山清貴さん以外のメンバーは、レコーディングには関わっていない、のだそうです。

 

そしてここからは私の想像と違うのですが、彼らは元々、大学時代に結成されたアマチュアバンド「きゅうてぃぱんちょす」のメンバーでした。彼らは1980(昭和50)年の「第19回ヤマハポピュラーソングコンテスト」で入賞を果たしています。

 

おそらく彼らは、プロデビューにあたって「いろいろな条件を飲んだ」のでしょう。ですので彼らの役割は、スタジオミュージシャンの演奏をなぞってTV番組に出演する、「オメガトライブを演じる人たち」だったのです。

 

いやぁ、今さらながらなかなかの衝撃です。

 

”アイドルバンド”と呼ばれたC-C-Bやチェッカーズ だって、最初こそ同じようなことをやらされましたが、徐々に自分達の音楽をやれるようになっていきました。

 

ですがこの「オメガトライブ」はそんな権利はまったく与えられていなかった、ってことですもんね、そりゃあんな感じになるわ・・・。

 

ただ、それが悪いのか、と言えばなんとも言えません。その分、オメガトライブの楽曲のクオリティは異様に高いのです。

 

まったくもってファンではない私でさえ、Spotifyとかで久々に聴くとよく覚えてますし、ヘタしたら唄えます。40年近く前の曲ですよ。コレってスゴイことです。

 

そしてこの歳になって改めて楽曲を聴くと、コード進行にアレンジ、演奏テクニックがスゴイんです。売れっ子の作家が書いてスタジオミュージシャンが演奏してるんだから、あたりまえといえばあたりまえなのですが(笑)

 

ともかくコレで、ずっと彼らから感じていた「違和感」の謎がようやく解けました。

 

 

とにかく「夏」「海」「恋愛」そして「クルマ」

 

オメガトライブのコンセプトは、「夏」「海」のリゾート感での「恋愛」。そして「クルマ」です。

 

1st.シングル「SUMMER SUSPICION」(1983.4)

▲1983年3月27日に日本武道館で行われた第12回東京音楽祭の出演映像です。個人的には大サビの「気が~狂い~そうさ~」がツボ。

 

3rd.シングル「君のハートはマリンブルー」(1984.1)

▲3枚目のシングル。1984年1月21日リリース。

 

5th.シングル「ふたりの夏物語」(1985.3)

 

 

▲日本航空 JALPAK のCMソングで、彼らの最大のヒット曲(38万枚)。TBS「ザ・ベストテン」’85 年間ランキング第2位、日本テレビ「ザ・トップテン」年間ランキング第3位。

 

今回調べて思わず笑ってしまいましたが、これらの楽曲のリリースは、それぞれ4月、1月、3月と「まったく夏ではない」・・・。

 

それでも彼らは1年を通して徹底して「夏」の「海」の「恋愛」模様を貫き通しました(さすがに1月発売の「君のハートは~」は季節は「夏」じゃありませんが)。

 

そしてハンドル、ダッシュボード、フロントガラスなど、イチイチ「クルマ」が登場するあたりに、この80年代の「時代の空気感」を感じます。

 

まさに、わたせせいぞうの「ハートカクテル」の世界です。

 

 

そう考えてみれば、オメガトライブとは「ハートカクテル」を「AOR:(日本でいえば70年代後半から1980年代にミュージックシーンを席巻した)シティポップ調」で楽曲化した世界観、と言えるかもしれません。

 

作曲:林哲司/作詞:康珍化コンビ

 

「杉山清貴&オメガトライブ」の作曲を担当していたのは林哲司さん。林さんはヤマハ音楽スクール出身のシンガーソングライターで、80年代から作曲家・編曲家として活躍。このオメガトライブと同じ事務所に所属する菊池桃子さんのデビュー以来の一連の楽曲を手掛けていました。

 

作詞家の康珍化(かん ちんふぁ)さんは、山下久美子「バスルームから愛をこめて」、小泉今日子「まっ赤な女の子」、高橋真梨子「桃色吐息」など多くのヒットソングを手掛けた、当時を代表する希代のヒットメーカー。

この林哲司&康珍化コンビのヒット曲には上田正樹「悲しい色やね」、杏里「悲しみが止まらない」、中森明菜「北ウイング」、原田知世「愛情物語」などがあります。

 

解散~そしてカルロストシキで新生オメガトライブへ

 

さすがにこの「オメガトライブを演じるプロジェクト」にメンバーが疲弊してしまい、メンバーの総意として「1985年いっぱいでの解散」を、プロデューサー兼社長でもある藤田氏に報告。杉山清貴&オメガトライブは、1985年12月24日で解散となりました。

 

ところが、このプロジェクトは終わりません。メインボーカルを日系ブラジル陣のカルロストシキさんに交代させ、「1986オメガトライブ」として再出発します。

 

プロデューサーはもちろん藤田浩一さん、サウンドプロデュース&アレンジの新川博さんは変わりません。ただし作家陣は新たに作詞家は売野雅勇さん、有川正沙子さん、作曲家は和泉常寛さんが担当。メンバーでは、ギタリストとキーボードは前オメガのメンバーでした。

 

私は当時「それはさすがに、いくらなんでも」と思いました。よく知らないけど杉山清貴さんのファンはどう思うの?反発するんじゃ?そもそも誰だよオマエ・・・(笑)ところが、予想に反して

 

1st.シングル「君は1000%」(1986.5リリース、オリコン6位)

 

2nd.シングル「Super Chance」(1986.8リリース、オリコン2位)

3rd.シングル「Cosmic Love」(1986.10リリース、オリコン3位)

 

…と、ヒット曲を連発。

 

私は当時、正直「なんで売れるの?(誰が買っているの?)」と不思議でしょうがなかったのですが…カルロスの純朴なキャラがカワイイ、というお姉さま方が買っていたのでしょうか…

 

いまにして思えば、楽曲のクオリティのなせる業なのでしょうね。。。

 

この時期からTV歌番組も次々と消滅し、彼らをTVで観る機会もなくなりました。その後、「カルロストシキ&オメガトライブ」として、1990年まで活動していたのだそうです。

 

コメント

  1. KDDI より:

    45歳です。当時は小学生であまりよく知りませんでした。高校生の時に図書館でCDを借りてどハマりしました。カルロス派です。テープにダビングしてウォークマンで擦り切れるほど聴いて。あの繊細な歌声が好きです。
    cosmic love最高です。

    • MIYA TERU より:

      コメントありがとうございます!カルロス派なのですね。優しい、繊細な唄声ですよね。いまの時代にも受け入れられるかもしれないですね。

  2. ふみ より:

    私もその当時よく聴いていましたし、カラオケではいまだによく歌います。CDも持ってますよ。熱狂的ではないですが、とにかく曲が好きでした。(その当時はロックバンドの追っかけしてたのですが…)
    ところが、2020年の今になって再び、いやさらにどハマりしてしまい、YouTubeでカルロスを観て過ごす毎日。あの頃はなぜ気付かなかったのかカルロスのあの可愛さ!!そして今聴いても切なさでタイムスリップしてしまう曲の素晴らしさ!やはり名曲揃いです。ちなみにコロナでYouTubeを見る機会が増え、ビューティこくぶさんのモノマネや藤井風さんのカバーを観てからオメガトライブ に辿り着き、ここまで来ました〜

  3. 福井直昭 より:

    私は、その出会われたことのないファンでした笑 「熱狂的」かといわれると否定せねばいけませんが、解散コンサートにも行きました。杉山清貴さんのボーカル力とお書きになった楽曲、サウンド力に惹かれてましたね。去年そのコンサートのDVDも購入し、結構見てます。なんとなく流しておくのに、ちょうどよい。
    「きーが狂いそうさぁー!」大好き笑

    • MIYA TERU より:

      コメントありがとうございます!なんと、こんな身近に熱狂的ファンが!(笑)解散コンサート、Webに記事が見あたらず、どんな感じだったのかぜひ教えてください!(笑)
      「なんとなく流しておくのに、ちょうどいい」まさしく、ですね。私もコレ書いて以来、Spotifyでハマってます(笑)

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