「北米タッグ」〜1974-1981 昭和 新日本プロレスのフラッグシップ タッグ タイトル

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プロレス
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今回は昭和の新日本プロレス、70年代の創成期を支えた「北米タッグ王座(ノース アメリカン タッグ)」をご紹介します!

知る人ぞ知る、坂口征二&ストロング小林組、そして長州力が日本で初めて巻いたベルトもコレ。いぶし銀のようなタイトルです。

実は私の記念すべきプロレス初生観戦は、この「北米タッグ選手権」がメインイベントだったのでした…。

 


 

●北米タッグとは?

 

70年代、創成期の昭和 新日本プロレス。若きエース、アントニオ猪木がメインイベントで孤軍奮闘する中で、この「北米タッグ」はセミファイナルがよく似合う、いわば“坂口征二のための王座“でした。

 

”世界の荒鷲”坂口征二は、”怒涛の怪力”ストロング小林と、後にはまだ垢抜けない七三分けやパンチパーマ時代の長州力と組んで、これまた渋~い顔ぶれの対戦チームと、重厚かつド迫力の・・・というより地味な・・・というよりぶっちゃけ、あんまり面白くない(!)タイトルマッチの数々を展開していたのです!

 


 

●主要コンビ

 

このタイトルが存在したのは、1974(昭和49)年から1981(昭和56)年まで。代表的な北米タッグ チャンピオン チームはなんといっても

坂口征二&ストロング小林

坂口征二&長州力

 

です。“パワーファイターズ““怒涛のパワーコンビ“みたいなキャッチコピーがついてました。…要は持ち味は“パワー“だけってことですね…ビッグサカも小林も、そしてこの時期の長州も、不器用であんまりいろんな技がなく、もちろん飛んだり跳ねたりもなく、

 

・殴る(水平チョップ、ハンマーパンチ)
・蹴る(ストンピング)
・締め上げる(ヘッドロックやベアハッグ)
・投げる(ボディスラム、ショルダースルー、払腰)

が9割。

 

たまに出す大技はジャンピングニーアタック、アトミックドロップ、逆エビ固めぐらいのもので…

うーん、地味!

 

 

そして対戦相手がまた、なかなかなのです。

 

タイガージェットシン&上田馬之助

上田馬之助&サンダー杉山

ヒロマツダ&マサ斎藤

どうですか、この顔触れ!顔面バイオレンス!東映京都撮影所もビックリのイカツさです!

 

もちろん「北米」なのでガイジン勢ともタイトルマッチをやってました。

ハリウッド ブロンドス(ジェリー ブラウン&バディ ロバーツ)

ニコライ ボルコフ&シーク オブ シークス オブ バグダッド

ハンス シュミット&ブルート バーナード

イワン コロフ&グレッグ バレンタイン

ペドロ・モラレス&ビクター・リベラ

…うーん、やっぱり地味!!

 

後に、アンドレ ザ ジャイアントスタン ハンセンスーパースター ビリー グラハムなんかもタイトル戦線に絡むこともありましたが、基本的にこの「北米タッグ」は地味なのです。

そもそも、創成期の新日本プロレス全体が東映任侠映画みたいな雰囲気で地味なんですけどね。その中でもこの北米タッグは、「実録路線」的、”事件のニオイ”がハンパありません。

大型選手同士が小細工なしにバチーンとぶつかってバーンとぶっ倒れて、あとは延々とヘッドロックしたりチョークで頸動脈を絞めたり流血したり急所を打たれて悶絶したり…

 

いまのハイスピードで洗練されたプロレスしか知らない世代が、この「北米タッグ」タイトルマッチを観たら、たぶん1分で離脱するでしょう(笑)。

 


 

●謎多きベルト

 

この王座が日本に知られたのは1973(昭和48)年、ロサンゼルスのオリンピック・オーディトリアムでアントニオ猪木&坂口征二の“黄金タッグ“が、チャンピオンジョニー パワーズ&パット パターソン組に挑戦した試合でした。

 

当時、NWF王者のパワーズが保持していたことからこのタッグ王座もNWFのベルトと考えるのが普通ですが、この試合以前に王座防衛の記録がないらしく…坂口征二との合体を果たしたばかりの猪木、新日本プロレスが必要に迫られてパワーズから買った王座、というのが定説のようです。

 

しかしながら、猪木&坂口はこの時と、その後日本で計2度挑戦するも戴冠できず。新王者のクルト フォン ヘス&カール フォン ショッツにも敗れ、1974(昭和49)年、再びオリンピック オーディトリアムで4度目の挑戦でようやく王座を獲得、となります。

ウワサ通りなのであれば、さっさと獲得して日本に持ち帰りたいでしょうに、この念の入れようは、なんなんでしょうか。権威付けにしても手が混み過ぎな気が…さらにややこしいのが、このベルトはいつの間にかNWFではなく「NWA認定」となってまして…新日プロがNWAに加盟するタイミングも絡み、謎が多いのです。

 


チャンピオンコンビの変遷

 

ともあれ、ようやく獲得したこの王座は、猪木&坂口の黄金タッグの看板、代名詞になる

…かと思いきや、そうでもないのです。というのも、当時の新日にはガイジン レスラーの招聘力が弱く、ライバル対戦コンビに恵まれず、アントニオ猪木は「ウィリアム ルスカ戦に専念するため」という理由であっさり返上してしまうのです。

 

 

その後、紆余曲折があり、1976年に札幌での決定戦に勝った坂口征二&ストロング小林が新王者に。

この頃にはガイジンの対戦チームも充実していきます。

1977年にはタイガー ジェット シン&上田馬之助がベルト奪取。

私のプロレス初生観戦、1978(昭和53)年「プレ日本選手権シリーズ」、坂口征二&ストロング小林vs上田馬之助&サンダー杉山戦はこの辺りですね。

 

そんな坂口&小林は翌1979(昭和59)年4月にヒロ マツダ&マサ斎藤に敗れ王座転落。

 

同年6月、坂口は長州力を新パートナーに王座を奪回。これが長州にとって日本での初戴冠となります。

一方のストロング小林は7月の初防衛戦で木村健吾をパートナーに新王者チームに挑みますが、よりによって長州に決勝フォールを奪われ敗退。なんと北米タッグは団体側の小林サゲ、長州アゲの道具となるワケですね。

 

 

そして以降は坂口&長州が2年にわたり王座を保持、1981(昭和56)年3月、会津でのタイガー ジェット シン&ドン ムラコとの防衛戦を最後にIWGP提唱に伴って、猪木のNWFヘビー級王座等と共に返上、封印されました。

 

いまに続く「IWGPタッグ」が誕生したのは、1985(昭和60)年のことでした。

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