2019年2月21日、後楽園ホールでキャリア32年、52歳の飯塚高史選手(新日本プロレス)が引退しました。
そういえばいつからだっけ、と調べてみたら、「スキンヘッドに髭面の凶暴ヒールに転向したのは2008年」だそうだから、もう10年もいまの凶暴キャラを貫き通した事になります。
飯塚高史(孝之)選手は1986年11月デビュー。同期に松田納(エル サムライ)がいて、佐々木健介とは団体は違いますが、同い年の同年デビュー。一年上の先輩が船木優治(誠勝)と野上彰(AKIRA)で、二年上に武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也の闘魂三銃士、という世代です。
団体から期待をかけられ、チャンスも数多く与えられますが一向にブレイクせず、久々に脚光を浴びた途端に負傷欠場、復帰後は似合わない凶暴ヒールへ…生真面目で地味な飯塚のヒール転向は驚きと共に、「なにやってんの」「本人はどんな気持ちでコレを選択したのだろう」と、常に気になる存在ではありました。
劇的 Before → After
●対ソ連戦士として活躍
私が最初に飯塚の存在を認識したのは、1989(平成元)年、旧ソ連のアマレスラー達が大挙して新日マットに上陸した頃。当時のリングネームは本名の飯塚孝之でした。若手の中でも飯塚と松田はソ連初のプロレスラーの実験台として投げられまくっていた印象。これは受け身の技術が確かな2人への“抜擢”と感じました。
その後、飯塚は馳浩と共にソ連にサンボ留学にも行き、同年5月の大阪城ホール大会ではサンボ ナショナル王者ハビーリ ビクタシェフと異種格闘技戦。当時22歳、キャリア3年に満たないヤングライオンとしては、異例の大抜擢です。
若手のホープだった船木と鈴木が第2次UWFに移籍した直後で、当時の新日本プロレスに適役となる若手は飯塚しかいませんでした。この格闘技戦は敗れたものの善戦健闘し、飯塚は「格闘技のテクニックも身につけた、対ソ連要員」として、他の若手から頭一つ抜けた存在になります。
●与えられたチャンスを”掴みきれない”男
同月にはアントニオ猪木とタッグを組む(vsビッグバン ベイダー&イタリアン スタリオン組ほか)、さらに7月には長州力からパートナーに抜擢され、スーパーストロングマシン&ジョージ高野からIWGPタッグ王座を奪取。
「ブリザード スープレックス」という必殺技も編み出し、1990年には藤波辰爾発案の伝説のユニット「ドラゴン ボンバーズ」のメンバーにも巻き込まれました(ドラゴン自然消滅)。
1991年からヨーロッパへ遠征し、1992年3月、凱旋帰国。新日本プロレス20周年記念興行の横浜アリーナ大会(3月1日)で、凱旋挨拶。スーツ姿で、「蝶野、橋本、武藤、馳、佐々木!俺はお前らにシングルで挑戦するぞ!首洗って待ってろ!」
ピンクのショートタイツの飯塚は、エル サムライ、野上彰との「新世代闘魂トリオ」として売り出され、三銃士+馳、健介に対して噛みついたのです。
しかし。
すでに団体の看板エースとなった三銃士、タッグで活躍中の馳&健介からも「顔じゃない」と相手にされず、その目論見は不発。そして1993年、野上彰と「JJジャックス」を結成。派手な衣装のアイドル タッグは新日ファンの失笑を買い、黒歴史化します。
その後、本人の地味な性格も災いして一向にブレイクせず。1995年、馳浩が国政に移り不在となった後は道場のコーチ役になりますが、以降は「地味な実力派中堅選手」としての位置に甘んじていました。そのたたずまいは「現代版・木戸修」といった風情でした。
●”狂犬”村上との遺恨で再び脚光
時は流れて1999年。橋本真也vs小川直也の「1.4事変」の試合後の乱闘で小川のセコンド 村上和成を殺人ストンピングで病院送りにするという“ガチ過ぎる”遺恨により、図らずも飯塚は再び注目を集めます。
翌2000年の1.4ドーム、飯塚は橋本のパートナーに抜擢され、小川直也&村上和成組と対戦。戦前の予想は「飯塚が負ける」が大半でしたが、飯塚はなんと村上をチョークスリーパーで締め落とし、激勝。
続く4.7東京ドーム、今度はシングルでも村上に勝利した飯塚は、劣勢続きのUFOとの対抗戦で1人気を吐き、新日本プロレス ファンの中で「いざとなったら強い、頼りになる飯塚」と、評価が一気に高まります。
その勢いを買い、秋のG1タッグリーグで永田裕志とのタッグ チームで初優勝。プロレス大賞で初の技能賞を受賞します。
●負傷欠場からのヒール転向
しかし。飯塚を再び悲運が襲います。2001年6月、日本武道館大会での長井満也戦で首を負傷して以降、約1年に渡る長期欠場を余儀なくされ、復帰後も“暗黒のゼロ年代”の流れの中で、団体と共に低迷を続けました。
2008年。飯塚は、“友情タッグ“天山広吉を裏切り、突如としてヒール転向。スキンヘッドに髭、言葉を発さず、手には「アイアンフィンガー フロム ヘル」と呼ばれる子供だましにも程があるギミックを装着し、ただただ粗暴で時代遅れの狂乱ファイターへと“変身“しました。
●キャラクター チェンジの意味
見ただけでソレとわかる「悪役(ヒール)」は、かつてのプロレスにはなくてはならない役所でした。目の肥えたファンか集まる都市部はともかく、「一見さん」の多い地方巡業では、興行の華。盛り上げに欠かせない役割です。
しかし、時代と共にプロレスの定義も観客も変化し、もはやそんな“わかりやすい悪役“は絶滅危惧種。さらにそれを生真面目、地味な飯塚が…というのは、「無理してるなぁ」「なんでそうなるの?」という感想が先に立ち、「別の意味でコワイ」も通り越して「もののあはれ」を感じさせてしまうチョイス。
しかし、当の飯塚本人は、そんないったいどこにニーズがあるのかもわからない“前時代的な反則オンパレードのヒール キャラ“を、「昔の飯塚は等々力の祠(ほこら)に封印:本人談」して貫き通しました。
そして、そんなキャラにはまったくもって不必要にビルドアップされた肉体。年齢からするとかなり驚異的で、鍛錬を欠かしていないことが見ただけでわかります。
まったくもって意味不明ですが、ソレが彼なりのプロ意識なのでしょう。
飯塚高史を見ると、つくづく、プロレスラーという職業は、「格闘センス」や「強い、弱い」だけではなく、「セルフプロデュース能力」こそが最も重要な「仕事」なのだなぁ、と痛感する次第です。
お疲れ様でした。
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