80年代前半の新日本プロレス ブーム最盛期、「過激な」実況で名を馳せた古舘伊知郎アナウンサーは、蔵前国技館を「戦いのワンダーランド」と呼びました。
蔵前国技館は、現在の両国国技館が完成する1985(昭和60)年まで大相撲が開催されていた(旧)国技館です。
昭和・新日本プロレスの最盛期、シリーズ最終戦は、決まってこの「蔵前」。数々の名勝負が繰り広げられた、プロレスファン憧れの大会場でした。
闘いのワンダーランド、新日正規軍 対 維新軍 軍団抗争!
1982年10月、後楽園ホールから始まった長州力の「革命」は徐々に賛同者が増え、小林邦昭、マサ斎藤、キラーカーンにはぐれ国際軍団からアニマル浜口と寺西勇が合流。再度の海外修行から帰国した谷津嘉章も加えた「維新軍」として勢力を拡大。
当初は長州×藤波、小林×タイガーの局地戦でしたが、徐々に猪木率いる新日プロ「正規軍」との”軍団抗争”となっていきました。
そして1983年11月3日、蔵前国技館で行われたのが、初の全面対抗戦「4対4綱引きマッチ」です。
ちなみに…昭和のプロレスファンは「じゅういってんさん 蔵前決戦」などと日付とセットで記憶しています。「はってんにーろく」は夢のオールスター戦、「はってんはち」は猪木vs藤波戦、みたいな感じです。
いまも新日ドーム大会が「イッテンヨン」と言われてるのはその名残ですね。
綱引きでカード決定!
「綱引きマッチ」といっても、もちろんプロレスラーが綱引きで決着つけるわけではありません。「4対4の対戦カードを、試合当日、観客の前で綱引きにより決定する」という画期的なアイデアです。
司会進行は実況の古舘アナ。立会人は山本小鉄審判部長。古舘アナが試合前にリングに立ち、館内アナウンスを担当するのは当時でも珍しい光景でした。
維新軍は長州力、アニマル浜口、キラー カーン、谷津嘉章。
新日正規軍はアントニオ猪木、坂口征二、藤波辰巳、前田明。
顔触れに谷津、前田の両若手が入っているのが新鮮です。
両軍はリング下に向かい合います。リングの上では4本のロープが、目隠しの下で縒り合わされ、どれを引いたらどの相手とぶつかるか、わからないようにエプロンにぶら下がっています。
牽制し合い、なかなかロープを引かない両軍。先に動いたのは維新軍、続いて正規軍もそれぞれ、ロープを選択します。
古舘アナが館内を煽ります。
「さぁ、谷津選手は誰と当たるか…猪木選手です!」
館内いきなり大歓声。
谷津は思わず「やった!」と両手を上げますが、長州は「ダメだ!」と指ワイパーで渋い表情。「オマエには荷が重すぎる」と言いたげです。
谷津は海外遠征から帰国した今シリーズ開幕戦で維新軍入りを表明したばかり。久々の日本マットの大舞台で、いきなり猪木との一騎打ちとなりました。
「長州選手と前田選手、長州と前田が決定!」
この顔合わせにも、場内は大盛り上がりです。
「浜口選手は坂口選手!」
「藤波選手はキラー・カーン選手と決まりました!」
全カードが決定し、両軍は一旦控え室へ。猪木戦を外して若手の前田戦となった長州は、不機嫌な表情で引き上げていきました。
対抗戦初戦 坂口征二vsアニマル浜口
対抗戦の口火を切る初戦は、双方の「副将」同士、坂口征二vsアニマル浜口です。
大一番に燃える坂口は持ち前のパワー殺法全開、めずらしいブレーンバスターまで繰り出して小兵の浜口を圧倒しますが、浜口もスピードで対抗。
最後は浜口が自ら場外フェンスを飛び越え、反則勝ちの頭脳プレー(当時の新日プロは相手を場外フェンスの外に出すと反則負けとなるルールがあったのです)。
これで維新軍の先勝です。
第2戦 長州力vs前田明
第2戦は、維新軍の大将・長州力に、若手の前田明が挑みます。この試合が、この日一番の注目カードでした。
前田はこの年の4月、欧州遠征から帰国。5月には第1回IWGPに参加し、次シリーズの第4回MSGタッグリーグ戦には藤波と組んで出場するなど、次世代のエース候補と期待の新鋭でした。
前田は長州相手にもまったく臆することなく、いきなりロープに降ってのレッグラリアート!その後もスロイダー、フロントスープレックス、蹴りなどでガンガン攻め込みますが、長州はいずれもカウント1で返します。
そして程よきところでバックドロップ、リキラリアートからのサソリ固めの必殺フルコースで前田を圧倒、さすがの貫禄を示します。
前田がギブアップしないとみるや長州はトドメのラリアート一閃、再びガッチリ極まったサソリ地獄に、若き前田は悶絶します。
前田は最後までギブアップせずに粘りましたが、最後はレフェリーストップ。長州の完勝で維新軍は2勝目を上げます。
(ちなみにこの時、前田は「レフェリーが止めてるのにオチる寸前まで締め上げられた」と語っており、私が思うにこの時の”屈辱”と”恨み”が、後の「長州顔面蹴撃事件」につながった気がしています)
第3戦 藤波辰巳vsキラーカーン
第3戦は、若手時代のカールゴッチ杯を彷彿とさせるライバル対決。藤波辰巳とキラーカーンの1戦です。
藤波は巨漢のカーン相手に飛龍雪崩落とし(雪崩式ブレーンバスター)、掟破りの逆モンゴリアンを見せ、カーンも本家モンゴリアンチョップ、アルバトロス殺法のニードロップなどで応戦し好勝負となりますが、両者リングアウトで引き分けとなります。
館内には嵐のような「延長」コールが起きますが、裁定は覆らず。
最終戦 アントニオ猪木vs谷津嘉章
谷津はセコンドの長州らの指示に従い、まともに向き合わずヒットアンドウェー戦法で、猪木が反撃しようとすると場外に逃げ、観客のヒートを買います。
当然、ほどなくして猪木に捕まり、鉄拳制裁と鉄柱攻撃で流血させられ、なぶり殺し状態から最後は延髄斬りからピンフォール負け。
谷津は惨敗デビュー戦以来、海外武者修行で「トラ・ヤツ」のリングネームで大暴れし、精悍になって帰国…のハズでした。
あの忌まわしい国内デビュー戦の舞台でもある蔵前で、御大将の猪木相手に少しでもいいところを見せれば一気に汚名返上!という試合だったのですが…谷津は姑息に逃げ回るだけ。
挙句に猪木の逆鱗に触れてなにもさせてもらえず、怒りの猪木の迫力にビビり上がって泣きべそをかきながら敗れる、という再びの受難。
長州相手に臆することなく真っ向勝負を挑んで散った前田との差は明らかで、デビュー戦に続くこの惨敗が、後の谷津のレスラー人生を決定づけたように思います。
団体戦の結果としては維新軍が2勝1敗1引き分けで勝利…とはいうものの、メインが猪木の完勝だったことで、維新軍が勝ったという印象はありませんでした。
これを受けて、いよいよ猪木と長州の直接対決による決着戦への気運が高まり、to be continued・・・
ザ コブラ デビュー!
ちなみに…この日は8月に電撃引退した初代タイガーマスクの後釜を狙ったマスクマン「ザ コブラ」のデビュー戦でした。この悲劇のマスクマンについてはコチラを。
1983(昭和58)年11月3日
新日本プロレス 闘魂シリーズ最終戦
東京 蔵前国技館 観衆1万3千人(超満員)
1.15分1本勝負
○荒川真(10分33秒 原爆固め)新倉史祐●
2.20分1本勝負
○G.浜田(10分31秒 メキシコ式回転エビ固め)クロネコ●
3.30分1本勝負
○寺西、小林邦(12分00秒 体固め)高田、山崎●
4. 30分1本勝負
○P.オーンドーフ(2分59秒 体固め)栗栖正伸●
5. 30分1本勝負
○B.J.スタッド、S.ライト(8分31秒 体固め)木戸、剛●
6. NWA世界Jr.ヘビー級王座決定戦(60分1本勝負)
○ザ・コブラ(20分03秒 体固め)D.スミス●
*コブラが新王者。
7.正規軍対維新軍対抗戦綱引き4対4/60分1本勝負
○A.浜口(8分11秒 反則)坂口●
*場外フェンスアウト。
8.同
○長州(12分57秒 レフェリーストップ)前田●
*サソリ固め。
9.同
▲K.カーン(14分14秒 両者リングアウト)藤波▲
10.同
○A.猪木(9分48秒 体固め)谷津●
*対抗戦は2勝1敗1分けで維新軍の勝利。
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