【視聴レビュー①】ジータス BI砲 日本プロレス 秘蔵映像 ~20190216&17放送回

※当サイトで掲載している画像や動画の著作権・肖像権等は各権利所有者に帰属します。

ID:4176

アイキャッチ プロレス
スポンサーリンク

待望のジータスでのお蔵出し映像レビュー、第一弾は2019年2月16日(土) 、17日(日)放送分 BI砲1&2です!

▼2019年2月16日(土) 18:30~20:30 至高の昭和プロレス名勝負列伝~力道山・BI砲 伝説の貴重映像一挙公開~(BI砲 1) ジャイアント馬場とアントニオ猪木 運命の合体前夜

 

●1966年10月28日 宮城県スポーツセンター
(インターナショナル選手権)ジャイアント馬場 vs ゴリラ・モンスーン

ゴリラ モンスーンが動く画は初めて観ました。縦もですが、とにかく横に大きい巨人ですね。必殺技がサバ折り、というどうにも地味な試合。馬場さんがテーズ プレスで勝利。馬場さん、この頃はこんな技を使ってたんですね。

 

●1967年8月14日 大阪球場
(インターナショナル選手権)ジャイアント馬場 vs ジン・キニスキー

馬場さん生涯の名勝負といわれる試合、当時のカメラの性能か魚眼レンズ風のモノクロ画像で、向こう側の観客席が壁のよう。ギッシリ満員です。声が似てると思ったらやはり解説は猪木さんなんですね。ぶっちゃけ、馬場さんよりキニスキーの強さが目立つ試合。この時期の清水アナは頑なに「ジャイアンツ馬場」。

 

●1967年12月6日 東京体育館
大木金太郎 vs ジョー・コザック

実況なしの地味試合。うーん、カテェ!(笑)コザックのリングシューズにある「N」はなんの意味なんでしょう?

 

●1967年12月6日 東京体育館
アントニオ猪木、吉村道明 vs バロン・シクルナ、ビクター・リベラ

東プロからこの5月に復帰した猪木、リングネームは「アントニオ猪木」ですが実況では清水アナに「猪木寛至」と連呼されてます。“黒い核弾頭“リベラは後に新日創世記でも活躍しましたが、筋肉質でカッコいい。一方、黄色タイツの猪木は腰回りが太くて寸胴体型。歳を重ねて細くなるというのは珍しいですね。弓を引くナックルパートは「アントニオ ストレート」と呼称されてます。この時代のプロレスはボディスラムが強烈です。レフェリーのユセフ トルコは悪目立ちしますねぇ。観客はほぼ全員ダークスーツのおっちゃんです。

 

●1968年6月25日 愛知県体育館
(インターナショナル選手権)ジャイアント馬場 vs ボボ・ブラジル

馬場22度目の防衛戦、なぜか実況が後付け。音声が残ってないんでしょうかね。やはりブラジルはデカイ、まったく馬場さんと引けをとりません。馬場さんはカウンターではない16文、そして華麗な32文ロケット砲を放ちますがココバットでブラジルが圧勝。馬場さんは防衛記録がストップしてしまいました。ブラジルは力道山のライバルでしたし、馬場は小僧扱いされてる感じですが、日の出の勢いのエース馬場がこんな惨敗とは・・・当時、さぞかしショッキングだったろうと思います。

 

●1969年3月5日 新潟市体育館
アントニオ猪木、大木金太郎 vs ネルソン・ロイヤル、ポール・ジョーンズ

猪木&大木はアジア タッグ チャンピオン。この頃には選手コールは猪木が後です。猪木は青いガウンに赤タオル、黒いタイツ。解説は山田隆さん。相手のロイヤル&ジョーンズはカウボーイ スタイルの「牧童コンビ」、試合巧者でした。こういうレスラー、昔はたくさんいましたが絶滅しちゃいましたねぇ・・・

 


 

▼2月17日(日) 18:30~20:30 至高の昭和プロレス名勝負列伝~力道山・BI砲 伝説の貴重映像一挙公開~(BI砲 2) し烈なエース争い! 第11回ワールド大リーグ戦

 

●1969年2月26日 大阪府立体育会館
(インターナショナル・タッグ選手権)ジャイアント馬場、アントニオ猪木 vs ザ・デストロイヤー、ブル・ラモス

この試合も実況は後付け。BI砲2度目の防衛戦、モノクロのダイジェスト映像です。流れの中でデストがチキン ウィング フェイス ロック、猪木さんの見事なドロップキック。セコンドに入門直後の木戸さんがいましたね。

 

●1969の伊豆合宿風景

カラーの貴重な映像、試合よりもこういうのが嬉しいです(笑)。凱旋した坂口さんの日本デビュー直前、スキンヘッドのゴッチさんもいます。ヤマハと大熊さんが一緒にスクワットしてて感激。

 

●猪木の卍固め名称公募映像

かけられてるのは若き日の戸口です。腕を上げる猪木のポーズは、まさに卍にしか見えないですね。

 

●第11回ワールドリーグ戦開幕式

試合よりもこういう映像の方が・・・(以下略)。ブラジル、メディコ、マルコフ、ゴメスら、日本勢は大木、大熊、吉村、ヤマハに坂口、そして猪木と馬場。花束が豪華過ぎます(笑)

 

●1969年4月5日 蔵前国技館
大木金太郎 vs トム・アンドリュース

“キム イル“大木金太郎、と必ず並列で呼称されますね。当時「アジア ヘビー級チャンピオン」と紹介されています。カテェ!

 

●1969年4月5日 蔵前国技館
吉村道明、坂口征二 vs メディコ2号、3号

医者マスクマン コンビ。白衣を脱いだら単なる白マスクマン コンビ。若きホープ、坂口の日本初登場時期。吉村が水色、坂口が赤でカラーテレビを意識した?ショートタイツ姿。入れ替わりを「スクリーン プレイ」と呼称するハイカラな清水アナ。アトミック ドロップを「原爆落とし」。この頃「原爆」言い過ぎ・・・いまなら即BPOですね。

 

●1969年4月5日 蔵前国技館
(第11回ワールド大リーグ戦 公式戦)ジャイアント馬場 vs ゴリラ・モンスーン

元AWA&USヘビー級チャンプ、と紹介されるモンスーンは193センチ163キロ。ブラジルといい、日プロ時代のガイジン勢は馬場さんがまるで大きく見えない巨漢揃いなのがすごいですね。馬場さんは濃紺のショート タイツ姿。場外にムシロが敷いてあるのが時代ですね。

 

●1969年4月5日 蔵前国技館
(第11回ワールド大リーグ戦 公式戦)アントニオ猪木 vs ボボ・ブラジル

ゴッチさんがセコンド、猪木さんは白に大蛇のガウン。キャリア20年のベテラン、ブラジルは猪木と対峙すると巨大な壁です。馬場さんの試合と比べると25歳の猪木さんはスピーディでガッツが前面に出ていて、ウケるのもよくわかります。猪木さんは珍しいスピニング トーホールド、後年のアリキックそのまんまの蹴りからリバース インディアン デスロックなどであと一歩まで追い詰めますが、ココバットで逆転負け。なんと馬場さんと猪木さん揃ってワールドリーグ初戦、黒星発進です。

 

●1969年4月16日 大阪府立体育会館
坂口征二 vs メディコ2号

清水アナ曰く「プロレスリングの万国博、オリンピック」ワールドリーグの中盤戦、大阪大会。この日も開幕ではないのに入場式が。ビックサカの豪快過ぎるアトミック ドロップ炸裂。

 

●1969年4月16日 大阪府立体育会館
(第11回ワールド大リーグ戦 公式戦)アントニオ猪木 vs ゴリラ・モンスーン

猪木さんと対峙するとさらにモンスーンのデカさが際立ちます。力道山存命中は日系ブラジル人とされた猪木さん、この時期には横浜鶴見出身と明かされてます。「モンスーンはイタリア系アメリカ人」と連呼されます。猪木が嬉しい殊勲勝ち。試合後に満面の笑みで手を振る姿が初々しいです。

 

●1969年4月16日 大阪府立体育会館
ジャイアント馬場、大木金太郎 vs ボボ・ブラジル、クリス・マルコフ

ロシア系カナダ人のマルコフはスターリングラード出身なんですね、初めて知りました。大木とブラジルの頭突き合戦。今宵再三登場するブラジルのデカさ、クロさ、コワサは小1の息子も震撼。

 

●1969年5月16日 東京体育館
(第11回ワールド大リーグ戦 決勝戦)ジャイアント馬場 vs ボボ・ブラジル

試合前に馬場.猪木.ブラジル.マルコフの4選手がリングに登り、抽選の結果、として馬場vsブラジルが先行。この試合は馬場さんが健闘してほぼ互角の工房、ドロップキック相打ちも。結果、時間切れ引き分けで猪木vsマルコフ戦へ・・・。

コメント

タイトルとURLをコピーしました