このシリーズでは、これまで4回にわたって「アントニオ猪木の強さと格闘技術の源流」について探ってきました。
③若手時代に影響を受けた外国人強豪レスラー達
いざ書き始めてみたら結構なボリュームになりましたが、それでも④の「ゴメスとバーリ・トゥード」以外は、原点を探るために主に日本プロレス時代を主とした内容です。新日本プロレスを旗揚げして以降にはほとんど触れていませんので、これでも「アントニオ猪木の強さの理由のごく一部」でしかないワケです。
最終回となる今回は、全盛期のアントニオ猪木をもっとも間近で目撃し、実際に肌を合わせた2人の弟子、佐山聡さんと藤原喜明さんの証言を基に、「アントニオ猪木のプロレスとは、どこが”異質”だったのか?」について、掘り下げてみます。
直弟子・佐山聡が語る「猪木プロレスの異質さ」
アントニオ猪木の弟子であり、後に総合格闘技(MMA)の理論を構築した一人、佐山聡(初代タイガーマスク)さんは、アントニオ猪木の強さを「しなやかさと寝技」と分析します。
「格闘家っていうのはあまり筋肉を付けてはいけないんですが、猪木さんの体は無駄がなくてしなやかで理想的でした。格闘家にとっていちばん大事な気持ちやクレバーな頭も備えていました。もし、現在の総合格闘技にあるような立ち技の技術があのころ確立していて、それを猪木さんが身に付けていたら大変なことになっていたでしょう。でも、猪木さんの技術は、あの時代においては最先端で限界のモノでしたよ。」
そして佐山さんは「アントニオ猪木のプロレス」について、こう語ります。
「プロレスの世界には、100年前にプロレスの歴史が始まったときから、『セメントの世界とリングの世界は違う』という考えが根強いんですよ。猪木さんもそう考えていたんだと思います。ただ、それでも当時の新日本の味がちょっと違っていたのは、そういうこと(セメント)ができるレスラーたちが、ある種の雰囲気を醸し出しながらプロレスをしていた点にあるんだと思います。それが本能的にお客さんに伝わったんじゃないかと。」
「一言でいえば猪木さんのプロレスは『格闘家がやるプロレス』だったから凄みがあった。格闘家じゃない選手がいくら格好だけ真似しようとしても不可能なんです。つねにセメントの厳しさのなかに自分を置いて鍛えた猪木さんだからプロレスのなかにあれだけの凄みが出せたのであって、なかなかプロレス界に猪木さんを超えるレスラーが現れないのは当然です。」
アントニオ猪木「俺の引き出しにはまだ眠っているものがたくさんある」
猪木さん自身は、寝技(サブミッション=関節技)の重要性についてこう語ります。
「寝技は、体型や筋肉の付き方によって極まるポイントが千差万別で、必ずしも型に入ったからといって極まるとは限らない。そのポイントを見つける感性の有無が、レスラーの実力を左右する。そこがプロレスの奥深さであり、難しさなんだ。」
「俺の場合、自分の肉体的な特徴や感性がグラウンドに向いていた。これは俺と肌を合わせたことがある者ならわかる感覚だと思うが、俺は力を使わなくても上に乗るポジションをコントロールすることで相手の自由を奪うことができる。ヘビのように絡み付いたり、ガムのように密着して離れなくなったり、自在に動きを封じ込めることができる。ただ、これはレスラーそれぞれの肉体条件と感性が異なるため、教えようにも教えられない感覚的な世界なんだ。」
そしてパワーについて。若き日の、日本プロレス時代の猪木さんは、実は日本人離れしたパワー・ファイターでもありました。
「格闘における『パワー』とは、ボディビルで身に付けた筋肉とは違う。本来は筋の力や躍動感を指す言葉。野球でもイチローのおかげで表面的な体格や筋力よりもバランスや重心移動の重要性に注目されるようになったけど、プロレスや格闘も同じ。格闘に見合った筋力を、自分に合った鍛え方をする。俺が何とかここまで長くやってこれたのは肉体の資質もあるけど、根本的な鍛え方の問題もあったと思う。そういう意味で、俺は華奢な割には格闘パワーはあったほうだと思う。」
>猪木さんと佐山さんによる「プロレス論」と、当時の若手石澤常光(ケンドー・カシン)とのスパーリングについては、以下のビデオをご覧ください。
そしてゴッチ&ロビンソンについて。
「ゴッチとロビンソンの強さやテクニックは認める。一時期、彼らは間違いなく最高のレスラーだった。が、言い方を変えれば、ゴッチとロビンソンはそれだけのレスラーでしかなかった。結局、2人とも利己的でプロレス界全体を捉える視野に欠けていた。アントニオ猪木と2人の違いは、俺が力道山の感性を受け継いだことで生まれた。レスラーであると同時に、常にプロモーターであり、プロデューサーでもある。俺は一貫してそれを全うしてきた。」
藤原喜明が語るアントニオ猪木
それでは最後に、長年猪木さんのスパーリングパートナー、影武者を務めた藤原喜明さんの語る「猪木論」で締め括りたいと思います。
「ゴッチさんの凄さは『力と瞬発力を備えた技そのもの』。猪木さんの特徴は『持久力を基本にした技の組み立て』かな。それに猪木さんはしつこい!あとは先天的な柔らかさ。体全体が柔らかくて、いくら技をかけても効いてんのか効いてねえのかわかんねえんだ。」
「やっぱりパキスタンのペールワンの腕を折っちゃったやつだな…。折らなかったらやられてたかもしれねぇんだ、あれは。ペールワンが強いのか弱いのかわかんないまま試合になって、猪木さんが何回も関節を極めてんのに参らないんだよ…。そういうのっていちばんイヤなもんでね、だから最後に完全にアームロックが入ったとき、猪木さんはこれを逃したら極めるチャンスがねぇかもしれねぇ、と考えたんだと思う。それをギブアップされなきゃ折るしかないよ。」
なにしろペールワンは国民的英雄だから、折った途端にさ、7万人以上いた観客がスゴイ騒ぎになって、リングサイドを警備してた軍隊が観客席のほうに銃を構えたんだ。俺はそんとき瞬間的に、この兵隊のなかの1人がもしかしたら猪木さんを撃つんじゃないかと思って、とっさに弾除けになろうとして猪木さんの前に立って両手を広げたんだ。でも、猪木さんが『藤原、いいよ』ってスッと前に出て両手を高く差し上げた。そしたら大騒ぎだった会場がし〜んと静まり返っちゃった…。なぜだと思う?その両手を天に差し上げた姿が“アラーの神への祈りのポーズ”だったんだよ。おそらく偶然だよ!そんとき猪木さんの勘の良さっていうか、運の強さを感じたね。」
「猪木さんの場合、天性の閃きみたいな感じでやったんじゃねぇかと思う。俺が勝てねぇと思ったのは、そういう猪木さんの捨て身になれちまう狂気みたいなものかもしれねぇ。うまく説明できねぇんだけど。俺らは凡人だから、危ない状況になったら『生きたい』とか『助かりたい』とか『死んだら酒飲めなくなるな』とかいろいろ思うよな。でも猪木さんはそう思わないっていうか、思わなくなれる人なんだ…。ケンカにいちばん強い人間はさ、生きることに執着がなくて捨て身な奴なんだよ。もうそういう奴には勝てるわけがない…。」
「スキャンダルとかも、あれは早い話が周りの人間が猪木さんを理解できなかったってことだと思うんだけど、それって当たり前なんだよ。わかるわけねぇもん!猪木さんの狂ってる部分を理解できねぇほうが、むしろ人間としては正常なんだから。」
「猪木さんのことをこうして話しながら考えると、真剣にそうすればするほどわかんなくなるんだ…。七色の顔を持っていてさ、そのすべて捉えどころがねぇんだよ。猪木さんにとっては一般常識も善悪の基準もある意味で関係ねぇし、凡人には理解できねぇとんでもないモノサシを持ってんだよ…。そういうでかすぎてわけわかんない人間性も含めてみないと、格闘家・アントニオ猪木っていうのは見えねぇと思うな。」
完
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