①事件の全容はコチラ
②事件翌日のインタビューはコチラ
・・・そんなワケで、新宿伊勢丹襲撃事件はガチでした!…と言いたいところですが、なんと意外なところでもう1人、真相を知る人物がコメントを残しています。
その名はビル ホワイト…当時、シンと一緒に猪木を襲った張本人です。週刊ゴング 2004年6月9日号に掲載されたインタビューで、事件について詳しく語っています。
●事件の当事者、ビル ホワイトが語る真相!
「私自身、いつかはあの事件の真相を話す時が来ると密かに思っていたよ。日本から来たレポーターが私にインタビューをしたがっている、という話を耳にしたからこの問題の事を聞かれる事は覚悟していたよ。 もう今更隠しても仕方ないから私の知っている限りの事は話すよ…。」
-最初からズバリ! 問題の核心に入らせてもらいますが、当時からこの襲撃事件に関しては、関係者が仕組んだヤラセではないかと言われていましたよね。つまり、猪木VSシンの因縁を盛り上げる為の演出という意味です。
「その説は半分当たっている面もあるけど、残りの半分は外れているね。当時、タイガーは自分の知名度を日本でいかにアップさせたらいいかという事を真剣に考えていたよね。私はあの時のツアーで初めてタイガーと知り合ったんだが、あんなに自分のビジネスを真剣に考える男にはそれまで会った事がなかったね。」
-当時、シンがそれほど真剣に日本における自分の知名度のアップを考えていた最大の要因は何だったんですか?
「オールジャパンとのレスリング ウォーの事は、あの頃からアメリカのレスラー達の間でも評判になっていただけに、ニュージャパンの常連選手になりつつあったタイガーとしては負けたくなかったんだろうね。」
-その頃からシンはライバル団体だった全日本プロレスに対して対抗意識を持っていたんですね。
「その通り。特にオールジャパンのトップ選手だったブッチャーに対しては物凄い競争意識を燃やしていたね。絶対に俺の力でニュージャパンをナンバーワンの団体にしてブッチャーとの人気に差をつける、って公言していたからね。
-シンはこの年(昭和48年)5月に初来日してこの時は二度目の来日だったんですよね。
「シンはこの時のシリーズでは猪木との一騎打ちで何とか自分の存在感をもっと強烈にアピールしたかったみたいだったな。もっともっとお客さんをエキサイトさせる為のアイディアをね…。」
-それが猪木さんの襲撃につながったんですか?
「いや、その前に会場に来ていたお客さんを殴る、という暴挙に出たよね。私の記憶に間違いがなかったらタイガーはアリーナの客を何かの拍子に突き飛ばした事があったはずだ。それも日本のマフィア関係の人だったみたいだけど、そういう話を聞いてもタイガーは全く怖がる事はなかったね。あの時、タイガーの持つ潜在的な怖さに会場全体が凍りついたような雰囲気だったね。恐らくあの光景を見たファンはタイガーに本物の狂気を感じたと思うよ。」
-そうした反応に対してシン自身はどう捉えていたんですか?
「まあ、タイガーはある面で自意識過剰な男だったから完全にその状況に酔っていたし、そこまで割り切れた事で、もう日本で怖いものはない、みたいな事も言い出していたよね。」
-あの当時のシンは本当にファンからも、取材する記者たちからも恐れられていました。
「それはそばにいる私たちも感じていたね。各会場に集まったファンの人たちも第一試合から、いつシンがサーベルを振りかざして飛び出してくるかわからない恐怖に駆られていた感じだったね。 何時猪木がシンに襲われてもおかしくない状況が出来ていたからね。」
-そんな状況の中で本題の新宿での襲撃事件が起きました。
「あの事件が起こったのは新宿だったのか…。 私はあの場所はずっと銀座だと勘違いしていたよ。」
-あの襲撃は事前に襲撃場所などの手順は整っていたのですか?
「手引きしてくれた人物がいた事は間違いないよ。 でも、どういう方法で猪木を襲うかはタイガーに任されていたんじゃないのかな。」
-それが警察沙汰にまでなったのは計算違いだったのですか?
「そこまで事件がエスカレートしてしまった理由は簡単だよ。タイガーが途中で本気になってしまったからだよ。用意されていた段取りを無視して本気で猪木を襲うとタイガーが言い出したんだ。当日の朝、タイガーからそれを打ち明けられた私は、そんな事をしたらおまえは日本の警察に逮捕されて強制送還され二度と日本では仕事が出来なくなるぞ、と忠告したんだけど、タイガーは全く聞く耳を持たなかったね。」
-何がシンをそこまで決断させたのですか?
「当時、日本に来て日が浅かったタイガーはまだ日本の文化とか法律、習慣をよく理解していなかったんじゃないかな。 それとこれは日本人の責任ではないかも知れないけど、あの当時日本のファンは会場や宿舎のホテル、あるいは移動の列車の中などで我々アメリカから来た選手たちを見ると、何か意味不明の愛想笑いのようなものを必ず見せていたよね。後になってあれは親しみの証しだという事がわかったけど、あの笑いがタイガーには自分たちを小馬鹿にした笑いに見えたんだと思うね。そんな事から日本のファンにプロレスラーの本当の怖さを見せたい、という気持ちになったんじゃないのかな。最初はタイガーも私も猪木にストリートファイトを仕掛ける事はあくまで試合を盛り上げる為のPRとしてやるつもりだったけど、途中から完全にタイガーの気持ちは違っていたね。」
-その真の目的は一体何だったんですか?
「やはり、シリーズのクライマックスで予定されていた猪木とのシングルマッチをよりシリアスな形の戦いにしたいというタイガーのプロ意識なんじゃないのかな。」
-そして運命の11月5日…。
「あの日は朝からタイガーは異常なほど興奮していたね。今日は俺は日本のプロレス界始まって以来の最大のヒールになる、という感覚に酔っていたね。私はそんなタイガーの言葉を聞いて、この男は本気だと思ったよ。私としては関わってしまった手前、途中から抜け出す事は出来なかったけど何とか無事にこの襲撃が早く終わって欲しいと願ったよ(笑)。ただ、やる以上は中途半端な形ではなくタイガーを最高のヒールとして猪木にぶつけてやりたいとは思ったよ。新日のフロントを怒らせ二度と日本に呼んで貰えなくなってももう後には引き下がれないからね。
-そして伊勢丹前で奥さんと買い物中の猪木さんを襲った訳ですね。
「私は猪木は一人だと思っていたが…その場には猪木のワイフと、もう一人小さな男(啓介氏)がいたよ。今もあの光景は鮮明に覚えているよ。 猪木と猪木のワイフは車から降りて来た我々の顔を見て、例の謎の愛想笑いのような表情を見せたんだ。その瞬間、タイガーは何か意味不明の言葉を叫びながら猪木に突進して行ったよ。 私も少し遅れて猪木に掴みかかった瞬間、タイガーは猪木を頭から近くのガードレールにぶつけていたな。 多分、そこで猪木の額が切れたのだと思う。あとは待たせてあった車に飛び乗って逃走するのが精一杯だったね。」
-怖くはなかったですか?
「そりゃあ怖かったよ! 下手すればその場で日本のポリスマンに逮捕されるかもしれないわけだからね。 私も必死だったけど車に飛び乗った時のタイガーの凄い顔も忘れられないね。」
-襲われた猪木さんはどんな心境だったんですかね。
「ある程度タイガーが何かを仕掛けてくる事は予測していたけど、まさかあそこまでやられるとは思っていなかったと思うよ。ただ、やられた猪木も本当のプロだよ。あそこまでやられても文句の一つも言わなかったわけだから。まぁ、これは結果論かもしれないけど、私たちが一緒にいて良かったと思ったね。あの時のタイガーは完全に陶酔して錯乱していたからね。 あそこで止めなければもっと凄惨な結果になっていたと思うしね。」
-この計画の立案者は誰だったんですか? 新日プロのフロントだったのか、シン自身だったのか?
「私はそのあたりの事は知らないが…恐らくその両方だった可能性が強いね。新日本のフロントが軽く考えていたアイディアをシンが自分勝手にアレンジして膨らませたんじゃないのかな。」
-あれが試合会場の通路とか、会場前の道路だったらそうインパクトは無かったかもしれませんね。
「それは間違いなく言えるね。公衆の場、それも繁華街のデパートの前でレスラー同士が乱闘する、などという事はアメリカ本土でもない事だからね。その方法論に関しては当然批判もあったと思うけど、あれによってタイガーのヒールとしての名前が日本で確立された事だけは間違いないよね。」
-31年の歳月を経てあの時代の猪木-シンの一連の抗争をどう思われますか?
「本当のプロ同士だから出来た戦いだと思うよ。ここに妙な妥協があったら、あそこまでファンを興奮させる事は出来なかったと思う。私はあのツアーが終わってカナダに帰る時、空港で正直ほっとした気分になった事を覚えているよ。」
-その後、ホワイト選手は二度、別の団体に来日されましたよね。
「オールジャパンとIWA(国際プロレス)にね。ただ、ニュージャパンに初来日した時の衝撃が大きかったから、そう強烈な印象は無かったね。ブッチャーの徹底したプロ意識やツルタやキムラの実力には感心したけどね。」
-ホワイトさんから見て今のプロレス界に対する注文は何かありますか?
「安易な物真似は止めてもらいたいね。 やはりプロレス本来のオリジナルな戦いを尊重し、自分に合ったキャラクターをしっかりと確立させる事だよ。猪木とタイガーが戦っていた頃の熱気と殺気が今のプロレスにも欲しいと思うよ…。」
■底が丸見えの底なし沼!
どうでしょう。
完全なるガチ襲撃、ではなく、新日プロのフロントの仕掛けだった、という話を裏付けるコメントもあり、興味深い内容で、このインタビューをしたゴングはエライ!と言いたいところです(笑)。
そして、半分はヤラセだった、としながらも、半分はガチで、最後はホントにガチガチの襲撃になって来る辺り、当時のタイガー ジェット シンのマヂキチぶりというか、徹底したプロ意識が伺えて、これが100点満点な解答な気がします。
これを受けて当のアントニオ猪木は、
「会社の誰かが俺のスケジュールをシンに教えてけしかけていた可能性はあると思う。あの頃、新日本プロレスの社員はみんな必死にいろんなことを考えていたから、俺に内緒でそういうことを仕掛けるくらいのことはやりかねなかった。」
社員が売上をアップするために、盛り上げるために社長に内緒で襲撃する計画を立て、実行する。一般常識ならとんでもない話ですが(笑)、有名ガイジンもおらず、知名度もない当時の新日プロなら、やりかねないヤバさがあります(笑)。
そしてこのヤラセのようでいてガチ、ガチのようでいてヤラセ。これこそが「底が丸見えの底なし沼」(by ファイト井上編集長)の、昭和プロレスの魅力なのです。
最後に、ライバル団体のお2人のコメントをご紹介して、この章を終わりにします。
■国際プロレス 吉原代表
「事件が、マジかヤラセかということにはコメントできない。私も同業者だからね。だが、事件を聞いた時、やられたと思った。これで猪木とシンの試合は大入り満員になることは間違いない。ヤラセにしろマジにしろ大パブリシティーになったことは確かだ。だが、これからまた、こういう事件がどの団体で起こっても伊勢丹事件を真似たヤラセ、と言われるだろうね」
(1973年11月7日発行 東京スポーツ)
■全日本プロレス社長 ジャイアント馬場
「何で俺が、答えなければならないんだ。他団体の盛り上げに俺は協力できないよ。これで猪木とシンの試合は盛り上がるだろうな。猪木はよくやるよ」
(1973年11月6日岡山武道館にて)
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