G+で、この試合がオンエアされました。
キラー カール コックスvsディック マードック
1976(昭和51)年12月9日
両国 日大講堂
全日本プロレス スーパーパワーシリーズ
中継解説の東京スポーツ 山田隆さん曰く「この2人はオクラホマあたりで大ライバル」とのこと(さすがアメリカ通)ですが…
プロレスファンならピンと来るこの2人。
そう、「ブレーンバスター対決」です。
マードックの必殺 ブレーンバスターは、デビュー当時に師弟コンビを組んだコックスから盗んだ(学んだ)と言われてましたが、
全日本プロレスで直接対決が行われてたとは知りませんでした。興味津々です。
コックスはこの時、キャリア28年(!)の老獪、いぶし銀の大ベテラン。
一方のマードックはフレッシュファイトなヤングボーイの注目株。
そしてこの試合、とんでもないオチが付くのです!
●キラー カール コックスとは?
キラー カール コックスは1931年生まれ、プロレスデビューは1950年代半ばで、なんといまでは誰もが知っているポピュラーな大技「ブレーンバスター」の開発者として有名です。
この時は「ザ スピリット」という黒覆面レスラーとして来日。ザ デストロイヤーの覆面十番勝負の対戦相手としてのギミックでしたが、2日前の12.7福岡で馬場にマスクを取られ、素顔に戻ってのファイトでした。
●この時点のディック マードック
一方のディック マードックは1946年生まれ、初来日は1968年の日本プロレスでした。
すでにこの頃から人気者で、ファンから贈られたという「寿」文字入りのブルーのガウン姿で入場。
このシリーズでビル ロビンソンと引き分けたことで、その隠れた実力者ぶりが認知され、“将来のNWA世界チャンプ候補“と言われていました。
●試合展開
裁くのは若き(若すぎ)和田京平レフェリー。全日本プロレス メインレフェリーのジョー樋口さんがこのシリーズ中に足を怪我したことで、TVマッチ登場が増えていました。
序盤戦から両者、激しいグーパンチの殴り合いでエキサイト、コックスが京平レフェリーを突き飛ばし、早々に試合終了のゴングを要請。が、「この試合は反則裁定なし」と場内アナウンスが入り続行。なんでしょうこれは。
コックスはタイツにしのばせた凶器メリケンサックで攻撃(古い!)ここからしばらく、コックスのペースで試合が進み、マードックは派手なバンプで会場を沸かせます。
しかしマードックはボクシング パンチ連打(お得意のつま先を上げたステップ付き)から目の覚めるようなドロップキック!しかしベテラン コックスは反則ありのあの手この手でペースを渡しません。老獪です。
先に必殺ブレーンバスターを繰り出そうとしたのはコックス。しかしマードックはこれを防ぎ、投げさせません。
マードックはこの当時からエルボー、ストンピング、そしてボクシングスタイルのパンチくらいしか技を出しません。なのですが、会場人気を独占しています。
場外乱闘でマードック流血。コックスは一気呵成に攻め立てます。
しかしこの辺りでコックスが見せたエプロンでのエルボーとか、その後のマードックの得意技じゃん!
そしていつしか両者共に大流血。
遂にコックスが必殺ブレーンバスター!
これをマードックが跳ね返し、場内大歓声です。マードックが反撃に出ると館内の応援がすごい。
そしてマードックのもう一つの必殺技、カーフブランディング(子牛の焼印押し)!
実況の松永アナは「ネックブロック?」山田さんは「踏み潰し」。
そしてマードックが「ブレーンバスター」宣言。しかし、コックスは腰を落とし、決めさせません。
ここでエキサイトしたマードックがレフェリーの和田京平さんをリング外へスルー。
収拾がつかなくなり、全日本の若手、大仁田と薗田が止めに入ります。すると…
まずはマードックが薗田にブレーンバスター!
そしてコックスも大仁田にブレーンバスター!
いやいや、そういう対決じゃないだろ(笑)もはやコントです。
さらにここから、渕や伊藤、百田、大熊ら若手が止めに入りますが、両者はなおも乱闘を繰り広げ…
結局、20分26秒、ノーコンテストとなりました。
試合後はマードックが先に引き上げ、コックスが観客に向かって散々アピールして大見得を切って、おしまい。
この辺りは、マードックが先輩に気を遣ったんでしょうか。
古き良きプロレスを観せてもらいました。
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