第2回「IWGP」~1984 蔵前暴動に隠れたリーグ戦、好カードの数々

※当サイトで掲載している画像や動画の著作権・肖像権等は各権利所有者に帰属します。

ID:9052

プロレス
20080510212249
スポンサーリンク

第1回IWGP に続く今回は、翌1984(昭和59)年に開催された「第2回IWGP」です。

この大会は、メインイベントの 6・14 猪木vsホーガン、蔵前国技館での暴動事件ばかりが取り上げられます。その試合は「新日本プロレス暴動の歴史」で既にご紹介していますので、今回はリーグ戦にフォーカスを充ててご紹介しましょう。

 


’83 IWGP後の新日本プロレス

 

1983(昭和58)年、IWGPが「猪木失神KO負け」という衝撃の結末に終わった後、新日本プロレスは創立以来の激震に見舞われます。

それが、8月の「クーデター事件」と「初代タイガーマスク引退」です。

 

この結果、IWGPの立役者、新間寿氏が新日本プロレスを退社。新間氏によれば「あのクーデター事件がなければ、翌年春にはニューヨークMSGで新日本プロレス、WWF、IWGP実行委員会の合同興行開催のプランもあった」そうですが、すべては水泡に帰してしまいました。

 

新間氏は新団体UWFを旗揚げし、前田明、ラッシャー木村、剛竜馬らが新日本プロレスを離脱して参戦(その後、藤原喜明、高田伸彦、木戸修らも参戦)。

 

アメリカでは、IWGP優勝戦で猪木を下して優勝したハルク ホーガンに全米侵攻作戦のエースとして白羽の矢が立てられ、1984年1月にWWF世界へビー級チャンピオンになります。

 

そして3月にはIWGPを後方から援護していたWWFのオーナー、ビンス マクマホン シニアがすい臓がんのため69歳で亡くなり、完全に息子であるビンス マクマホン Jr. に実権が渡ります。

 

’84 第2回IWGPとは?

 

前年に好評を博したIWGPは、翌年、1984(昭和59)年5月11日(金)~6月14日(木)、第2回大会が開催されることに決まりました。

 

参加選手は

 

日本代表 : アントニオ猪木、藤波辰巳、マサ斎藤、長州力
米国代表 : ビッグ ジョン スタッド、ディック マードック、アドリアン アドニス、ケン パテラ
北米代表 : アンドレ ザ ジャイアント、(リック マーテル→)マスクド スーパースター
欧州代表 : オットー ワンツ、ビッグ ジョン クイン

 

の12名。前年の第1回に比べ参加選手の知名度もアップし、充実度が増しました。

20080510212249

総当たりの決勝リーグ戦を行い、総得点上位1名が6月14日、蔵前国技館において前年優勝者ハルク ホーガンとの優勝戦を行うこととなりました(ディフェンディングチャンピオンのホーガンは、序盤戦と後半戦の特別参加扱い)。

 

当初参加が予定されていたリック マーテルは5月13日、ジャンボ鶴田を破りAWA世界新王者となり不参加に。代打として、マスクド スーパースターが参戦しました。

 


リーグ戦の隠れた好カード

 

それでは、リーグ戦で行われたレアカードの数々をご紹介します。

 

5月11日 福岡スポーツセンター(TV)
特別試合 アントニオ猪木vsハルク ホーガン

2年連続で福岡で開幕。序盤戦と終盤のみ特別参加のホーガンと猪木の遺恨マッチがいきなり実現。
私は前年に引き続き生観戦したのに、まったく覚えていません・・・(笑)
結果は9分43秒、フェンスアウトで猪木の反則負けのようです。

 

5月15日 熊本市体育館
特別試合 長州力vsハルク ホーガン

革命後、初?となる長州とホーガンの一騎打ち。
結果は5分37秒、リングアウトでホーガンの勝ち。

 

5月17日 長崎国際体育館

公式戦 アンドレ ザ ジャイアントvsマサ斎藤

マサさんとアンドレのシングルは日本マットではレアですね。
結果は2分26秒、セコンド乱入によりマサさんの反則負けです。

 

5月18日 広島県立体育館
公式戦 アントニオ猪木vs長州力

リーグ戦でこのカードが実現するのもIWGPならではです。
結果は16分48秒、逆さ押さえ込みで猪木勝利。

 

5月24日 大阪府立体育会館(TV)
公式戦 ディック マードックvsアドリアン アドニス

この対決も好カードです。マードック、アドニス共にスーパースターとは両リン引き分けでしたが、
この日は10分54秒、アドニスのオクラホマスタンピートを切り返したマードックの勝利。

 

5月27日 東京 後楽園ホール
公式戦 アントニオ猪木vsマサ斎藤

後にINOKI祭り、巌流島などで死闘を演じた両者のシングルもしれっと実現。
11分28秒、猪木が珍しい前方回転エビ固めで勝利。

 

5月31日 高知県民体育館
公式戦 マサ斎藤vsディック マードック

この味のある試合巧者同志のシングル、TVで観たかったですね。結果は14分03秒、両者リングアウトで引き分けでした。

 

6月1日 高松市市民文化センター(TV)
公式戦 アンドレザジャイアントvs長州力

こちらも革命後、初?となる両者の対決。これはTVで観ることができました。
結果は5分57秒、ヒップドロップでアンドレの勝利。しかし、長州はボディスラムでアンドレの巨体を投げ切り、意地を見せました。

 

6月4日 岡山武道館
公式戦 藤波辰巳vsマサ斎藤

この対決がノーTVとは・・・結果は13分17秒、両者リングアウトで引き分けです。

 

6月5日 埼玉 大宮スケートセンター
公式戦 長州力vsディック マードック

この貴重なシングルマッチもノーTVです。19分13秒、長州がオーバーフェンスで反則負け。

 

6月6日 神奈川 横浜文化体育館
公式戦 マサ斎藤vsケン パテラ

後にマサさんが米国で刑務所に収監されるきっかけをつくるパテラとの因縁の対決(笑)
結果は11分07秒、バックドロップでマサさんの勝利。

 

6月7日 宮城県営スポーツセンター
公式戦 アントニオ猪木vs藤波辰巳

この師弟対決もノーTV。8分58秒、リングアウトで猪木の勝利。

 

6月10日 静岡産業館
公式戦 藤波辰巳vs長州 力

名勝負数え歌真っ最中の両者の対決もノーTV。結果は14分42秒、両者リングアウトで引き分けでした。

 

6月12日 愛知・豊橋市体育館
公式戦 長州力vsマサ斎藤

維新軍の同門対決もしれっと実現。10分50秒、両者リングアウトで引き分け決着でした。

 


リーグ戦結果

 

前年の汚名返上に奮起する猪木が全勝で通過(失点は藤波戦のリングアウト勝ちの1点とアンドレ戦の反則勝ちによる1点のみ、53点とほぼ完璧な成績)。猪木は全勝同士で迎えたアンドレに反則勝ちを収め、決勝戦進出を決めました。

 

リーグ戦全戦を終えた時点での勝ち点は、猪木53点、アンドレ49点、長州34点、藤波33点、マードック30点、斎藤26点、アドニス25点、スーパースター18点、パテラ17点、クイン10点、ワンツ6点、スタッド2点(負傷により途中棄権)でした。

 


 

決勝戦、2年連続となった アントニオ猪木vsハルク ホーガン についてはコチラをご覧ください。

長州力乱入による不透明決着の末、強引に猪木が優勝、となりますがファンは納得せず。猪木は最後までベルトを腰に巻くことはありませんでした。

 

この後、新日本プロレスは「大量離脱事件」に見舞われ、70年代後半から右肩上がりで続いた黄金時代の終焉を迎えていくのでした。

 

コメント

  1. 亜璃亜矢龍 より:

    10日静岡、12日豊橋の間の11日・愛知県体育館を生観戦しました。
    取り上げて頂いてるように好カード続出でしたが、我が地元名古屋でのカードは安定のお約束『猪木vsアンドレ』『藤波vsアドニス』という過去、愛知県体育館で組まれた事のあるカードで膝から崩れ落ちたものでした。
    ただ会場はこれでもかの超満員(主催発表15500人)で最終蔵前より入ってました。
    水増し発表でしょうが3階席の通路に座って観戦する人もいて凄い熱気で、共同企画の力を見せつけられました(笑)

  2. 田宮繁人 より:

    84年のIWGP優勝戦を視聴しました。
    当時から疑問に思っていましたが、ホーガンは明らかにこの試合を優勝戦でなく、
    ベルトの防衛戦と思っていたはずです。引き分けなら王者の防衛なのになんで延長になるんだ?と明らかに不服そうでした。だいたい優勝戦ならなんでホーガンがベルトを腰に巻いて入場してくるのか?(開幕戦で返還するのが筋)
    あと、この年はメンバーは豪華でしたが前年のような予選(と言っても日本とメキシコのみでしたが)が無かったのが不服でした。
    個人的には「MSGシリーズが名前が変わっただけ」の批判はむしろ第2回~に当てはまると思ったものです。
    優勝戦は、あの勝ち方でも猪木さんはファンが納得すると思っていたのでしょうね・・・ファンの気質やニーズが変わっている事に気が付かなかったのが悲劇でした・・・。
    暴動を推奨するわけではありませんがとにかく熱い時代でした。
    * 静岡の藤波と長州の公式戦は長州のリングアウト勝ちですよ!

    • MIYA TERU より:

      コメントありがとうございます。*藤波と長州の公式戦、失礼しました!

      6.14の猪木×ホーガン戦、入場時から古舘アナの実況が素晴らしいんですよね。会場の盛り上がりも試合展開も含め、あの終わり方さえなければ文句なしの名勝負でした。

      そもそもIWGPは1回こっきりだったハズがなんとなく第2回開催になり、ベルトは認定タイトルではなく「大会優勝者の証=トロフィーと同列」だったんですよね。
      ディフェンディングチャンピオンのホーガンには「リーグ戦出場免除」という特権が与えられた、という認識だったと思います(ホーガン自身は納得していなかったでしょうけどね)。

      あの勝ち方については・・・やはりホーガンのブランドが想像以上に強力なものになっていたのと、実際ホーガン自身も前年とは比べ物にならないほどの風格と自信を身につけていて、試合前からあの猪木さんをして気圧されてる感がありビックリしました。
      あのデクの棒でショッパくて気の弱かったホーガンが・・・やはり地位は人を変えるんだなぁと当時、感じました。

      「どうしても勝たないワケにいかない猪木」さんと、「言いなりに負けるワケにいかないホーガン」の決着はどうなるんだ・・・と思っていたところであの「無法乱入」。
      ほかにやれるのがいなかった、とは言え、何の因縁も得もない長州さんは気の毒としか言いようがありません(笑)。

タイトルとURLをコピーしました