今回は、前回ご紹介した「サンダーマスク」とはまた別の理由で、いまは観ることができない封印作品。マイナー中のマイナー昭和特撮、「突撃!ヒューマン‼︎」をご紹介します。
「突撃!ヒューマン‼︎」
1972(昭和47)年10月7日〜12月30日
日本テレビ系
全13話
毎週土曜日 19:30-20:00
ちょうどジャイアント馬場が旗揚げした「全日本プロレス中継」がスタートした時期の日本テレビ番組です。
しかし裏番組が、この前年から放送中(1971年4月~1972年2月20日)の「仮面ライダー」(TBS)という超強力番組。
視聴率が低迷し、放送期間がわずか1クール13話と短く、リアルタイム視聴者が少ない上に、再放送もメディア化もされず、ある事情で今後もその可能性がない、“幻の番組“です。
私もまったくもって観た記憶がなく、東京12チャンネル?と思っていたくらいです。
しかし、持っていた当時の「テレビまんが主題歌集」LPレコードにデカデカと載っていて、主題歌だけ知ってるだけに、長年気になっていた作品でした。
企画意図と主要人物
本作は『大ヒットしていた「仮面ライダー」への対抗番組として、日本テレビが企画した』とされます。
wikiによれば「元になったのは西崎義展氏と初めて出会った時に藤川桂介氏が考えた実現不可能になっていた特撮番組企画で、成田亨氏が「作ったキャラクターをそのままにしておきたくない」と色々動き、映像化される事になった」とあります。
西崎義展(よしのぶ)氏とは「宇宙戦艦ヤマト」のプロデューサー。→詳しくはこちら
藤川桂介氏とは1960年代中盤から1970年代中盤までは実写のアクション番組や特撮番組(「ウルトラマン」「ウルトラセブン」「サンダーマスク 」←!)の脚本家として、1970年代から1980年代はTVアニメーション(「マジンガーZ」「六神合体ゴッドマーズ」「宇宙戦艦ヤマト」)の脚本家として活躍したお方。漫画原作では「さすらいの太陽」などがあります。
成田亨さんはもはや説明不要、ウルトラマンを手がけた超高名な美術家、デザイナー。「サンダーマスクを降板してヒューマンに移った」という話と合致します。→「サンダーマスクについて」はこちら
成田さんは本作の制作にあたり制作会社「モ・ブル」を自ら立ち上げる熱の入れようで、ステンレスを駆使したマスク造形は「自身のキャリアにおける集大成的作品」と語っています。
「企画」にある白井荘也氏は日本テレビのプロデューサーで、1960年代〜1970年代に「ドリフターズ大作戦」「カックラキン大放送!!」など、数々の高視聴率音楽番組を手がけ、本作終了後は事業局にてミュージカル 「アニー」さらにはマイケル ジャクソン「BAD World Tour」ローリングストーンズ日本公演などをプロデュースした、スゴイお方です。
これだけのメンツが揃いながら1クールで打ち切り…番組企画の難しさを感じますね。
公開録画特撮番組
本作の最大の特徴は「公開録画番組」であること。
ドリフターズの「8時だョ!全員集合」みたいな形式で、関東地区の市民会館などでヒーローショーを行い、それを編集して放送するという、チャレンジング過ぎる試みでした。もはや特撮番組とは言えません(笑)
舞台生本番ですので当然、火や水、光線技も使えず、いまでいうイリュージョン、舞台手品の手法を用いていたのだとか。そのほか、スモーク、装置や照明など、この当時の最新の舞台技術を駆使していたそうですが…
斬新過ぎてサッパリ人気が出ず、あっさり1クールで打ち切り、撤退となりました。
主人公
夏夕介さんは本作が主演デビュー作。
夏夕介さんは本作後、1974(昭和49)年には梶原一騎原作人気コミックのドラマ化「純愛山河・愛と誠」(東京12チャンネル)では主役としてデビュー作となった池上季実子さんの相手役を務め、一躍人気者に。
その後、1976(昭和51)年、「宇宙鉄人キョーダイン」(毎日放送)で兄のスカイゼル役で主演し、仮面ライダー2号の一文字隼人を演じた佐々木剛さん(弟のグランゼル役)と共演します。
その後、テレビ朝日の人気ドラマ「特捜最前線」では仮面ライダー1号、本郷猛役の藤岡弘さんとも共演。この際に夏さんが「裏番組でしたが負けました」と挨拶した、という有名なエピソードが残されています。
夏さんは2010年、胃がんのため59歳の若さで亡くなっています。
そしてヒロインは、なんと「キャンディーズ」でレコードデビュー直前のスーちゃんこと、田中好子さんが演じています。
主題歌
「突撃!ヒューマン‼︎」
作詞:高瀬タカシ/作・編曲:森岡賢一郎
唄:コロムビアゆりかご会、トマトケチャップ セリフ:夏夕介
▲コレです主題歌。ヒューヒューヒュー。
「ヒューマン」の悲劇
本放送の終了直後、一度だけ再放送されたそうですが、その後は再放送、CS放送されることもなく、ソフト化もされていません。
そしてその理由は「当時高額であった収録VTRテープを上書きし、マスターが存在していない」という、なんとも悲惨なものなのです。
お宝映像発掘
もはや見ることはできない、と思われていた本作品の地方でのヒーローショーを収めた映像が2009年に発見され、話題になりました。
宮城県内のスーパー屋上、郊外のレジャー施設などで行われたショーの様子をたまたまその場にいたアマチュアカメラマンが撮影した8ミリフィルムで、この映像を収めたDVDが「懐かしのせんだい・みやぎ映像集 昭和の情景」として発売されています。
このDVDには、かつて宮城県川崎町にあったリゾート施設「バリハイセンター」と、仙台駅前にあったデパート「エンドーチェーン」で行われた二つの映像が収録されているそうです。
再び成田亨さん
成田さんは晩年、幼少期に過ごした尼崎市の武庫川土手に、自身がデザインを手がけた「ウルトラマン」「ウルトラセブン」と並んでこの「突撃! ヒューマン!!」の三位一体像を建立するために、地域の活動グループと共に奔走されたそうですが、ついぞ願いは叶わなかったのだとか。
成田亨さんの本作への思い入れがわかるエピソードですが、実現していたら「ヒューマン」だけ「誰だこれ」になってたでしょうね…。
それにしても、日本テレビというメジャー局のゴールデンタイム番組にも関わらずマスターテープが上書きされて残っていないとは・・・なかったことにされると余計に観たくなる・・・マニア垂涎の、幻の特撮作品です。
コメント
5chでミラーマンのアニメ化のスレがあり、次はサンダーマスクか?と話題になり、お蔵入りの経緯を調べてたどり着きました。
サンダーマスクはウキウキで人間の脳みそチュルチュルする怪人がトラウマでした。
ヒューマンの放送もリアルで見た覚えがありますが、恐らく仮面ライダーをメインにしてチャンネルを行ったり来たりしたのでしょう。
ヒューマンサインのマネもクラスで流行ってたので、一応の知名度はあったように思いますが、私にはこれじゃない感が強くて熱心に見なかったように思います。
MIYA TERUさんへ
当時の評判ですか!?
う~ん、あまり記憶が無いところからして…
私以外誰も観てなかったように思います。
やっぱ、みんな仮面ライダーを観てたんだろうなぁ…
レスありがとうございます。
誰も観てなかった・・・(笑)やはり悲劇のヒーローなんですね。
スマホで「サンダーマスク」を検索してたらここへたどり着いた、1965年(昭和40年)生まれの変身ブーム&第一次ロボットアニメブーム世代です。
実は私、第1話から最終回までリアタイ視聴者でした!(それ故、裏番組の「仮面ライダー」で当時放送中だったゲルショッカー編の初期の記憶が薄い訳なんですが…)
一時期、この当時の仮面ライダーを観てなかった事を悔やんだりもしました(笑)が、このブログにも記述の通りの事情により再放送や映像ソフト化が100%不可能な現状を思えば、「観れる時に観といて良かった」というのが今の心境です。
話は変わりますが、ちょっと聞いて下さい!
実は、このブログの前にWikipediaの「突撃!ヒューマン」を見ていたのですが、その中の「放送局」の項目に、私が視聴していた読売テレビ(日本テレビ系)の記載が無い!
これは書き込んでおかねば…と思いましたが、Wikipediaって今でもケータイ(スマホ)からの書き込み不可なのか、書き込めません。
しかも私のネット環境はスマホ1台のみ!
ネットカフェに行くしか無いんですかね…
コメントありがとうございます!なんと、リアルタイム視聴者なのですね!羨ましい!(笑)当時、学校での人気はどんな感じでしたか?(笑)
仮面ライダーの制作局、MBS毎日放送は1975年3月(アマゾンまで)は、NET(現・テレビ朝日)の系列に属していましたので、
突撃ヒューマン本放送の時は、仮面ライダーは、関東地方はTBSではなくNET(テレ朝)での放送です。
ご指摘ありがとうございます!訂正しました
拝啓 サイトヘッド様には相変わらずの猛暑の中よろしくお願いをいたします。
*「主題歌がパクリ? 否!! 鬼の首でも獲ったかの様な明確な素人間違いについて」
まず世間やウィキ等でまことしやかに流れる「主題歌=そよ風に乗って(作曲=ギュイマジェンタ 歌=Mノエル)である等は嘘真っ赤でありド素人判断もよい処です。確かに似ている?とすれば「ヒューヒューと叫ぶイントロの部分のみ」であり後はまるで違う。これを言うなら「アニメ山ねずみロッキーチャック=夢見るシャンソン人形」の例が在り、これらの例の方がずっと可能性は高い。しかし素人は気づかないでしょうが実は「梓みちよ=二人でお酒を 平尾昌晃」等もそれ以上に可能性が在りますが、、更に同時期「TVドラマ=はじめまして 歌=江利チエミ 作曲=平尾昌晃」もほぼ同じパターンです。更に言えば「野球で知られる早稲田コンバットマーチ」てのがありますが、これもかなり誤解偏見されていますが「本家アメリカの
TVドラマ コンバット!(戦争 闘争の意味) のテーマ曲のイントロのみを更に変化させて付け加えた別の曲」ですね。どうも世間は「本家TVドラマテーマの名曲コンバット! と混同」している処があり、また早稲田コンバットの作曲者も本人は知らないと言ってはいても、知らぬはずは無くなんとなく使ってしてしまったのでしょう。本家アメリカは「コンバット!とエクスクラメーションマーク」が入り「早稲田コンバットにはノーマーク」です。曲自体も全く違い芸術的音楽的価値や評価も天と地と程違う駄曲ですからどうでもいいですが。
この「突撃ヒューマン」は全然違う。これを似ている?パクリ?としたら世の中大半パクリでしょう。もしも、、もしも無理やり似ているとしたら、、、もしかして「水前寺清子=1足す1の音頭 作編曲=鈴木邦彦さん」かもしれません。この音頭のメロをリズムを音頭からロックマーチに変換すると、、、、如何でしょうか? いずれにしろド素人が鬼の首摂ったごときは通用しません。この「突撃ヒューマンのテーマ曲」は大変良く出来ている名曲で、さすがに森岡賢一郎さんは素晴らしいなぁと。メロの起承転結と編曲アレンジの素晴らしさ どつぼにはまった楽器編成とハーモニーの見事さは他の作曲家の如何なる特徴とも異なり素晴らしいと感じます。更に演奏も録音も大変に良くこれほど欠点の無い曲も珍しいと。楽しくて楽しくて仕方ない名曲ですよ。残念ながら素材自体が既に無く、番組自体は観られない様ですが、原因主因としては制作年代が1972年昭和47年、、、当時まだTV番組自体が大半フィルム撮影であり主流にもかかわらず、何とビデオテープだったと。もちろん当時は2インチVTRであり、ソニーが1インチVTRを開発するのはその後1976年でした。此処で協力会社としてユニオン映画が関わっていたとしたら、どうしてフィルム撮影では無かったのか? 大変疑問です。何故なら此処は大映テレビと並んで相当にしつこくしつこくフィルム撮影にこだわっていた会社であるのに大変疑問です。おそらくはこのために立ち上げた「モ ブル」と言う会社がどの程度の規模で自社であの高額な2インチVTRまで揃えられたのか大変疑問であり、その後高価なテープをそのまま残し保存する等は到底出来なかったと推測されます。何せテープ1巻あたりでかくて重くて価格も馬鹿高く保存も困難、、、、持て余しているうちに消して再利用されたのでしょう。おそらくは当時のテレビ屋等は「一回放送したら終わり」程度の感覚しか無く、頭も働かなかったのでしょう。唯救いはサイトヘッド様の様な奇特な方がこうして場を設けていただける事、、、素晴らしいと思い感謝しつつ書かせて頂きました。 敬具
コメントありがとうございます。ヒューマン主題歌にパクリ疑惑があるのは知りませんでして、ウワサの原曲を聴いてみましたがなるほど、という感じでした(笑)。それはさておき「ヒューマン主題歌」はなかなかクセになる楽曲ですよね。
その「公開録画放送」を一度だけ見たことがあります。
かろうじてこども向け雑誌が「ヒューマン」を取り上げていたので知っていました。
「会場の皆でヒューマンを呼ぼう!」という台詞の後、子供たちが円盤をクルクル回しながら(回していたかどうかうろ覚え)「ヒューマン」を連呼すると変身したヒューマンがステージに現れるのです。
どうしてステージでやっているの分からなかったのですが、このページのおかげで解けました。
たった一度しか見ていないのにそのインパクトが強くてきょうまで覚えています。(笑)
特撮ヒーローを公開録画でするとは日テレは無茶しましたね。
コメントありがとうございます!なんと「公開録画」を生体験されたとは、驚きです!(笑)貴重な体験ですね・・・私は地方(福岡)育ちなので、ウラヤマしいです。
自分も本編を見たことはありませんが
特撮ファンの間で語られるライブ感を高めるための画期的なシステム
「ヒューマンサイン」というものです
会場の子供達に指が入るくらいの穴が開いた円形のうちわなような物、ヒューマンサイン
ヒューマンを応援するため司会のお姉さんが「みんなでヒューマンサインを回そう」というかけ声と共に
子供達が指にヒューマンサインを引っかけて遠心力を利用して回すと言う物でした
一部の怪獣が「行け!グリーンマン」に流用されてるのもファンの間では有名ですね
コメントありがとうございます。ヒューマンサイン、観客の子供たちとの一体感を演出する役割だったのでしょうね。いまなら差し詰めサイリウムとかの電飾とか、スマホアプリとかになりそうですね。