昭和特撮「円谷プロダクション」〜ウルトラマンの光と影

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特撮
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「ウルトラマン」というキラーコンテンツを保有しながら、なぜ幾度も倒産の危機に見舞われ、そして創業者一族は追放されたのか。

 

その内情が、円谷プロ創業者 円谷英二氏の孫で、6代目社長をつとめた円谷英明氏によって明かされる悔恨の書『ウルトラマンが泣いている』が2013年に発売され、話題になりました。

 

タイのプロダクションとの著作権をめぐる訴訟問題(後述)もありましたが、度重なるお家騒動が大きな原因でした。同族経営は下手するとこうなる、という典型的な失敗例とも言えます。

 

我々円谷一族の末裔は、祖父が作った円谷プロの経営を全うすることができませんでした。現存する円谷プロとは、役員はおろか、資本(株式)も含め、いっさいの関わりを断たれています。これから約半世紀にわたる円谷プロの歩み、真実の歴史を明かそうと思います。その中には、今もウルトラマンを愛してくださる皆さんにとって、あまり知りたくないエピソードも含まれているかもしれません。」

 


 

「番組制作は赤字でも、ウルトラマンがなんとかしてくれる」

 

残念ながら、円谷プロにはビジョナリーもマネジメントも存在しませんでした。 東宝と手が切れて創業家が株式を買い戻してから、TBSとも関係悪化して怪しい経営が続き、社長や資本がコロコロ変わり、大混乱しました。銀行筋からは「円谷プロを経営しているのは円谷一族じゃなくてウルトラマン」と揶揄される始末…。

 

同書を読む限り、創業者一族が追い出されるのも当然というか、新経営陣からすると賢明な措置としか思えません…。

 

適切に管理しないとならないキャラクタービジネスの難しさと同時に、管理母体がボロボロでも、今なお愛され続けるウルトラマンというヒーローの持つ力を感じます。

 


 

ここで円谷プロの設立から現在までの資本の流れをざっとまとめてみます。

 

◆東宝傘下の時代

 

創設者は「特撮の神様」円谷英二氏

創業当初は東宝が筆頭株主で、砧撮影所を使い東宝受注のテレビ映画を孫受け発注していました。

 

日本初の特撮テレビシリーズ「ウルトラQ」、続く「ウルトラマン」「ウルトラセブン」も空前の大ヒットとなりますが、特撮番組制作はとにかくコストがかかり台所は常に火の車状態。

 

続く「怪奇大作戦」終了時にはテレビ局からの仕事が途絶え経営に行き詰まり、1968年に筆頭株主の東宝が60%の株を取得して子会社化しました。

 

社長は円谷英二氏、東宝からは7人の役員が派遣され、専務は円谷皐氏、取締役は円谷一氏などが就任。

 

リストラによる経営再建策で伝説の脚本家である金城哲夫氏らの所属する企画文芸部を廃止して、約150人いた社員を40人にまで圧縮。

 

借金返済についても、猶予期間が設けられなんとか制作を継続、その後も東宝の庇護の下なんとか経営を続けます。

 

ウルトラマン テレビシリーズの制作費は1話で約2,000万~3,000万円、それに対し、局から受け取る制作費は1話数百万円。足が出た分は、円谷プロの持ち出しのため、年間で億単位の赤字となります。新作を作れば作るほど赤字を垂れ流す体質に陥っていました。

 

3代目社長の円谷皐氏はこの状況を打破すべく、1992年にTBSへ期限付きで譲渡していたウルトラシリーズの販売権や窓口権が戻ってくると、これらの権利を担保に得た資金で円谷の事実上の個人会社であった円谷エンタープライズが東宝の保有する円谷プロ株を買い取り、東宝との資本関係を解消します。

 

◆円谷家経営の時代

 

1995年に円谷皐氏が死去。息子の円谷一夫氏がオーナー社長の地位を引き継ぎます。

 

21世紀初頭、ウルトラマンのテレビシリーズが本格的再開。

 

制作費がかさみ、東宝時代からの後ろ盾であった三和銀行をなくし経営基盤が弱体化、さらにかねてからのTBSとの関係悪化により、累積赤字が解消できず倒産の危機に陥ります。

 

◆度重なるお家騒動

 

円谷一夫氏への不満を募らせた役員の間から制作部プロデューサーだった円谷昌弘氏への社長交代の要望が出され、2003年に経営体制を一新。

 

円谷一夫氏は代表権を持つ会長に、円谷昌弘氏が社長に就任し、円谷プロを退社していた円谷粲氏と円谷英明氏が復帰して一族で経営にあたることになります。

 

一方、専務の高野宏一氏ら古くからの役員はこの過程でバンダイの乗っ取りに加担するクーデターを計画したとして、辞表を出すように要求され、円谷プロを去りました。

 

しかし2004年、円谷昌弘氏は女性社員へのセクハラ問題により、社長を弟の円谷英明氏と交代。

 

経理の正常化を目指した円谷英明氏もまた1年後に役員会で解任動議が出され、過半数の株を持つ会長の円谷一夫氏の同意により、社長職を解任されます。

 

そして、東宝不動産の取締役だった大山茂樹氏を社長に招聘したものの、2007年6月の取締役会で大幅なリストラを主張した大山氏を円谷一夫氏が解任し、円谷一夫氏が再び社長を兼任するなど、短期間で社長が交代する異常事態になります。

 

◆TYOの連結子会社化

 

2007年、この事態に愛想を尽か時代金融機関は、数十億円にも上る融資の全額返済を予告もなしに求めました。

 

30億円の累積赤字を抱え資金繰りに行き詰まった円谷プロは、CM映像コンテンツ製作などを手がけるTYOから数千万円の融資を受けます。

 

しかし、その返済も滞り担保となっていた株式の過半数を握られ、円谷プロはTYO傘下に入ることになりました。

 

円谷プロを傘下においたTYOはM&Aも手掛ける映像コンテンツ制作会社ですが、買収に当たり突きつけた条件は、円谷一夫氏をはじめとする取締役全員の退任。円谷一族の影響力を完全に排除し、再生に向けて、大規模なリストラに着手します。

 

80人以上いた社員を約半分にまで削減、分散していたスタジオや倉庫、オフィスなどを集約して年4,000万円超のコスト削減を断行します。

 

その結果、買収当時、赤字だった円谷プロはわずか1年で黒字に転換することに成功しました。ちなみに、円谷プロ買収に当たってTYOが投じた金額は、たったの8,000万円と言われています。

 

その後、TYOによる組織改革と平行してバンダイナムコグループ(BNG)が資本参加。

 

2008年、TYOは持ち株のうち33.4%を、BNGの子会社であるバンダイに譲渡売却します。

 

2009年7月には更なる株式譲渡が行われ、円谷一夫氏は取締役会長から名誉会長へ、その名誉職も2009年に退任となり、これで円谷家は円谷プロの経営から一切排除されることとなりました。

 

◆フィールズの連結子会社化

 

2010年4月2日、TYOは保有する51%の株式すべてを、パチンコ開発販売会社のフィールズに売却、円谷プロはフィールズの子会社となります。

 

わずか2年足らずでの売却の理由は、TYOの業績悪化と言われています。コアであるCM映像制作やウェブ事業などの広告関連事業に経営資源を集中させるためでした。

 

一方、円谷プロを傘下におさめたフィールズの狙いは言わずもがなで「ウルトラマンシリーズ」の版権です。人気コンテンツの版権価格が高騰している最中、円谷プロを傘下におくことで版権元に縛られない供給を行うことが、M&Aの目的です。

 

同時に、円谷プロの49%の株式を保有するバンダイとも連携して、キャラクター商品や映画など関連するビジネスの拡大を目指しています。ここ数年はテレビシリーズもコンスタントに制作され、劇場版新作も毎年公開されるようになっています。

 


 

東映ヒーローとのマーチャンダイズ戦略の違い

 

ウルトラマンとよく比較されるのが東映の「仮面ライダー」と「スーパー戦隊シリーズ」です。

 

こちらも同じく制作にはコストがかかりますが、玩具メーカーや出版社、テレビ局とのマーチャンダイジングで巨額の売上を叩き出し、長く続いています。

 

コンテンツのライセンスだけならウルトラマンはライダーや戦隊に決して引けを取らないのですが、私がとある関係者の方に聞いたところによると「ウルトラマンは武器を使わないし、変身グッズもシンプル過ぎて人形しか売れない」のが差だそうです。それで近年のウルトラマンは何度も変形したり、変身グッズもカードやカプセルなど付属品をたくさん売ってるのか、と納得です。

 

先にも述べた通り、ウルトラマンは制作費は赤字で、その後のコンテンツライツで回収するビジネスモデル(?)なのですが、子どもはテレビ番組が終わると玩具は買いませんよね。その点、東映は劇場版に前作のヒーローを登場させたり、うまいことやってます。近年のウルトラマンもそれに倣ってやってますが、そういう視点が同族経営時代には欠けていたというよりなかったんですね。

 


 

杜撰なコンテンツマネジメント

 

そしてなんといっても、根幹のコンテンツのマネジメントがデタラメでした。

 

その代表的な一例が、1976年から20年近く続くタイのチャイヨープロダクションとのウルトラマン著作権訴訟問題です。

 

詳しくは割愛します(コチラ参照)が、自社の命とも言える著作権を借金返済のために売り飛ばす、その後の対応も杜撰極まるというミステイクでは済まされない行いで、今もってウルトラマンの海外展開は微妙です。

 

つい最近も中国でまがい物のウルトラマンが話題になりましたが、背景にはこのチャイヨープロとの問題が関係していました。この一件を知る人からすると、まさに悪夢のような笑えないニュースでした。

 


 

同族経営の悪い見本

 

それ以外にも、TBSと関係が悪化した原因についてはこうあります。

 

「ウルトラマン80」以降、十数年に渡って国内で新作ウルトラマンを制作できなかったのは、皐社長が「我々の作ったウルトラマンをどうしてくれる!」とTBSの編成局長とケンカして「オマエの作ったウルトラマンじゃないだろ!」と言い返された挙句、TBS役員室に出入り禁止となってしまったから

 

また、放漫経営エピソードも満載で、

 

皐社長時代、経理部の片隅に海外でのウルトラマン放送権収入やグッズ収入の入金記録や領収書を入れるためのダンボール箱があり、社長と担当重役以外はノータッチ。それらはハワイやラスベガスでの経営陣の遊興費に使われた

 

とかとか…同族経営の中小企業の悪い見本というか、ここまでヒドイのはなかなかお目にかかれません。

 


 

「ウルトラマンが泣いている」

 

同書のタイトルは「ウルトラマンが泣いている」ですが、一番泣いているのは特撮の神様、創業社長の円谷英二氏と、氏の生み出したウルトラマンを愛するファンではないですかね。

 

実は私は大学卒業の新卒採用活動時に、円谷プロを受けてみようかなぁ、と書類を取り寄せたことがありました。結局、受験しませんでしたが。そしてその後の企業買収先のTYOとも転職活動時にニアミスしていたり、不思議な縁を感じるのです。もし、いずれかに入社していたら、いまごろはどうなっていたんでしょうね。(笑)

 


 

経営母体が変わってからの円谷プロダクションは、プロモーション一つとってもなかなか面白い試みをやっています。

 

■2005年 バルタン星人が円谷公式サイトを占拠し「バルタンステーション」に改造。 テキストが全てバルタン語に書き換えられる。

 

■2006年「エムナナハチ」というウルトラシリーズのキャラクターが集うSNS設置。 どうみてもmixiだと話題に。

 

■2008年「カネゴンの78ちゃんねるまとめブログ」設置。管理人のカネゴンが、光の国の大型掲示板「78ちゃんねる」の良スレを紹介する。

 

<主なスレ>
・ウルトラマンだけど何か質問ある?
・ヒマだからちょっと地球制服してくる
・ウ→ル→ト→ラ→マ→ンでウルトラの母の秘蔵画像うp
・地球に行くとありがちなこと

 

■2009年 カネゴン、マグマ星人、ゾフィー、ダークザギ、ゴモラがブログ開設。

<ブログ一覧>
・帰ってきたカネゴンの78ちゃんねるまとめブログ
・マグマ星人の超おもしろブログ
・光の国ではたらく隊長ゾフィーのブログ
・ごもたん☆ぶろぐ

 

■2010年 円谷ッター(ツブッター tsubutter)

 

などなど・・・。この熱の入れようには特撮ファンから「そんなヒマあったら新作作れ」と愛ある罵声が浴びせられました。

 

最近では映画「シンゴジラ」の地上波初放送に合わせてウルトラマンたちがツィッターで暴走したり、ネタには事欠きません。

http://temita.jp/twitter/54524


 

ウルトラマンシリーズも、ここ数年はテレビ東京で数カ月おきに新作が制作され、劇場版も新作が続いています。

 

たとえ経営母体が変わっても、マーチャンダイジングに振り回されても、根幹である作品のクオリティだけは保って欲しいものです。

 

 

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コメント

  1. 大石良雄 おおいしよしたか 本名 より:

    拝啓 サイトヘッド=SH様、ご訪問の皆様にはよろしくお願いいたします。
    *「KnckOut」様
    には厳しいご意見ご指摘に心より感謝し、今後もよろしくお願いいたします」
     全く図星ドツボついたご指摘には驚きました。自分もそろそろ後期高齢者の仲間入りを果たす「確かに見た目は40代にしか見えない? 不気味な爺」であり、ご指摘世代の人間です。おっしゃられる通り我々の世代は「俗称怪獣映画=ゴジラ&ガメラなど全てを、映画館鑑賞してきた世代」です。当時小学生の自分等、今日の様に大量の映像音声などを自己所有して自由に観聴き出来る時代など夢にさえ見なかった、、、、つど「これが最後か、記憶にしか残せない」と真剣でした。おそらくは「製作元やTV局などへのリクエストや注文」等もこの世代からであり、とにかく皆「貧乏で夏暑く冬は寒かったが、とにかく人間の行動そのものが熱かった時代」でした。
    30数年前に「Pプロ鷺巣社長とのインタヴュー」で「今は技術もノウハウも秘密が無く何でも世に出てしまう」と。つまり1980年代あたりから「急激に映像保存ハード=俗称VTR(アンペックスの商標)が普及し、俗説では「例の洗濯屋のケンちゃん」が見たいためにビデオが売れた?なんてぇ噂も在ったが、フィルムからビデオテープに移行の頃から、どうも一気に「俗称オタク=マニアたちが跋扈」してきた様です。実はこの当時「ある特定の特撮TV作品が、多数パイレーツ=海賊版としてひそかに出回っていた」事実がありました。更にこれらの映像をよくよく調べますと、必ず「簡易テレシネ版」でした。つまり原版がフィルムでした。しかも当時から出回っている会社は決まっていて当然「円谷作品」も多かった。これに危機感を持った自分は「東映、Pプロなどに警告しPプロは直ちにフィルムレンタルを中止」したが、どういう理由か円谷は警告注意喚起に決して耳を貸さなかった、、、無視した。その理由すら円谷の者たちは解らなかった、、、、誰が「高価なフィルムレンタル料金払ってタダでそのままフィルム返却しますか?」 当時世間には「銭金さえ出せば、例えどんなに非合法であれフィルムの簡易テレシネを行う業者が多数居た」のです。その証拠に「パイレーツ映像見れば、必ず54321のカウントや光軸合わせの前座が映りこんでいた」のが証拠です。ではその原版フィルムの出所は何処なのか? 結局は製造版権元であり、自分で自分の首を絞めていたのです。更に大学生たちのフィルム上映会に便乗して当時出始めのビデオカメラで「スクリーン撮り」した映像も多々流れていました。最大の欠点は「フィルム24コマ、ビデオ30フレームの相違で発生するフリッカーやジッターが避けられず」簡易テレシネ業者でもシンクロモーターやシャッター羽の交換等でほぼフリッカージッターを無くした映像も在ったが、やはり高度な「ランクシンテル」等には到底及ばなかった。実は問題作「W7の12話」も、リサーチを深めればどうしても「関係者から流出した映像?」としか考えられないのです。此処でKnockOut!様」の言われる「視野の狭さ」なのですが、正直おっしゃる通りでしょう。自分大石は「ゴジラよりガメラ、円谷のQ/マンよりも東映Pプロ宣広社タツノコ」であり、原理主義と言われる高度な思考では無く「レトロスペクティブ?懐古趣味?が基本に在った」様でして、過去個人的に残せなかった映像音声を再び観たい視たい見たい聴きたい只それだけで夢中でやってきました。決して「スケベ根性出してお金が欲しいとか名誉が欲しいとかそんなスケベ根性は一切出さなかった」と断言できると。更に言えば、、、、この世代の連中は「自分大石の様な貧乏人は極めて少なくて、皆ある程度以上銭金持っていたしパワーも行動力も物凄かった」のですね。おそらくは
    「全く死語になってしまった、オーディオマニア&ビデオマニアの最後の世代」と言えます。
    確かに言われる通り「こうるさくて、しち面倒臭ぇ連中ばかり」でしたが、皆真剣であり「ほんの少しでも好きで惚れた会社のお役に立とう立ちたいの一念」で頑張っていた連中も多かった。それが良かったのか悪かったのか、、、それはやはり後世の人間が判断して頂くしか無いと思うのです。今回このサイト様で「KnockOut!様」の様な鋭い方と出会い議論も深められ大変勉強させて頂き心より感謝いたします。またぜひご参加いただき勉強させて下さい。敬具

  2. KnockOut! より:

    「突撃!ヒューマン」のリンクから来ました。

    マーチャンダイジングに触れた箇所を読んでて思い出したのが、円谷プロ買収のニュースでTYO社長の「マニアの言う事ばっかり聞いているからこんなことになったんだ」という内容のコメントがあった事です。(と言っても、マニアの存在が経営破綻の直接的な原因という意味ではありません)
    買収前の円谷プロのマーチャンダイジングのまずさは特撮マニアの影響が大きかった…という意味合いだったと思います。

    ここで言う特撮マニアは、昭和30年(1955年)前後生まれの、いわば“オタク第1世代”に属する世代の人達を指します。
    この世代の特撮マニアは、第1期ウルトラシリーズや円谷英二存命中の東宝特撮映画で育ち、第2期ウルトラシリーズや等身大ヒーロー物(いわゆる“変身物”)を大変バカにしていたのが特徴(アニメもバカにしてました)で、この世代が高校~大学生だった昭和40年代後半から同人活動を始め、円谷プロにも頻繁に意見を寄せてたようです。(大石良雄さんのコメントにあった「レコードの解説を書いた社員」もその1人と思われます)

    円谷プロは昭和末期に「円谷プロファンクラブ」を開設し、ファンからの意見を広く求めるようになりましたが、そこでも特撮マニアからの意見や要望は殺到したことでしょう。
    その影響は、円谷プロがウルトラシリーズの公式設定を定める際に「ウルトラマンの神秘性を損なう」という理由でウルトラ兄弟が公式設定に入らなかったことや、平成ウルトラ(メビウスを除く)に客演する昭和怪獣が全て第1期の怪獣だったりすることに見てとれます。

    こうしたマニア特有の“(第1期ウルトラ原理主義とでも表現すべき)視野の狭さ”が、円谷プロのマーチャンダイジング方針にも影響を与えたんではないか…というのが、私の考察であります。
    (もちろん、円谷プロ自体の“商売下手”がそもそもの原因なんでしょう。大石良雄さんのコメントにあるように、創業者以下技術屋や職人が幅を利かせる社風ではなかなか厳しいものがありますよね)

    • MIYA TERU より:

      コメントありがとうございます!私は買収後の経営側から話を聞いたことがあるのですが、「仮面ライダー、戦隊に比べウルトラマンは玩具がソフビくらいしか売れない」と指摘されていました。そして実際、その後のウルトラマンは変身アイテムにメダルとかカードなどコレクション要素が取り入れられていきました。マーチャンダイズの観点では正しい戦略なのでしょうが、それに伴いウルトラマン自体のデザインからもシンプルさが失われ、ゴテゴテしてしまったのは残念でした。そしてもう一つの玩具の要素である「防衛軍のメカ」も、防衛軍ごとなくなってしまいました(たまに復活しますけど)。

      「同じことの繰り返しではマンネリ化してしまう、新機軸に挑戦しないと続かない」のは理解してますが、「残すべきところ」と「変えてもいいところ」のポリシーは難しいですね。いまでは「仮面ライダー」も、「ガンダム」だって同様にとにかくゴテゴテしたもん勝ち、な感じですが、私は「シンプルなものが美しく、突き詰めるとシプルになる」と思う方なので、ゴテゴテした鎧をまとったウルトラマンやライダー、ガンダムを見ると哀しくなります。

  3. 大石良雄(本名) より:

    拝啓 初訪問よろしくお願いいたします。過去特撮作品資料リサーチでこのサイト様を知りました。以下全て自身で体験経験した事のみを正直に、出禁覚悟で書かせて頂きます。
    *「円谷プロはこうなるべくしてなった残念な会社」
     自分がもう40数年前よりコツコツと資料収集に励んでいた頃もあちこちに問合せし、書面や電話やあるいは来訪等で散々お世話になりましたが、当時一番対応が悪く何の役にも立たなかったのが円谷Pでした。しかし他社「東映、ピープロ、タツノコ、宝塚、宣広社プロ」等の対応は素晴らしく、数十年後の今日でも年賀状のやり取りすら在ります。タツノコプロなどは「初対面の自分の為にわざわざフィルム上映」までしてくれ、その恩義は終生忘れません。しかしこの円谷は、、、結論として「社長より誰より技術屋や職人が幅を利かせデケェ面していた極めて横柄慇懃無礼な会社」でした。証拠保全の逸話として「平社員からして変なプライドの塊」であり何処の社より対応が悪く何を聞いても要領を得ない」。これらの平社員はかつて「某レコード会社から発売されていた特撮シリーズで解説を書いていたが、全く要領を得ずしかも、自分の会社の悪口ばかり延々と書き綴り、自ら馬鹿を宣伝する」と言う自虐を超越した異常さを露呈していた。口を開けば「音楽が好きで云々」と言うが、音楽が好きなだけでは到底商売などは出来ないのです。解説書でストレス発散するとは尋常では無い。全てはどうも「円谷英二と言う男の背中の一部」だけを見て、平社員でも偉いんだと言う妄想が在ったのだろう。こういった変な異常なプライドは百害あって一利無い。
    確かに円谷英二は凄かった、、、特撮マンとしては超一流だったしかし、社長になってはいけなかったのだと。全てはこの円谷英二の首根っこを押さえつけられる者がいなかったから。
    銭金も無いのに米オックスベリーのOPの発注、予算を無視したリテイクの繰り返し、結局自らの職人バカにより会社を潰したのだと。だからこそ円谷に頼れない東映やピープロ、更に宣広社プロや宝塚等は「確かに特撮技術は円谷には一歩も二歩も劣ったが、円谷Pには絶対に無い独自の温かさ」が在ったのです。つまり円谷Pの作品は「優れてはいたが冷たい」のです解りますか? 自分は円谷作品からは一切何も学ばなかった、、、全ては「東映、ピープロ、宣広社等から学び=正義を愛するとは? 悪を憎むとは一体どういう事なのか?」を円谷以外から学び人生の指針となったのです。だからこそ円谷のその後の恐ろしいまでの斜陽と没落は極めて当然、、、恐ろしいですね、だから「人には親切に丁寧にしておきましょう」と。断るにしても「断り方が在り、そこに人として会社としての価値が試される」のです。「江戸の仇を長崎で、、、」てな事にはなりたくないですからねぇ。正直此処だけの話「例のチャイヨープロの一件」も、、、、チャイヨーの方が正しいのではないか?と自分は腹の底では思えてなりません。世間では「そんな事もお前の個人的遺恨だろう?」と。しかし、世の全ては皆個人的遺恨ではないのですか? 例えば、仕事に私情を持ち込まないと言っても「同じ様な製品を同じ価格で他社が出来るなら、其処は日ごろの態度や人間としての評価が物を言う」と。
    サイトヘッド様やご訪問の皆様のご意見をぜひお伺いしたいと存じます。 敬具

    • MIYA TERU より:

      貴重なコメントをありがとうございます。私は単なるファンで外からしか眺めてこなかった人間なのでなんともコメントしづらいのですが、これまでの経緯を見るに、ご指摘のようなことが確かに(それもかなりの数)あったのだろうと推察します。
      しかし、なぜにそうなんでしょうね。。。社風なのか何なのか。不思議で仕方がありません。。。

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