アニメソング界の「帝王」、“アニキ”の異名を持つ男、水木一郎氏(本名・早川俊夫さん)が、2022年12月6日、肺がんのためお亡くなりになりました。謹んでご冥福をお祈りいたします。
追悼の意を込めまして、水木一郎さんの代表曲の数々をご紹介します。
*本記事は2018年11月4日公開分の更新・再掲です。
持ち歌は1,200曲以上!
水木一郎さんはなんと、ザ・ドリフターズの付け人や、NHK「おかあさんといっしょ」2代目うたのおにいさんという経歴の持ち主でもあります。
アニソンデビューは1971年、アニメ「原始少年リュウ」のオープニングテーマでした。
これは堀江美都子さんの担当だった日本コロムビアのディレクターの勧めだったとか。
1970年代は水木一郎さん、子門真人さん、堀江美都子さん、ささきいさおさん、この4人で
「テレビまんが主題歌」はほぼ独占していました。
水木一郎さんの持ち歌は1,200曲!とも言われます。代表作は、
超人バロム・1
変身忍者 嵐
アストロガンガー
マジンガーZ
バビル2世
仮面ライダーX
グレートマジンガー
宇宙の騎士テッカマン
鋼鉄ジーグ
アクマイザー3
宇宙海賊キャプテンハーロック
タイガーマスク2世
などなど・・・
別名義(松本茂之)ですが、
侍ジャイアンツ
もこのお方です。
プロ野球応援歌では、以下も有名です。
燃えよドラゴンズ
”熱血”な作風が多いのが”アニキ”と呼ばれる所以でしょうね。
アニソン再評価ブームの火付け役
水木一郎さんは90年代頃からのアニソン再評価ブームの火付け役でもあり、最も積極的にバラエティにライブイベントにCMに、露出を重ねていました。
「今はアニメソングもすごい人気ですが、なかなか認知されなくてね。『どうやったらお茶の間に知ってもらえるだろう』ということで、じゃあ、バラエティーに出よう、みんなが喜ぶならマフラーしよう、ゼット飛ばそうって。(笑)『あいつアホや』と思われてもいい。アニメソングを知ってもらうきっかけになるなら、僕はもうアホなこと、どんなことをしても平気だから」(水木一郎)
国内だけでなく、フランス、中国、韓国、コスタリカ、シンガポ-ル、タイなど海外でも公演を行い、Wikipediaに90言語で掲載されていることから“世界一有名な日本人”とも呼ばれる水木一郎さん。
1998年8月30日〜31日に文化放送の企画で山梨県河口湖ステラシアターにおいて「24時間1000曲ライブ」を敢行。
終盤の生放送での変わらぬ声に「本当に24時間歌い続けたのか?」という問い合わせ電話が、番組あてに殺到したそうです。
「会場が河口湖のステラシアターだったんですけど、すり鉢式になっていて、結構声が響くんです。だからそんなに無理しなくても、マイクが拾ってくれるので、レコーディングした時と同じような感じで、ずっと歌っていけたのと、あと自然も味方してくれましたね。真夏の8月30日から31日にかけてのライブだったんですけど、夜は震えるほど寒いんですよ。標高800メートルぐらいのところですから。そして、昼はもう炎天下で、みんな真っ赤に日焼けしちゃったりね(笑)。でも、富士山もよく見えたし、夜つらい時にきれいな月が出たり、星が見えたり…。仮面ライダーのコーナーの時には、ステージの上にバッタが飛んで来たりとか。そういう風に自然も応援してくれてましたね」
「1日に何曲もレコーディングするようなハードなスケジュールでも、歌えば歌うほど声が出てきたりするんです。ちょっと疲れてきても、また復活したり、ね。1000曲ライブでも、12時間以上過ぎたころに、喉が絶好調になって、レコーディングの時よりも思うように声が出たくらいでした。声帯よりも悲鳴をあげていたのは手足でしたね。ギターを弾く指がつったり、リズムをとっていた足がつったり。こんな経験はなかなかないですよね」
鎌倉市鶴岡八幡の近くの自宅はマジンガーZの印税で家を建てたことから「マジンガー御殿」と呼ばれているのだとか。
仮面ライダーシリーズとは縁が深い一方、ウルトラマンシリーズとはなぜか縁が薄く、「ウルトラマンオーブ」や「ウルトラマンゼロ」といった2010年以降にようやくTV主題歌を担当しました。
2018年に歌手生活50周年を迎え、70歳を超えても生涯現役を貫いた“アニキ”。
心よりご冥福をお祈りいたします。
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