昭和特撮 追悼「上原正三」と「金城哲夫」〜ウルトラマンを創った男たち②

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特撮
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2020年1月2日、初期ウルトラシリーズをはじめ、数多くの特撮ヒーロー、アニメ番組の脚本を担当した上原正三さんがお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りします。

 

 

今回は同じ沖縄出身の盟友、金城哲夫さんとの関係も含め、上原さんの足跡をご紹介します。

 

>①金城哲夫さんと成田亨さんについてはこちら

 

●脚本家 上原正三さん(1937-2020)

 

上原さんは、中央大学文学部在学中から、アマチュアで自らの戦争体験を伝えるべく沖縄戦や米軍基地をテーマにした脚本を執筆していたそうです。大学卒業後、肺結核にかかり一時、沖縄へ帰郷。そこで「同じ映画好き」の金城哲夫さんと出逢います。

 

その後、先に円谷プロに入社した金城さんに誘われ、1964年、沖縄戦をテーマにした「収骨」という脚本で芸術祭テレビ脚本部門の佳作入選を果たし、翌年に上京。上原さんも「ウルトラQ」に参加します。

 

脚本家デビュー作は「宇宙指令M774」(第21話) 。巨大なエイのカタチをした怪獣ボスタングが登場する、海洋エピソードです。

 


 

●上原さんの語る「金城ウルトラマン」

 

学生時代から沖縄基地問題をテーマにシナリオを書いていた上原さんは、金城さんの宇宙的な着想力に舌を巻いた、と語っています。

「金星からナメクジの怪獣が来るなんて、さすがは学生時代に“金星人と握手する会”を立ち上げて、常に宇宙を見ていた金城ならではの発想です。普通の人はプロットから考えますが、金城はまず怪獣ありきで、ストーリーを組み立てていました」

 

「ウルトラマン」全39話のうち、共同脚本を含めて14本を金城さんが担当。上原さんは2本で、うち1本は金城さんとの共同脚本です。

 

そんな上原さんの語る「金城さんにとってのウルトラマン」は、同郷で同業なだけあって、他の人とは説得力が違います。

 

「僕たちが育った琉球では古くからシャーマニズムの伝統がある。そして、闇に潜むものたち、精霊を畏れる。神々は自然界のあらゆる所にいる。金城にとって、怪獣も一種の神、という感覚だった」

 

「そして、ウルトラマンは光の国からやってくる。これは、沖縄の“ニライカナイ“ー海の向こうに光、豊穣の国がある、という発想につながる」

 

怪獣は悪、退治、ではなく、怪獣には怪獣の命と存在理由がある、というマイノリティの視点とバランス感覚。それが金城さんと上原さんに共通する思想だったのだと思います。

 

上原さんは「金城が物語の本流を決めてくれていたからこそ、自分や実相寺昭雄が安心して変化球を投げることができた」とも語っておられます。

 


 

●金城さんとの別れ

 

「ウルトラマン」に続き、1967年10月「ウルトラセブン」が放映開始。全48話中、上原さんの手による作品は12本に増えました(共同脚本作を含む)。

 

金城さんは「ウルトラセブン」と平行して「マイティジャック」制作に注力していました。「マイティジャック 」は円谷プロにとって社運を賭けた夜8時台、大人向け特撮ドラマの試みでしたが結果として失敗(詳しくはコチラ)。これがきっかけで文芸部は廃部となり、1969(昭和44)年、金城さんが円谷プロを去る原因となります。

 

上原さんはもともと「金城さんを手伝う」という気持ちが強かったため、後を追うように円谷プロを辞めました。

 

その後、金城さんから「日本返還を控える沖縄を拠点に、一緒に沖縄発コンテンツのための企画会社を立ち上げよう」と誘われますが、「東京でもう少し脚本家としての修行を積みたい」と考えていた上原さんはこの誘いを断ります。

 

上原さんは当時、沖縄人が東京で成功するには出自を隠し、本籍を移さなければならなかったこと、「“二等国民”の沖縄人は出世できない」という差別の構図に憤りを感じていました。そしてその一方で、だからこそ「ヤマトンチュ」(本土の人)をもっと知らなければという思いもあったのだそうです。

 

その後、金城さんは故郷沖縄で急逝。

 

上原さんはその後、大ヒットとなった青春ドラマ「柔道一直線」(1969 昭和44年)などに携わり、シナリオライターとしての実績を重ねていきます。

 


 

■「帰ってきたウルトラマン」メインライターに

 

上原さんは「仮面ライダー」の立ち上げにも関わっていました。まさにその矢先、古巣の円谷プロから「ウルトラマンを復活させるので戻ってほしい」と声がかかります。

 

1970(昭和45)年に円谷英二監督が亡くなり、スタッフ一丸となって復活させる「帰ってきたウルトラマン」(1971年4月~72年3月)。上原さんはメインライターを務めることになりました。

この時、上原さんは、金城さんが完成させたヒーロー像とは違うウルトラマンを創り出す決意を固めた、と言います。「同じことをやっても金城にはかなわない。金城のファンタジーに対して、リアリティーを追求しようと思った」

 

中でも“ウルトラシリーズ屈指の問題作“といまなお評価が高いのが、「怪獣使いと少年」(第33話)です。

 


 

●「怪獣使いと少年」

未知なるものへの恐怖心と差別、集団心理の恐ろしさを描いたエピソードです。

 

川崎を舞台に、北海道出身の孤児の少年と、河原のバラックに居ついた(実は宇宙人の)老人との交流、そしてその2人に対する差別と迫害。宇宙人である老人は警官に銃殺され、地下に封印していた怪獣が現れる。人間たちは身勝手にMATの隊員である郷に「早く怪獣をやっつけろ」と叫ぶが、郷はウルトラマンとして戦うことを躊躇い、叫びます。「何て身勝手なことを…。怪獣を呼び覚ましたのはあんたたちじゃないか。まるで、怪獣に金山さんの怒りが乗り移ったかのようだ。」

 

アイヌや在日朝鮮人に対する差別や環境汚染など、当時の日本が抱えていた社会問題に対する痛烈な批判。そして人間の醜い一面と凶暴性をくっきりと描いた本作は、あまりにも過激な演出と救いようのない陰惨な結末がTBS上層部の逆鱗に触れました。その結果、監督の東條昭平さんは助監督に降格、脚本を担当していた上原正三さんは、最終回まで仕事を干される羽目になってしまいました。

 

実は当初はここまで暗い話になる予定ではなかったのだとか。脚本には坂田家は少年と老人を庇うシーンや、MATチームの面々の場面も盛り込まれていたのだそう。しかし尺の兼ね合いもあり、監督の東條昭平さんはその「救いになる」シーンを全てカット。結果としてやるせない、救いのないストーリーになってしまいました。

 

上原氏は後年、なにかとこの作品ばかり取り上げられる風潮に対し、

「あの作品は僕の中の差別に対する反発がちょっと出すぎている」「自分の本音は殺して書くんですけれども、あのときはナマ(生意気)過ぎたというか」

など、複雑な心境を吐露していました。

 

今回の訃報に際しても同様にこのエピソードばかりが取り上げられていますが、こうしたご本人の複雑な想いも併せて語らないと、あまりに薄い捉え方だと思います。

 


 

●数多くの子供向け番組で活躍

 

その後、上原さんは「ウルトラマンA」、「ウルトラマンタロウ」にも引き続き参加しますが途中降板。

 

「ロボット刑事」 「イナズマン」 「がんばれ!ロボコン」 「秘密戦隊ゴレンジャー」以降の戦隊シリーズ、「ギャバン」「シャリバン」「シャイダー」の宇宙刑事メタルヒーローシリーズなど東映、「鉄人タイガーセブン」  「電人ザボーガー 」のピープロダクション 特撮作品の大ヒットに貢献しました。

 

また、「ゲッターロボ」 「UFOロボ グレンダイザー」 「大空魔竜ガイキング」 「ドロロンえん魔くん」 などの東映アニメでも活躍されました。

 

その後、「ウルトラマンティガ」「ウルトラマンマックス」などウルトラシリーズにも散発的に参加し、過去に手がけたエピソードのオマージュ作品も多く残されています。

 


 

■金城哲夫さんと上原正三さんが遺したもの

 

2016年夏、放映50年を記念してNHKが実施した「ファンによるウルトラマンシリーズのエピソード人気投票」。

1位は金城さん担当の「ウルトラセブン」最終回「史上最大の侵略(後編)」

2位が上原さんの「怪獣使いと少年」でした。

 

上原さんは「10代から50代まで、熱烈なファンがいて、何度も見ては、そのたびに違う意味を読み取ってくれる。かぐや姫、桃太郎、浦島太郎などの日本の昔話に、現代人がさまざまな意味や解釈を見いだすように、自分たちのウルトラマンが世代を超えて読み継がれる永遠のベストセラーになってくれれば」と語っておられました。

 


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