7月10日は「ウルトラマンの日」なのだそうです。
なぜか?が円谷プロのサイトに書かれていました。
1966年、「ウルトラマン」の第1話「ウルトラ作戦第一号」が放送される7月17日より一週間前の7月10日―ウルトラマン、ウルトラ怪獣、科学特捜隊、が出演し、ウルトラマンの生みの親である円谷英二もゲストで登場した「ウルトラマン前夜祭ウルトラマン誕生」という番組PRイベント(於:杉並公会堂)が公開録画中継で放送されました。そう、ウルトラマンがお茶の間のテレビに初めて登場した記念すべき日が7月10日なのです!
と、いうワケで、前回の「お父さんのための平成ウルトラマンシリーズ」に続いて、今回は「昭和のウルトラマンシリーズ」についてご紹介します!
●ウルトラマンシリーズの定義は2つある?
2013年に「最も派生テレビシリーズが作られたテレビ番組」としてギネス世界記録に認定され、2015年にその記録を更新している「ウルトラマン」。そのシリーズの定義は、下記の2つあるのだそうです。
①1966年から1969年まで、毎週日曜19:00 – 19:30(JST)に放送された、TBS制作の「空想特撮シリーズ」。
②上シリーズから発展し、以後50年以上にわたって継続している円谷プロダクション制作のシリーズ。
このBlogでは、②の定義に基づいて、
”昭和時代に「ウルトラマン〇〇」というタイトルで放送されたTV番組”を取り上げます。
●昭和第1期ウルトラシリーズ(空想特撮シリーズ)
ウルトラQ
1966年(昭和41年)1月2日 – 7月3日。全28話。
記念すべき第1作は、ウルトラマンは登場しません。「もし、自然界のバランスが狂ってしまったら?」というテーマの空想特撮(SF)番組で、万城目淳(星川航空パイロット)、戸川一平(パイロット助手)、江戸川由利子(毎日新報報道カメラマン)の3人、普通の人間が主人公でした。
モノクロ番組なので再放送されなかったにも関わらず、カネゴンやガラモンなど知名度のある怪獣が多く、後年、デジタルリマスター版や最先端技術を駆使した「総天然色版」までがリリースされるなど、文字通り伝説の特撮番組です。
円谷プロ社長、「特撮の神様」円谷英二氏は当時、世界に2台しかなかったアメリカ オックスベリー社製の高性能光学撮影機「オプチカルプリンター1200シリーズ」を購入。なんと当時の価格で4000万円!TBSはこの番組に7000万円の制作費を投入したといわれています。
ちなみに「ウルトラ」の語源は東京オリンピック(1964)の流行語「ウルトラC」からのアイデアでした。
ウルトラマン
1966年(昭和41年)7月17日 – 1967年(昭和42年)4月9日放送。全39話。
シリーズ2作目でカラー番組となり、M78星雲(光の国)の宇宙警備隊員、(初代)ウルトラマンが登場します。
本放送時の平均視聴率は36.8%、最高視聴率は42.8%というオバケ番組で、初放映から50年が経過した今でも世代を超えたヒーローとして認知度が高く、後のすべてのシリーズの原点です。
企画段階ではカラス天狗のような見た目の「正体不明の宇宙人ベムラー」→甲冑を着た赤い宇宙人「科学特捜隊レッドマン」と移行して、海外マーケットも意識して、シンプルな銀色と赤色の巨人、無表情な鉄仮面のスタイルが完成しました。
▲企画稿段階の意匠。なかなかのアグレッシブさです。
初の巨大ヒーローによる特撮TVシリーズ、ということで予算面でもスケジュール面でも逼迫して、番組の続行を望むTBS側とこれ以上の続行は不可能とする円谷特技プロとの間で協議が重ねられ、「赤字はともかく、週1回の放送に間に合わないのが確実になった」ことから3クール39話の放送で終了となりました。
最終回では無敵のウルトラマンが宇宙恐竜ゼットンに敗れて絶命する、というショッキングな展開で、「地球の平和は地球人で守らないといけないのだ」というメッセージが込められました。
▲創世記だけあり、マスクも微妙に変化しています
ウルトラセブン
1967年(昭和42年)10月1日 – 1968年(昭和43年)9月8日放送。全49話。
「ウルトラマン」終了後、「キャプテンウルトラ」を挿んで制作された3作目。SF色を強め、高年齢層を取り込むなどさまざまな面で前作との違いを意識し、「シリーズ最高傑作」とマニア人気も非常に高い作品です。
当初のタイトルは「ウルトラアイ」で、必殺技の「アイスラッガー」はその名残なのでしょうね。デザインはウルトラマンに甲冑を着せたようなややメカニカルなデザインで、赤色を貴重にしたのは玩具メーカーからの要望だったともいわれます。
主人公のモロボシダンと、No.1人気ヒロインであるアンヌ隊員の悲恋を描いた最終回は、特に人気が高いです。
●昭和第2期ウルトラシリーズ
帰ってきたウルトラマン
1971年(昭和46年)4月2日- 1972年(昭和47年)3月31日放送。全51話。
前作「ウルトラセブン」もまた、予算とスケジュールが大幅に逼迫して放送が終了し、ウルトラシリーズは金がかかり過ぎてもう作れない、という空気の中、前2作が再放送で大人気となり、ウルトラマン復活を望む機運が高まります。
当初はタイトル通り、「(初代)ウルトラマンが帰ってくる」という設定でしたが、「それだと人形が売れない」というスポンサーの強い意向で微妙にデザインが異なる別人に。そのため長く名前がなく、初代と混同しないように「新マン」と呼ばれていました。その後、いつの間にか「帰りマン」とも言われるようになり、かなり後付けで「ウルトラマンジャック」という名前が付けられました(ウルトラマンジャックは、タロウの企画時の名前です)。
「ウルトラマン」「ウルトラセブン」までは独立した作品でしたが、本作で初めて初代ウルトラマンとセブンがゲスト出演して、これまでの番組が同一世界のお話、と明らかになります。が、「ウルトラ兄弟」の設定はまだはっきりとなされていませんでした。
ウルトラマンA
1972年(昭和47年)4月7日 – 1973年(昭和48年)3月30日放送。全52話。
前作からの続編として放送された本作は、「男女2名による変身」が画期的な作品でした。しかし、ストーリーが複雑になることで中盤で女性の南夕子は「月に帰る」という設定で突然降板し、男性の北斗星司のみの変身になっています。
当初タイトルは「ウルトラA」でした。「ウルトラセブン」なので、こっちの方が自然なのですが、たまたま玩具メーカーが同名の商品を既に発売していたため、商標の問題で「ウルトラマンエース」に。これがなければ後々「ウルトラタロウ」「ウルトラレオ」になっていたのでしょうね。
本作で「ウルトラ兄弟」という設定が確立し、ウルトラの父が初登場します。
▲父の名前はケン、母の名前はマリー。ケンとメリーのスカイラインですね。
ウルトラマンタロウ
1973年(昭和48年)4月6日 – 1974年(昭和49年)4月5日放送。全53話。
オープニングから「ウルトラマンNo.6」とある通り、初回からこれまでのウルトラ兄弟が総出演、さらにはウルトラの母も初登場します(人間時はベテラン歌手のペギー葉山さん)。
本作はこれまでのシリアス路線から一変して、「底抜けに明るい子ども番組」というスタイルで、Aでやや陰りを見せていた人気を持ち直し、人気も高い作品ですが、一方でシリーズ当初からのマニアには「幼稚過ぎる」と不評も買いました。
当初タイトルは「ウルトラマンスター」「ウルトラジャック」「ウルトラマンジャック」。タイトルは「ウルトラマンジャック」に決まりかけますが、当時、社会問題となっていた「ハイジャックを連想させる」という事情からお蔵入り。急遽、和名の「タロウ」に決定しました。
個人的には初めてリアルタイムで見たウルトラマン番組なので思い入れがあります。。
ウルトラマンレオ
1974年(昭和49年)4月12日 – 1975年(昭和50年)3月28日放送。全51話。
「骨肉相食む人間ドラマ」「生きる厳しさと哀しさを鮮烈に謳う」という企画通り、主人公のオオトリゲンと、それを鍛えるモロボシダン隊長の特訓が見ものの熱血スポ根ドラマ調の作風です。
これまでのウルトラ兄弟(M78星雲 光の国)ではなく獅子座L77星人、という設定で、生き別れの弟アストラと、伝説の超人ウルトラマンキングが登場します。
▲平成映画の声はなんと小泉純一郎氏のキング
当時人気があったカラテ、カンフーをモチーフにしたアクションと、「ノストラダムスの大予言」的な世紀末風な展開も特長でした。
当初の暗い作風で視聴率が低迷し、加えてオイルショックによる物価高騰の直撃もあり、いったん本作でウルトラシリーズは幕を下ろすこととなりました。
●昭和第3期ウルトラシリーズ
ザ☆ウルトラマン
1979年(昭和54年)4月4日 – 1980年(昭和55年)3月26日放送。全50話(アニメ作品)。
レオから5年、久々のウルトラマンはなんとアニメ作品でした。これは当時、「宇宙戦艦ヤマト」などアニメブームの真っ只中であったことで、「恐竜探検隊ボーンフリー」のアニメパートを手掛けた日本サンライズが制作を担当しました。
「ヤマト」に加え「スターウォーズ」にも影響されたスペースオペラ的ストーリーで、最終4話は後の「機動戦士ガンダム」の富野喜幸(現:富野由悠季)氏が変名で画コンテを担当しています。
主人公のウルトラマンは「ウツトラマン ジョーニアス」と呼ばれました。
ウルトラマン80
1980年(昭和55年)4月2日 – 1981年(昭和56年)3月25日放送。全50話。
1980年、久々の実写特撮に戻った本作は、シリーズ初となる教師が主人公。当時大人気だった「熱中時代」「金八先生」を意識して、学園ものの要素を取り込んだ作品です。
終盤にウルトラシリーズ初の女性戦士ユリアンが登場します。
ミニチュア特撮、アクション面では評価が高いものの、視聴率は再三のテコ入れにも関わらず10%と低迷の中、終了します。
さらに本作終了後に当時の円谷プロ社長 円谷皐氏がTBS編成局長と対立し、関係が悪化。これによりTBSとの共同制作によるゴールデンタイム枠のウルトラシリーズは、本作をもって終了し、国内テレビ番組としての「ウルトラシリーズ」は、1996年の「ウルトラマンティガ」(毎日放送)まで15年半に渡って休止することとなってしまったのです。
完
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