1969(昭和44)年7月20日、アポロ11号が月面着陸に成功。
2人の宇宙飛行士が人類史上初めて、別の天体に降り立ちました。
この模様は世界40か国以上で放送され、その視聴者数は6億人超。
日本でも多くの人々が、TVの前でくぎ付けとなりました。
今回はこの50年前に実現した「20世紀最大の超ビッグイベント」について、ご紹介します。
●アポロ計画とは
第2次世界大戦後の冷戦時代。米ソの2大超大国が対立し、政治や軍事、経済はもちろんスポーツに至るまで、ことごとく火花を散らし合う緊張関係が続いていました。
そのさ中、国家の威信をかけて進められた宇宙開発競争。
1957(昭和32)年10月4日、ソ連は世界初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功。ソ連が大陸間の距離を越えて核兵器を打ち込める能力があることを証明して見せたことで、米国は“スプートニク・ショック“に見舞われます。
すかさずアメリカのアイゼンハワー大統領はNASA(国家航空宇宙局)を創設し、人を地球周回軌道に乗せるマーキュリー計画に取り掛かります。
しかし再びソ連が1961(昭和36)年4月21日、ユーリィ ガガーリンがボストーク1号で史上初の有人宇宙飛行に成功。
宇宙開発競争の敗北は、核ミサイルの開発、軍事バランス上での敗北を意味します。
この年の1月に選出されたジョン・F・ケネディ大統領は、「NASAが1960年代のうちに、有人ロケットを月面に着陸させる」と宣言。
以来、250億ドルという莫大な予算をつぎこみ、2万以上の大学、企業、40万人もの人々と共に、アポロ計画を推進しました。
●サターンVロケット
アポロ計画における最初の有人飛行は、1968(昭和43)年10月11日に発射されたアポロ7号。12月から1969(昭和44)年5月にかけて、NASAはサターンVを使用して3回の有人飛行(8.9.10号)を敢行します。
そして遂に1969(昭和44)年7月16日、アポロ11号が月着陸を目指し、3名の宇宙飛行士を乗せて発射しました。
サターン5型ロケットは全長110メートル、直径10メートル、重量2,800トンの超大型ロケット。
使い切った燃料タンクやエンジンを切り捨てて加速し、全体の重量を大幅に軽減しながら司令船と月着陸船で月着陸から地球への帰還を目指す「月周回ランデブー方式(Lunar Orbit Rendezvous, LOR)」が選択されました。
アポロ計画ではどうやって月に到達するか、よりもその後、宇宙飛行士をどのように帰還させるか、が大問題だったのです。
●日本における中継
NHK特別番組「アポロ11号月着陸」では、月面着陸までの様子を深夜0時から衛星生中継で計13時間にわたって伝えました。
着陸に成功した瞬間は日本時間7月21日 午前11時56分。この時の瞬間視聴率は68.3%に及んだと言われます。
アポロ11号船長のニール アームストロングはこの時、かの有名なセリフを発しました。
「これは1人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩である」
実況を担当したのは若き日の鈴木健二アナウンサー。鈴木アナは第一歩の感動を伝えるための名文句を徹夜で考えていたものの、直前になり沈黙することを決めたそうです。
後に「飛行士の第一声は永遠に残る世界的遺産だ。それを邪魔してはいけないと感じた。中継では淡々と船長の声だけが流れた。自分では最高のアナウンスだったと思っている」と語っておられますが、実際の中継では同時通訳者の独壇場。
この有名なセリフも同時通訳により「人類にとって大きな一歩です」と簡潔に伝えられています。
さらには、着陸してもまったく実況しない鈴木アナに「着陸しましたよ?」と呼びかけているのが確認できます(笑)
●画質が劣悪な理由
1970(昭和45)年生まれの私は当然、この世紀の中継を体験していません。後に家族にどんな様子だったのか、と何度か尋ねましたが
「夜中の中継はつまらなくて寝落ちした」
「着陸の瞬間も画面が真っ暗でよくわからなかった」
といった感想。これは当時の多くの日本人が感じたことだったようです。
それもそのはず、当時の通信技術では世界中に生中継するのが精一杯。画質が劣悪だったのも無理はありませんでした。
まず、アポロ11号ではカラー撮影機材は重量の兼ね合いで持ち込めず、モノクロ。さらには、放送用のテレビジョン規格と互換性のない低速度走査テレビジョンを使用してそれを一度特殊なモニタに映し、そのモニタの映像を従来型のテレビカメラで撮影する、という実にややこしい方式を取るしかなかったのです。
このテレビジョン信号は当初アメリカのゴールドストーンで受信されていましたが画質が悪く、中継ではオーストラリアにある基地局、パークス電波望遠鏡で受信した映像に切り替えられるなど、技術的困難と天候不良に悩まされる中での、綱渡りの中継だったそうです。
この時のビデオ映像は現存していて今でも見ることが可能ですが、月から伝送されたマスターの高画質映像はNASAの日常業務の中で上書きされ、現存していないというオチまで付き、これが後にさまざまな憶測を呼ぶのです。
●宇宙飛行士は月で何をしていたのか
月着陸船イーグルが着陸したのは「静かの海」。
月に降り立ったニール アームストロング船長とバズ オルドリン飛行士の月面での滞在時間は1時間36分ほどでした。
彼らはアメリカ国旗を立てて記念撮影した後、アメリカとソ連の宇宙計画で命を失った5人の宇宙飛行士(バージル・グリソム、エドワード・ホワイト、ロジャー・チャフィー、ウラジミール・コマロフ、ユーリ・ガガーリン)のための記念碑を月面に設置。
記念碑には「地球から来た人類がここに初めて足跡を記す。西暦1969年7月。すべての人類のため、われわれは平和のうちに来た」と刻まれているそうです。
そして、21Kgにも及ぶ「月の石」を採取して、地球に持ち帰りました。
●世界中が宇宙ブームに
当然、世界中がこの快挙に沸き返りました。輝かしい科学の進歩が人類の明るい未来を約束するイメージに世界の人々が興奮します。
しかし当時、アメリカでは決してアポロ計画に対する賛成の声ばかりではありませんでした。
1963年11月にはケネディ大統領が銃弾に倒れ、ベトナム戦争は泥沼化。
巨額の予算を垂れ流し、事故により数多くの犠牲者を出したアポロ計画には冷ややかな世論もあったのです。
しかしこの人類史上初の月着陸という快挙はそれらネガティブな空気を吹き飛ばし、アメリカだけでなく世界中を熱狂させ、宇宙ブームが巻き起こりました。
日本も例外ではなくその人気は社会現象化。
日本中の家庭に地球儀とセットで爆発的に売れた月球儀が飾られ、4カ月後の1969年11月4日、アポロ11号の宇宙飛行士3人が来日し東京・銀座をオープンカーでパレードすると、沿道は12万人の観客で埋め尽くされました。
さらに翌1970年の大阪万博でアポロが持ち帰った月の石が展示されると連日、数時間待ちの行列ができるほどの大人気になりました。
●アポロ計画がもたらしたもの
以降、アポロ17号までの7回の飛行で(事故で着陸を中止した13号を除いて)計6回、12名の宇宙飛行士が月面に到達。アポロ計画全体で月から持ち帰った岩や物質は総量381.7kgにも上ります。
アポロ計画に使用された最新技術は、その後、多くの技術分野で応用されました。
全航空機能を自動制御したアポロ誘導コンピュータは、軍事ミサイルの開発に活用され、半導体チップに使用される集積回路の初期研究にも役立ちました。
燃料電池の実用化、宇宙飛行士の健康管理に用いられた自動計測装置やテレメーター(遠隔測定)装置、そして通信や放送技術も進化させました。
また、技術の進歩が見せた数々の「未知なる風景」は人類の心理的、精神的な部分にも大きな影響を与えました。SFや特撮などの創作活動に与えた影響も計り知れません。
そして宇宙に頼りなく、そして美しく輝く地球の姿を見たことで、人々はある意味で科学の負の側面にも気づかされ、世界規模での環境問題、反核運動の高まりを呼びました。
それまで信じてやまなかった「科学技術の進化が人類に幸福をもたらす」という考え方が、最先端技術で月に到達したアポロ計画によって「必ずしもそうではない」と気づかされたことが、最も大きな成果だったのかもしれません。
●アポロ陰謀説
1971年のアポロ17号を最後に、アメリカはアポロ計画を中止。米ソの宇宙開発競争における技術大国としての勝利を得たことで、月に行く目的を失ったのです。
その後のNASAでは経費削減策として宇宙船を使い回すスペースシャトル計画が実施されるなど、多くの研究が行われてきましたが、約50年近くもの間、人類は一度も月に行くことはありませんでした。
そのため、世界中で「アポロは本当は月に行っていない」という陰謀説が大流行。
2001年にはアメリカのFOXテレビで『陰謀説、本当に人類は月面に降り立ったか?』という番組が放映され、暴露本も数多く出版。
月面着陸の際に撮影された映像や写真で、大気がないはずの月面に立てたアメリカの国旗がはためいているように見える、影がいくつもあるように見える、星が写っていないなどの不自然さが指摘され「あの中継はハリウッドのスタジオで撮影されたものだ」という検証が、いまもネットに溢れています。
ことごとく科学的に論破されているものの、根強い人気を誇る“陰謀論“の一つです。
実はこの手のウワサは当時からあったそうで、ある調査では「アメリカ人の約2割はアポロ月面着陸を信じていない」のだとか。
それだけ途方もないスケールの計画で、人々の理解の範疇を超えていた証明かもしれません。
●なぜ人類は月に行かないのか?
有人月面探査の計画が見送られているのは、とにもかくにもカネがかかりすぎるからです。
有人探査は宇宙事業の中でも最もコストがかかるもので、政治的支援を得るのが最も難しい。米ソ冷戦が終わり、大義名分を失ったことで減速しました。
1965年におけるNASAの予算は連邦予算の4%を占めていました。1970年代以降は1%を下回り、過去15年間は連邦予算のわずか0.4%ほどに過ぎません。
アポロ計画は現在の価値で換算すると、約1200億ドル(約13兆3000万円)ものカネを費やしました。
2005年にNASAが報告したところによると、月面探査計画を再び行うには13年間で1333億ドル(約14兆8000万円)必要であるとのこと。
また、探査計画は予算だけではなく、大統領のリーダーシップも大きく影響します。
ブッシュ政権は2004年、使い捨てロケット「アレス」を用いた宇宙探査事業計画「コンステレーション計画」を打ち出しました。しかし、経費削減で遅々として進まぬまま90億ドル(約1兆円)を費やし、2010年のオバマ政権時に計画は廃止に。
2017年末にはトランプ大統領がトランプ米大統領は「月面に再び米国の宇宙飛行士を送り込み、火星探査のための基地を作るよう指示する」との文書に署名しました。「ただ旗を立て、足跡を残すだけでなく、将来の火星やその先を目指す礎を築く」と宣言しています。
あれから50年・・・この先、再び人類が月に立つのは、いつになるのでしょうね。
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