唐突ですが、最近「東洋」って言葉、使わなくないですか?
私が子供のころ、昭和40-50年代頃は、あちこちに「東洋一の大観覧車」とか「東洋一の橋」とか「東洋一のホテル」などがあった気がします。
1964東京五輪で金メダルを獲った女子バレーチームは「東洋の魔女」。
ジャイアント馬場は「東洋の巨人」。
ボクシングにも「東洋チャンピオン」がいました。
浜松町の世界貿易センタービルは「東洋一の高層ビル」。
若戸大橋は「東洋一のつり橋」・・・etc.
実はなんだかよくわかってないけど、凄そう。
そして、私はこの「東洋一の~」というワードに、なんとも言えない「何か」を感じるのです。
今回は、以前から気になっていた、この「東洋」と「東洋一の〇〇」という言葉についてのお話です。
「東洋」とは
まずは言葉の定義から。wikiによれば、
東洋(とうよう、英: the East, Orient)とは、西洋(the West)の対概念であり、指し示す範囲はその文脈や使われる国や地域によって異なる。
とあります。
その範囲はかなり曖昧で、
東洋はトルコから東のアジア全域を指す場合もあれば、イスラム社会である中東を除いた東南アジアから極東を漠然と指す場合もある。これらの概念は近東、中東、極東という言葉にも表れている。狭義では東アジアのみを指す場合もある。
…アカデミックな定義だと、かえってよくわかりません。正しいのと分かりやすいのは違うんですよね。
一般的な感覚では「日本、中国、韓国から東南アジアあたりまで」…なのか?インドはどうなんだ?
要するに、「西洋」の対義語、ってことなのでしょう。
そういえば、かつてのモハメド・アリvsアントニオ猪木戦の海外版ポスターに、「EAST meets WEST」と書かれていたなぁ・・・。
東と西があるなら北と南は?でも、北洋、南洋だと海のイメージですよね。「南洋漁業」とか。やはり人の住む陸地(文明)は、東西なんでしょうか。
ちなみに昭和30~40年代の映画には南洋ではなく、「南海の●●」がよく出てきます。私の好きな小林旭さん主演の「南海の狼火」とか、モスラは「南海の孤島・インファント島」の守り神でしたし、ゴジラは「南海の大決闘」でエビラと戦いました。そして南海といえばホークス…「南海の黒豹」はレイセフォーではなく、リッキー・スティムボートか若島津しか認めません。
いかん。本題に入る前から大きく話が逸れました。
かつて「東洋一の」が溢れていた理由
以下はあくまでも、私の想像です。
文明開花以降、そして戦後の高度成長期も、
日本は「欧米列強に追いつけ追い越せ」でやって来た
↓
この頃、日本には
「アジアで一番の先進国、西洋と互角に覇せる唯一の国」
というプライドがあった
↓
そこで日本一の何かが生まれると、
「日本で一番なんだから東アジアでだって一番だ、そうに決まってる」
と決めつけた
↓
そして公に認定されたものではなく、
その多くが「自称・東洋一」で、
「言ったもん勝ち」なんじゃないか?
私は子どもの頃から、「東洋一のなんやら」に出会うと、ぼんやりとそう疑ってきました。
東洋一について調べた本があった
調べてみたら、私と同じことを考えた人がいました。その名もズバリ、「東洋一の本」という書籍があるのです。
「東洋一の本」藤井青銅著(2005 小学館)
見つけたからには、読まないといけません。私以外に買う人がいるのか!?(使命感)。
買いました。読みました。
・・・この本によれば、おおよそ
強力な先進文明としての「西洋」と単独で対決するには、日本は小さすぎる。それを補い、東洋の代表という資格を自らに与えるために、日本人は「東洋」というカテゴリーを作り出して「東洋一」を誇っていた
ということのようです。
納得です。想像通りです。
そして、
西洋で東洋を指す言葉として「オリエント」があるが、現在は「差別的な意味合いがある」として使われなくなり、「アジア」と呼ばれる
中国ではかつては「東洋とは中国より東の他の国のこと」を指す言葉として使っていたが、いまは使わない
韓国では「東洋一」とは言わないが、「韓国と中国と日本と台湾を『東洋』と呼ぶ」
などなど、興味深い話が載っていました。中でも中国ではその昔、「東洋=日本のこと」だった、というのは驚きでした。(太平洋戦争時、日本人を「東洋鬼」と呼んでいたそうです)
そしてもう一つ、かつて日本でよく使われていた東洋一と似た言葉に「三国一」があり、これは「日本、中国、インドの3国で最も優れている」という意味だった、というのも興味深かったです。
どうやら変遷としては、
日本一
↓
天下一
↓
三国一
↓
東洋一
↓
世界一
らしいのです。
「東洋一」はいつ頃から使われた?
この本によれば、「東洋」という言葉は、1894年の日清戦争のタイミングで生まれた言葉なのだそうです(諸説あり)。
そして、「東洋一の〇〇」と誇るようになったのはおよそ、明治初期ごろから。福沢諭吉や夏目漱石の書物にその記述があります。
著者が調べたデータベースによると、朝日新聞の見出しになった「東洋一」は、戦前の昭和初期から登場していますが、戦争中の1942-1948に一時消滅。戦後に復活し、「もはや戦後ではない」と言われた1955(昭和30)年代に急増します。
この頃、「東洋一」のスケートリンク、国立競技場、ガスタンク、展望鏡、ホテル、火力発電所、スキー場、天文台、駐車場、ヨットハーバー、水族館などが、続々と登場しています。
そして、オイルショックの1973年を境に、その「東洋一」の見出しは日本国内ではなく、韓国、シンガポール、香港などに建てられたものに移っていくのです。
やはり、私の「東洋一とは戦後の経済成長期に増殖した言葉」という仮説は、間違いではなかったようです(さらに、バブル期からは「世界一」に取って変わられていく)。
ちなみに、ボクシングの東洋チャンピオンは、1935(昭和10)年に初の選手権が開催。これは当時、フィリピンがボクシング強国で、タイ・韓国・台湾などをエリアとしていたそうです。その後、1977(昭和52)年にはオーストラリアなども加わり「東洋太平洋」にランクアップ?しています。
そして案の定、この「東洋一の~」の定義はかなり曖昧で、例えば「東洋一の鍾乳洞」で検索すると最低でも5つが見つかります(それぞれ、空間の規模、総延長などなど異なる根拠があるようですが)。私の記憶では「東洋一の大観覧車」というのも、日本全国のあちこちにあった気がします。浅草は「東洋一の歓楽街」、銀座は「東洋一の繁華街」・・・とにかく、「言ったもの勝ち」なのです。
そういえば、馬場さんはNWA世界チャンプのベルトを戴冠して以降、「東洋の巨人」ではなく「世界のジャイアント馬場」になっていたなぁ・・・。
「東洋一」に秘められた意味
そしてこの本で著者は、「東洋」という言葉を、こう定義付けしています。
西洋>東洋>日本 *地勢的感覚
東洋=(日本>中国) *明治〜戦前の時代感覚
中国>日本 *長年の歴史感覚
この「東洋」の類義語に「東邦」「東亜」「大東亜」などがあることからも、この言葉に当時の日本の「思想」が込められていることは、間違いありません。
そして著者は、こう記しています。
日本は、世界の中では「西洋」というコンプレックスに悩み、東洋の内部においては「中国」というコンプレックスに悩み、なのに「東洋の代表者」という立場で、西洋に対峙しようとした。この二重のコンプレックスの中で、ずいぶん肩肘張ってきたんだろうな、と思う。
いま、かつて「東洋一」と言われた物件を見たり、全国にたくさんある東洋一を誇る施設のパンフレットなどを見ると、いじらしさや健気さを感じてしまう。
まさに。
これこそが、私が長年、「東洋一」という言葉に感じていた、なんとも言えない魅力と、こそばゆさの正体だ、と感じました。
あなたの知っている「東洋一」があれば、ぜひ教えてください。
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