ブーム直撃世代から見た「機動戦士ガンダム」~①ガンプラ協奏曲編

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アニメ
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「機動戦士ガンダム」―いまだに新テレビシリーズ、劇場版が話題になり、プラモデルは30年以上、全世界で4.5億個以上を売り上げてバンダイ史上最大のドル箱シリーズであり続けている、もはや説明不要のアニメ作品です。

 

ここでは、「当時の普通の小〜中学生目線で、リアルタイムに体感した”ガンダムブーム”とはどうだったのか」を、後付けの知識などはなるべく交えずに、振り返ってみたいと思います。

 

©日本サンライズ

 

アニメ「機動戦士ガンダム」放送スタート

 

記念すべき初放送は1979年ですので、私は9歳でした。

 

といっても初回放送で観ていたわけではなくて、ご多聞に漏れず再放送組です。

ただ、周囲と少し違っていたのは、テレビ視聴より先にガンダムとシャア専用ザクのプラモデルが家にあった、という点でしょう。

 

7歳上の兄貴の部屋の、本棚のガラスケースの中に、この2つのプラモデルがいつの間にやら組み立て済み、であったのです。

 

見るからに主人公的な白いロボットと、悪役には見えない赤いロボット。

 

子供心に、正義の味方然としたトリコロールカラーのガンダムよりも赤い方、シャア専用ザクの兵器兵器した雰囲気に魅力されました。(ちなみに第一印象は、スターウォーズの白い兵士に似てるなぁ、なんか関係あるのかなぁ、でした)

 

ほどなくしてこれが「ガンダム」というTVアニメのプラモデルであると知り、再放送を夢中で見始めると、周囲の友だちの間でも徐々に話題になり始めました。

 

そして気がつけば映画になる、プラモデルも爆発的人気で売り切れ続出、という社会現象、一大ブームになっていきました。

 

※ちなみに…ガンダムの初回放送時の視聴率は振るわず、平均で5%程度で、その結果全52話の予定が全43話で打ち切りになったと言われてます。実際、私の周囲でも初回放映で見たのは皆無に近く、ほとんどが再放送組でした(再放送は20%近い視聴率だったそうです)

 


 

●ガンダムのプラモデル、後に「ガンプラ」と呼ばれた狂想曲

 

改めて調べてみると、1980(昭和55)年から83(昭和58)年くらいまでが第一次ガンプラブームといえるようです。

 

私は小学5年から中学1年で当時、来る日も来る日もガンダムを観てはプラモデルを作り、初代シリーズのほとんど全モビルスーツを揃えました。

初期は1/100と1/144の2シリーズがありました。小学生のお小遣いで買えるのは300円の144シリーズの方で、そのうちに一体700円の1/100シリーズは自然淘汰されていきましたね。

 

ガンキャノンやドムは初期は1/100シリーズしかなくて、特にドムは1/144では後半にリックドムとして登場するまで、結構待った記憶があります。

 

量産型ザクやズゴックなんかは容易に手に入るのに、シャア専用ザク、旧ザクなどは品薄でなかなか手に入りませんでした。

 

またガンタンクは連邦の主要メカにも関わらずなかなか発売されず、遂に発売、となった頃がブーム最盛期だった印象です。

 

このガンタンクは144シリーズでは破格の500円という高額(笑)にも関わらず、予約の整理券をもらうのに長蛇の列ができて徹夜組まで出る騒ぎでした。

 

ちょうどその頃、千葉の大型スーパーで発売日にエスカレーターで将棋倒しが起こり数人が大怪我、という事件もありました。(子供心にガンタンク買うために大怪我なんて親に申し訳ないなぁ、と感じました)

 


ガンプラで覚えた技術

 

それこそ初期は接着剤も付属の銀色のチューブ入りを使っては失敗して、稼動するハズの肩をくっつけてしまった友だちは、片手では足りません(最初期のガンダムは肩の稼動パーツがややこしい作りでした)。

 

その後はボトルキャップにハケがついた良い接着剤を買い、プラモデルに着色する、デカールを貼る、くらいのものだったのが、いつしかパテで隙間を埋めて耐水ペーパーをかけたり、ウェザリングを施し、ジオラマを作り…と、プラモデル専門誌である「ホビージャパン」を買い、私を含む当時の日本中の小中学生は、猛烈な勢いでモデリング技術を高めて行きました。

 

あまりの過熱ぶりに、シンナー中毒を心配したメーカーが水性アクリル塗料を発売したのもこの時期です。

 

私は144ジオングに100ドムの脚がちょうどいい、と完成形ジオングを造ったりしつつ、ついに憧れの1/60シリーズのシャア専用ゲルググを購入。

 

たしか3,000円くらいだったと思いますが、1/60シリーズは箱がとにかくデカくて、お店で手に取るのもレジに持っていくのも、自転車で家に持って帰るのも非常に勇気が必要なシロモノでした。

 

そしてホビージャパンの別冊「HOW TO BUILD GANDAM」(当時バカ売れしたガンプラ作りのバイブル、伝説の名著)

なんかを参考に、頭部にカメラのフイルムを貼って発光ダイオードを組み込みモノアイを光らせる改造を施している最中に、ものすごい勢いでガンプラ熱が冷めてしまったのをハッキリ覚えています。(その後、私はタミヤのドイツ軍戦車シリーズに移行したのですが、それはまた改めて)

 


 

■当時、私が制作したガンプラリスト

●1/144シリーズ

ガンダム/ガンキャノン/ガンタンク/ジム/Gアーマー

シャア専用ザク/量産型ザク/旧ザク/グフ/ゴッグ/シャア専用ズゴック/量産型ズゴック/ゾッグ/アッガイ/ギャン/リックドム/量産型ゲルググ/ジオング

モビルスーツ武器セット

●1/100シリーズ
ドム

●1/2400
ホワイトベース

●1/60
シャア専用ゲルググ

こうしてみると、モビルアーマや戦艦シリーズはほとんど作ってないですね。ささやかなこだわりです。

 


 

少し話はそれますが、ガンダムの玩具メーカーがクローバーではなくポピーだったら、もしかしたらガンプラブームはもう少し小爆発だったかもしれませんね。

 

なんせ正規品のクローバー製のがコレですからね…

小学生でも「いくらなんでもコレジャナイ・・・」と絶望して、ハードルの高いプラモ作りにチャレンジする決意を抱くというものです。

 

 

②「TVアニメ編」へ続きます!

コメント

  1. やひろ より:

    いやぁ懐かしい。ガンプラ欲しくて模型屋に朝早くから並んだのを思い出します。
    当時流行っていたプラモ狂四郎の単行本巻末にパーフェクトガンダムの作り方が載っていて小学生ながらに頑張って作りました
    確か足の補強箇所はプラ板1.2ミリを4枚重ねると記憶してますw
    それにしても今のガンプラは本当に格好良く精密ですよね。
    技術の進歩に驚愕します

  2. 山北正彦 より:

    同い年でまさに同じ時代を同じ様に生きてましたね。
    初期のガンダム、ザクの肩部の取付の意味を分からず接着剤をベタベタに塗りまくり固めてしまったのも懐かしい思い出です。
    プラカラーを買えず学校の絵の具セットで塗りグチャグチャにした物でした。
    ガンダムと昭和のプロレス…当時の小学生が狂ってハマったドンピシャの二代巨頭。
    拝読させて頂き、一日でいいので戻りたい気分になりました。
    同い年…今年始めに初めて身体にメスを入れました。
    遂にガタが来る年齢になった事を痛感しております。
    お互いに長生きするようご自愛ください。

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