60年代の「ハナ肇とクレージーキャッツ」①TV・映画編

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TV番組
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日本のTV・芸能史のエポックメイキング「ハナ肇とクレイジー・キャッツ」

1970年生まれのドリフ世代である私が最初にその存在を知ったのは、小学生時代。ラジオから流れる「スーダラ節」と「ハイそれまでョ」に衝撃を受けました。

 

今回は、1960年代に一世を風靡した“クレージー伝説“を解析します。

 

 

コミックジャズバンドとして誕生

 

終戦後、1950(昭和25)年からの朝鮮戦争による特需でドン底だった日本経済は息を吹き返し、人々にも娯楽を求める余裕が生まれました。そして巻き起こったジャズブーム。進駐軍放送のラジオWVTR(後のFEN)から連日流れ、開局ラッシュが続いた民放ラジオでも、日本のジャズメンが大人気に。

 

その5年後の1955(昭和30)年。ジャズが大衆から離れようとした時期に、ハナ肇は「コミックバンド」を構想します。バンドマンの多くが米軍キャンプを回っている時代、小難しいテクニックより笑いを交えたステージの方が仕事も増える。こうして結成された「キューバン・キャッツ」は進駐軍に大ウケ。「クレイジー」と爆笑されてそのまんま「クレイジーキャッツ」になった、と言われています。

 

 

同じくベーシストでミュージシャンだった渡辺晋さんの立ち上げた芸能プロダクション「渡辺プロダクション」の所属タレントとなり、ジャズ喫茶などで活躍した後、1959(昭和34)年にフジテレビ「おとなの漫画」でブラウン管に登場します。

 

 

その2年後、1961(昭和36)年に日本テレビで始まった「シャボン玉ホリデー」で、クレージーキャッツはセンスとテンポ溢れるコント、ギャグを披露し、人気が爆発。

 

 

8月に発売された「スーダラ節」が10月頃から売れ始め、視聴率も10→20→25%とうなぎ登り。

 

 

レコードのヒットとTV番組の相乗効果で、日曜の夜6時半がゴールデンタイムになり、クレージーキャッツとザ・ピーナッツを擁するナベプロは、黄金期を迎えました。

 

 

クレイジーキャッツの構成メンバー

 

ハナ肇 リーダー、ドラムス
植木等 ボーカル、ギター
谷啓 ボーカル、トロンボーン
犬塚弘 ベース
安田伸 テナーサックス
石橋エータロー ピアノ
桜井センリ ピアノ

 

石橋エータローさんは1960(昭和35)年に結核で一時離脱、後任に桜井センリさんが加入します。その後、石橋さんは復帰するも1971年に引退しました。

 

 

クレイジーキャッツ映画へと進出

 

当代切っての人気者、クレージーキャッツは当時の5大映画会社(大映、東宝、松竹、東映、日活)の争奪戦の末、大映が獲得

 

1962(昭和37)年3月「スーダラ節 わかっちゃいるけどやめられねぇ」5月「サラリーマンどんと節 気楽な稼業ときたもんだ」が立て続けに公開されましたが、期待に反して大ヒットとはなりませんでした。

 

これを見たナベプロ社長 渡辺晋さんは、サラリーマン喜劇に強い東宝へシフトチェンジします。そして1962(昭和37)年7月、「ニッポン無責任時代」が公開されると大ヒット(併映は森繁久弥の駅前シリーズ)。

 

 

ここから30作品にものぼる“東宝クレージーシリーズ“が続々と公開されていきました。

 

植木等にフューチャーした「日本一」シリーズ、メンバー全員が出演する「クレージー作戦シリーズ」、「時代劇シリーズ」…正当なシリーズ以外も加えると35作近くになり、1962(昭和37)年から1971(昭和46)年のちょうど10年間、単純計算で3カ月に1タイトル、全盛期はほぼ毎月のように主演映画が公開されていたことになります。

 

ただし…無名時代からのファンであり、一時期ブレーン役でもあった小林信彦さん「クレージーで一番面白いのは生、次がTV、一番面白くないのが映画」と語っています。

 

 

クレージー時代の終焉、ドリフ時代へ

 

1965(昭和40)年を過ぎた頃から、クレージーキャッツは主要メンバーの個人活動が多くなっていきます。

 

1970(昭和45)年には1961(昭和36)年から続いたフジテレビの「ザ・ヒットパレード」が終了

 

 

1971(昭和46)年1月に石橋エータローさんの脱退を機にグループとしての活動機会がさらに減り、東宝クレージー映画は12月31日公開の「日本一のショック男」が最終作に。

 

翌1972(昭和47)年10月には「シャボン玉ホリデー」が終了。

各メンバーはコメディアンから役者として、活躍していきました。

 

ちょうどクレージーと入れ替わりで活躍したのが、弟分的なグループであるザ・ドリフターズです。

 

ドリフもクレージー同様、ミュージシャン出身で同じナベプロ所属の弟分。ドリフメンバーの名付け親はクレージーのリーダーハナ肇さんです(ただし、いかりやさんはクレイジーのメンバーと同世代)。

 

見事なまでに1960年代を駆け抜けたクレージーキャッツ、1970年代以降、跡を受け継いだドリフターズ。こんな見事な世代交代は、後にも先にもありません。

 

次回は、クレージーの音楽について紹介します!

②につづく

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