「ザ・ドリフターズ」①結成から初期「8時だョ!全員集合」に続く今回は、志村けんさん加入後の再ブレイク以降をご紹介します!
●新メンバー志村けんさんのブレイク、第二次絶頂期
志村けんさんは1973(昭和47)年の荒井注さん脱退後、2年間はなかなか受け入れられず、立ち位置も微妙でした。「前から活躍していた(付け人の)すわしんじさんじゃなく、どうして志村なんだ?」という声も根強くありました。
1974年には裏番組で「欽ちゃんのドンとやってみよう!」がスタート。押され気味になる中で、リーダーのいかりやさんとエース加藤茶さんは”新メンバーの志村さんをどう活かすか”苦心します。
いかりやさん曰く「志村はお笑いに貪欲で、自らネタを考える唯一のメンバー」と評しています。
その結果、1976年の「東村山音頭」で志村人気に火がつき、1977年には「ドリフ大爆笑」(フジテレビ)、すわさんを含めた6人構成での「飛べ!孫悟空」がスタート。1979年には「加藤&志村のヒゲダンス」も大ヒットして、ドリフは再び絶頂期を迎えます。
ちなみに、荒井注さんは脱退後も何度かゲスト出演し、志村けんさんとも共演しています。いかりやさんは「役者になったけど、ドリフ辞めて失敗」など容赦なくイジリ倒し、両者の良好な関係が伺えます。
●80年代、ひょうきん族との戦い
1981年には志村、仲本の「競馬ノミ行為事件」が発覚。活動自粛で「3人ドリフ」になりますが、視聴率は40%台を維持しました。
1983年頃から、いかりやさんとスタッフ、加藤&志村コンビの不協和音が囁かれ始め、視聴率戦争でも「オレたちひょうきん族」(フジテレビ)に抜かれ始めます。
そして1985年9月、16年間、803回続いた「全員集合」が終了。
フジテレビの「ドリフ大爆笑」は1998年まで続きました。
●ドリフの笑いとは
初期のドリフはその見た目から
リーダーのいかりやさん:ノッポの権力者
荒井注さん:ふてくされるオヤジ
仲本工事:インテリ風メガネ
高木ブー:てくのぼうのデブ
加藤茶:要領悪くてかわいいキャラ(ハゲにチョビヒゲ)
とわかりやすく、「8時だョ!」のコントは基本
権力者(先生、母ちゃん、軍曹など)のいかりやに、4人がそれぞれ、時に共謀して歯向かう
↓
権力に押し切られ不利になる
↓
4人はバラバラになる
↓
要領の悪い加藤だけがバレて犠牲になる
という構図でした。
後期は、まともでない志村に、いかりやが突っ込みを入れたり振り回される、という笑いのパターンになり、
イントロの高木
↓
つかみの仲本
↓
オチの加藤
↓
さらにキテレツな志村(大オチ)
という構図に。
志村加入後はアドリブで引っかき回され、リーダーのいかりやさんが最後はひどい目に遭う、という下克上スタイルが増えました。
荒井注さん脱退後の志村けんさんは「遅れてきたクレージーの植木等」的な存在。見た目も二枚目で「色悪」でした。
それまでの愛敬のある絶対的な人気者、加藤茶さんが意図的に一歩下がり、新たなエースが誕生したことで、ドリフの笑いが長続きした気がします。この点、加藤さんの人徳を感じます。
それでも基本的には「ガミガミうるさいいかりや=ヒール」に“反抗する“姿が、子ども達の喝采を浴びる。私は、これがドリフ人気の正体だと思います。
また、ドリフはその人気の高さと裏腹に、下ネタや食べものを粗末にするという理由で、日本PTA全国協議会から「低俗番組」に指定されるなど、たびたび批判を浴びました。その都度、プロデューサーの居作さんは「俺たちは全力で面白いものを作ってるんだ、何が悪い」とのプライドで、真っ向から反論していたのだそうです。
もう一つ、徹底したアクションによる笑い。顔面を叩く、金だらいが落ちてくる、舞台ごとガタンとひっくり返る、志村後ろ!など、日本語がわからない外国人にも伝わるカラダを張ったフィジカルな面白さ。
そしてこれらを毎週、ゴールデンの「公開生放送」でやるライブのハプニング性と緊張感…そのタイミングは生とは思えないほど厳密で、ミュージシャンである彼らのリズム感に加え、裏方であるスタッフを含めて長時間の徹底したリハーサルの賜物だと感服します。
こんなシンドイことを16年間やり続けたのは、驚異的ですよね。
クレージーキャッツが60年代の終わりと共にドリフに道を譲り、70年代を謳歌したドリフも80年代に入り結果的に「ひょうきん族」に敗れたワケですが。
いま「ひょうきん族」を観てもまるで笑えず、ドリフはいま観ても面白いのです。
クレージーには間に合わなかった私の世代は、ドリフの「生」を体験できて(あの時代のお茶の間の空気も含めて)、幸せだったと思います。
③ではドリフの音楽についてご紹介します!
コメント
拝啓 サイトヘッド様には、出禁覚悟でありましたがまた再びこちら様にお邪魔できます事に心から感謝し、全身全霊込めて書かせて頂きます。
*「ドリフターズのお笑いの原点=決して弱い物いじめ、いじりしない正統的お笑いの追求」
これに尽きると確信いたします。ヨーロッパ=フランスには「ガストン=Pモーリアと共に来日したパリコンセールヴァトワール(音楽院)出身のコメディアン」がおられます。正直パリ音楽院なんてぇ過去の大作曲家たちがこぞって学び、歴史と伝統とプライドに溢れた学び舎、申し訳ないが日本の芸大なんぞ及びもつかない遠い存在ですが、其処出身のコメディアンガストンの芸術的な芸は、必見必聴素晴らしいものです。だからとうした? それだけ欧米のコメディアンと言う存在はプライドが高く核心的コアを持っていた。かつて日本のお笑いも「落語、講談、漫談、漫才」と正統的な路線でしたが、、、どうも「ビートたけし等」の登場から何かおかしく変質して来ました。それは「弱い物いじめ いじり」でありその対象が「国家権力の揶揄や既成既得権についての疑問、高級役人や官僚政治屋に対する嫌味や皮肉」ってな部分がごっそりと欠如していた事。ほんの少数ですが「漫画シアターあっぱれ」とか「河内屋菊水丸」なんてぇのも居たのですが、、、、確かに「お笑い芸人たちの後ろには事務所があり株主もスポンサーも居る」中には政治屋や何かの隠れスポンサーなども居たでしょう。
お笑い芸人に言わせれば「そんなに政治ネタや皮肉批判見聞きしたけりゃ都内の地下劇場にでも行け、幾らでも見られる」と。そういう上から目線の横柄な態度の裏返しが実は「ビートたけし等周辺の、言わば乞食ギャグ」だったと言えます。正直「毒蝮三太夫が数十年前から相も変わらずやっている=爺婆いじりのネタ」も同じような物で、やさしさの裏返しだの爺婆は喜んでるだの世間知らずもはなはだしい。そんな乞食ギャグや三文ギャグの中、「最後まで正統的なお笑いで押し通したのがドリフターズ」でした。上記でもサイトヘッド様がご指摘の「居作良美Pが、まぁ時代も良かったし追い風もあったのでしょうが、日本ぴーちーえー狂義怪?とか何とかの訳のわからねぇ国家権力もどきからのくーだらねぇクレームにも、敢然と反論した」と。まぁこの全国ピーチーエー狂何某ってぇのは過去、ハレンチ学園に対してもクレームつけた前科」があり、まぁしかし本人たちは裏では何やってたんだか、、、自分はですね「自分の密かな楽しみは例え変態でも違法でも黙ってて、他人の楽しみは奪う」と言うのには、非常に恐ろしさを感じます。ましてやドリフのギャグやハレンチ学園程度は屁でも無い。
其処には、まぁPの居作が何を言おうとドリフの連中のレベルの高さと、思考能力の限界?まで悩んだというギャグ造りがあったればこそ、本当に正統的なお笑いで世を楽しませる事ができていた素晴らしい時代でした。確かに、、、こうしたギャグ造りは非常に困難大変で、人も予算も物凄くかかる。正直「弱い者、一般世間の底辺、ちょっとした失敗しくじり、言葉の一部を切り取りおかしな解釈で揚げ足取りをする」様な乞食ギャグの方が、はるかに簡単で安く大量生産でき、また見聞きしてる客や連中もまぁこういっては何だが「同レベルの空馬鹿ばかり」なので、まぁ低レベルに成り下がった視聴者様には面白かったのかもしれません。
しかしこうした乞食ギャグは未来永劫には残りえない、、、現実そんなのをやっていた連中は皆別の道や、食えなくなって廃業している。所詮乞食ギャグ等はその程度であり、一部の末梢神経だけをくすぐるだけでは限界は見えていたはず。正直ドリフも長い歴史の中では色々あり、良い事ばかりでは無かった。しかしドリフのギャグお笑いは、実はあのガストンにかなり肉薄していた?とさえいえるレベルであり、もはや二度と出ない存在です。思えば「クレージーキャッツにしろドリフにしろ、各個人のレベルの高さ=お笑いの本質を理解する心と文学的な素質、エンタメの本質を理解する心、何より音楽的レベルの高さ」があり、其処には最近増えて来た大卒の芸人などとは実は根本的なコアが異なっている=と言うより志の問題ではなかったでしょうか。まぁ大卒なら廃業しても就職先はあるでしょうから、、、
我々は「ビートたけし等や赤マムシだかの三文乞食ギャグは忘れても、ドリフターズの本物のお笑いは決して忘れず未来に残る」と確信しています。そういえば、何となく感じていたのは「乞食ギャグ連中の照れくささ」ってのがドリフには感じられなかった、、これは乞食ギャグやってた連中は解っていたはず=てれくささの裏返しであり、ドリフの連中にはその照れくささなんてぇのが微塵も感じられなかった。其処に本物のお笑い 正統的なお笑いとは何なのか 一番困難で難しいのは「如何に正統的お笑いで、客を泣かせるのはしごく簡単でも心底笑わせるのは如何に難しく困難で大変か」を理解していたのがドリフターズだったのです。
我々は決してドリフターズを忘れない!! 敬具